
イナガキカズトシ
@romantist721
2026年8月24日

読んでる
『出来事とはウンツァイトおよびウンオルトにほかならない』
ツァイトは時間、オルトは場所。それらに否定を示すウンがつく。出来事とは非時間で非場所である。出来事は順当に考えると時間であり場所であるのだが、出来事によって現実の裂け目ができてくるものを捉えている故の言葉。ウンツァイト、ウンオルトたりうる。古井由吉の解説がうならされる。
『人妻が旅先でほかの男と関係を結ぶ、これは出来事です。時も場所もある。誰でもその行為の影響を思います。ところがムージルは、その出来事そのものは何事でもないとする。出来事によってその背後に開くものが重大であり、それに照らせば、当の相手とか状況とか、当の女の肉体でさえもただの表層にすぎなくなる、という。』
出来事には時間と場所が重要視される出来事Aの段階と時間と場所から解放された出来事Bの段階がある。おそらくありとあらゆる芸術というか表現は出来事Bを立ち上げようとしているのではないだろうか。僕は演劇をやっている意識としては確実に出来事Bを求めている。しかし出来事Bだけでは成り立たない。出来事Aの積み重ねの中で、あるいは濃密な出来事Aによって出来事Bが呼び起こされる。つまり出来事Bが起きるには出来事Aを起こすことからは逃れられない。反対に、いくら出来事Aを起こしたって、出来事Bが起きないことにはそれは出来事ではないというムージルの言い分もわかる。そんなものはただの表層であって、どうでもいいことだとも言いたくなる。特に今この世は出来事Aでしか物事を見ない世界に突入しているように感じる。snsで流れてくるありとあらゆる情報に出来事Bとして、己の身体を打ち破って、自分自身をまるっきり別物にしてしまうような、あるいはそれを経験した後、見える世界が全然違うものに見えてしまうような、非時、非所の出来事が枯渇している。
まじでりくりゅうの結婚にとやかく言ってる場合じゃねえよ。もっと時間や場所から解放されろよ。って思うのだが、そう簡単に辿り着けるものではないのも事実だと思う。ムージルは変な人で、夫との完全な愛を遂行するために、どうでもいい男と関係を持つというような逆説的に行動を起こすことで出来事Bを求めるような小説を書いているらしい。好きすぎて拒絶する。なんだか面白そうな小説家であるのは間違いなさそうだけど、読むのは古井由吉曰く大変そうである。ここ本の最初の文言が『途方に暮れております。』から始まり、異様に面白かった。