
イナガキカズトシ
@romantist721
劇団やってます。仕事は鍼灸師。戯曲やら小説やら医療関係の本など多いかもですが、思い出したら記録用でアップしてます。
- 2026年4月11日
劇を隠す: 岩松了論長井和博読んでる読み始めた面白い。観客が情報を持っていて、舞台上のキャラクターはその情報を持っていないため、あたふたして笑いが起こるという喜劇の仕組み(ドラマティックアイロニー)に対して、岩松了は「お茶と説教」にて観客が場所も人物もはっきりわかんない状態のまま、とある不動産会社らしい町内会の登場人物たちの会話を延々と繰り広げ、反ドラマティックアイロニーと著者は説明する。 こんな喜劇がありうるのかとドキドキしながら読んでいる。すげえよ岩松了! - 2026年3月31日
猫を拾いに(新潮文庫)川上弘美読み終わった川上弘美はいつも気取らないから好きだ。背伸びしない。ちょっと変で、変なのにみんな真剣だ。真面目な二人の心が動いた瞬間をカウンターでカチカチとカウントする女子大学生二人の話が好きだった。その行為自体から始まって、その行為によってできる二人の関係性になんだか泣いてしまう。それは本当に不意にやってくる。短い文章の中で本当に不意に。暖かさでいっぱいになる。 そして謎の壇蜜のあとがきも良かった。ツンツン! - 2026年3月28日
怪しい来客簿色川武大読み終わっためちゃくちゃ面白かった。色川武大版「神戸・続神戸」という感じがした。色川武大が見てきた戦前戦中戦後の話。しかしそれにしても死が、生まれてから死ぬまで、こびりついてこびりついて、これでもかというほど死にまみれている。流行歌手、力士、ボクサー、野球選手、売れないタップダンサー、同級生や先生、編集者時代の先輩や自分の叔父、町の変な有名人や色町の女達、ありとあらゆる人たちが語られ、そのほとんどが死んでいく。そしてその死者達が色川武大の元に訪ねてくる。神楽坂のテキ屋の話など路上観察的な面白さもある。無意味な死こそ、我々の実態である。 - 2026年3月14日
- 2026年3月8日
急に具合が悪くなる宮野真生子,磯野真穂読み終わった素晴らしかった。九鬼修造の偶然性について、かなり具合悪くなっていってる状況下で思考していくところが凄かった。互いに互いの文章を受けて思考を繰り広げる。互いに反省しながら、しかし決して不幸な物語にはしないし、健康人と病人という点と点の関係性にならない常に出会い続ける関係性を時間の深みを、二人で歩いていた。 素晴らしかった。 - 2026年3月6日
読み始めただいぶ前に読んでたけど何一つ覚えていなくて、久しぶりに読み直したら、自分の作劇感覚はかなりここで語られてることに起因しているかもしれないと思った。 面白い。田中千禾夫先生の筆が乗りまくってます。源氏物語平家物語東海道中膝栗毛などの時代から遡って当時の劇作家達まで、文体、劇言語とは何かを探っていく。チェーホフにおけるモノローグは作者の言葉であるんだけど、それを隠そうともせずにあっけらかんと喋らせてるってその心意気が憎らしいけど成立してるみたいな話すごい共感した。日常生活ではありえない話しぶりなんだけど、それを自然ですよなんてカモフラージュせずに隠そうともしないところが良いという指摘。わかるー。 - 2026年3月3日
無人島のふたり山本文緒膵臓がんステージⅣと診断され、化学療法をしないと決めた山本文緒の日記。書かなくてもいいんだと思っていても、書いてしまう。本も読むし映画も見る。最後かもしれないという人たちが会いにきてくれる中、こんな状況でなんと声をかけて良いか困っただろうにと人の立場の心配もする。体調悪くなっていった中、ステロイド治療始めた途端に体調良くて効きすぎててステロイドすごいと同時に怖かった。カップラーメン食べたいと夫にせがむとこで泣いた。 - 2026年2月15日
腹鼓記(新潮文庫)井上ひさし読み終わっためちゃくちゃ面白かった。鍼灸の先生が読んでてよくこんなに嘘をつけるものだと感心していたので、影響受けて読んだけど、なるほど、確かに良くもこれだけ嘘をつけるものだと言ったことが納得できる。狸や狐に関するありとあらゆるそれっぽい作り話が展開されてくわけだけど、ちゃんと起源や根拠がはっきりあるのでなんだか信用してしまう。聖徳太子とか宮本武蔵とか大石内蔵助は実は狸から人間になった奴らで、人間に文化を与えているのは狸であるという壮大な嘘。狸世界でのスポーツを詳しく説明してくれてると思ったらただただ野球のルールを狸の目線で説明してたり、狸の古典「腹鼓記」の文章も古事記らしく言葉が使われてたり、狸と狐の合戦時に加勢にきた魚類軍一々に適当な名前があると思いきや植物群にも鳥類にも名前がずらずらと並べられてたり。そういうどうでも良いところに筆が乗っているのが非常に好みだった。そして人間の愚かさよ。狸の日和見主義、どこか抜けた所のある滑稽な存在論に魅力を感じた。 - 2025年8月17日
死んでいない者滝口悠生読み終わった読んだ。語り手の言葉が時に登場人物の声のように、時には死者のように、時に全て俯瞰して見ている者のように移ろいながら心地よく進んでいく。葬式に関係する親族たちのそれぞれの動きが、それぞれの思考が、葬式という非日常の中でさまざまな過去の記憶が綴られていきながら進行する。ここに来られなかった人たちもここにいるように感じ、時には死者とも会話し、死者と死者のかつての会話も繰り広げられる。不思議なことが起こっているようで起こっていない。現実に起こっていることなんだけど、温泉入りながら空中浮遊してたり、不可思議な出来事も起こっていながら起こっていない。 はっちゃんが故人と敦賀へ旅行したことを思い出しながら、故人とやり取りするシーンが好きだ。昔はすぐ口論になった仲なのに、いつからか口論になるのを踏みとどまるようになっていた。互いに結婚して子供もできた時期に何故二人で旅行に行ったのか、何をしに浜辺に行ったのか、はっちゃんは思い出せないでいる。このことに対して、誰だか分からない語り手が本当にそこには理由などなかったのかも知れず、幽霊みたいに浜に腰を下ろして波の音を聞いていただけなのかもしれない。と喋ったあと、そうだったらいい。と一言で締める。この、そうだったらいいって感じてる奴誰やねんなんだけど、本当にこのそうだったらいいには共感しかなく、この誰のものかもわからない願望に惹かれるのはなんでなんだろうか。多分、故人とはっちゃんの若い頃の二人が、浜辺でただただ波の音を聞いてる光景に憧れてる?理由も経緯も意図も全て取り去った二人の時間を感じられる気がする。そうだったらいい。本当。 - 2025年8月17日
空港にて村上龍読み終わっためちゃくちゃ面白かった。村上龍全然読んだことなかったんだけど他も読みたくなった。一番最初の「コンビニにて」を読んだ時の衝撃。コンビニ内で起こる一瞬一瞬の出来事を、俯瞰的に綴りながら登場人物の語りと絡ませて進行していく。しかし時間が全然進んでいない!水滴で雑誌が濡れるとか、籠を肘に滑らせる様だとか、見落とすしかない些細な出来事を出来事として綴っている。同時並行でその場を共有する人物の超ミクロな出来事を、一瞬一瞬を積み上げていく。かっこいい。かっこいいよ龍さん! - 2025年8月4日
- 2025年8月3日
日出処の天子 完全版 1山岸凉子 - 2025年8月3日
- 2025年7月26日
崑崙奴古泉迦十読みたい - 2025年7月21日
このあたりの人たち川上弘美読み終わった腹抱えて笑うわけでなく可笑しい。震え上がる怖さなどないけど怖い。普通にみんな暮らしてるのに変。みんな変だけど人間らしく、あり得ないことなんてないんだと感じる。 登場人物が紹介されて、その登場人物が別の物語で登場した時に、その登場人物の特性が維持されている時の嬉しさ。特にかなえちゃんのお姉さんが好きだった。かなえちゃんのお姉さんが初めて登場した時、語り手のわたしにかなえちゃんに内緒でひっそりと見せてくる箱に入った人形ののうみそ。少し汚れてるなど絶妙な質感を伴っていて怖かった。そして彼女のその後はイタコになったり、銀行主催の運動会でエアライフルの一位になったり、変な臭いものを山で拾って共に長い間生活したり、その変な臭いものが地球に衝突する隕石食い止めて銅像が建てられたり、とても素敵な一生を送ることになる。それを見てる私とは一体誰なんだ! - 2025年7月5日
ストリンドベリ名作集毛利三弥読んでる自然主義的悲劇をと意気込んでいた時代の「令嬢ジェリー」を読み、巻末の「幽霊ソナタ」を読むとその落差に驚き果てる。幻の少女出てくるしミイラ出てくるし、物語は良くわからんし、仏陀仏陀言ってるし、めちゃくちゃに感じるけど面白かった。作家って後年になるとめちゃくちゃになってくのかね。 - 2025年6月28日
妹が死んだ時の海亀朱雀門出読み始めためちゃくちゃ面白い。 言語感覚がめっちゃ面白い。「はまっちゃいなよ」「触っちゃおうかしらねえ」と繰り返してる母と息子のやりとりが怖すぎた。表題作含め奇妙な言語感覚が炸裂してる。まだ読み始めたばかり。 - 2025年6月28日
カッパのカーティと祟りどもの愛 1宮崎夏次系読み終わったバイトリーダーのトイレットペーパーとワサビとガリシーンで心奪われた。 おじいの遺言のアマソンの箱から接着剤出てきたり、出来事が面白いのに重要要素として転がっていく。怖くて面白い。 - 2025年5月26日
山頭火-風の中ゆくジョン・スティーブンス,村上護山頭火の捨ててゆく旅路。妻も子も捨て、坊主となって世間も捨てて、挙句の果てにその坊主も捨てて、風の中をゆく。常に辞世の句、酒が水になったような境地、山頭火の句がすこぶる良い。 「こおろぎになかれてばかり」「あるいは乞うことやめ山を観ている」「まつすぐな道でさびしい」「うしろすがたのしぐれてゆくか」 マジで俳句良い。うしろすがたのしぐれてゆくかに関しては極地至ってる。主観も客観も時雨と共にごちゃごちゃの、おぼろげに溶け合った私の後ろ姿を私が観ている。カッコ良い。 - 2025年5月25日
方法としての面接新訂土居健郎読んでる序盤に夏目漱石の「彼岸過迄」の探偵属性を持った登場人物、敬太郎の説明で、傍観者に徹するだけでは本当の意味で観察者を分かることができない。本当に分かるとためには、傍観者の立場を越えなければならないと、敬太郎を反面教師として捉えなければならないとしてるところがまず面白い。分かる分からないの話。経験したことあることに関しては分かる。しかし経験したことがなくても分かると感じることがある。それはこれまでの経験したことに類似していると感じているため、経験していなくてもわかると感じることができる。しかしこの分かる、分からないはあくまでも日常的範囲での分かる分からないであって、精神面接の上では日常的意味を超えたものでなければならない。 というか分かるって思ってしまったら思考停止する。患者は問題を抱えて来てるわけであって、分かる分かる、神経症ね躁鬱病ねと診断をつけてレッテルを貼ってるだけでは問題の解消にならない。(もちろんそれも重要だけど)まず何が分からないかが分かることが重要で、分からないことを分かっていくプロセスの中で患者自身気づかなかったことに患者自身が分かることもある。 これはおそらく面接だけの問題ではなくて、演劇も文学もありとあらゆるものが「何が分からないか分かる」とこから始まっているんではないかと思うんですねえ。いま読んでる山﨑哲「俳優になる方法」に「表現とは転倒だ」って書いてて、分かるようで分からんのだが、「お前足が早くて良いよな」ってA君が言う時、A君の中に「自分は足遅くて嫌だ」という自分自身に対する違和や不満が転倒してそのセリフが出ている。それだけでなく、そう言うことで意識的にか無意識的にか自分を守っている。ってことがあるらしく、つまり表現とは転倒であるって見方で俳優はセリフを見ていかなければならないってことなんだけど、これ今なんの話なんだろう。
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