原っぱレスラー "種の起源" 2026年8月24日

種の起源
種の起源
カン・バンファ,
チョン・ユジョン
5,6年前に買って積んでいたものを、今更ながら読んでみた。 面白い! なぜ読んでこなかったのか疑問に思うほど。 帯にある「悪人の誕生記」のキャッチコピーに、読み始めたその時にはピンとこなかった。被食者である主人公による不幸な復讐劇を目の当たりにしているように感じていたからだ。 しかし読み進めるにつれ、主人公は純粋な捕食者であって、復讐は不幸でも不運でもなく必然でありその本懐である、ということがじわじわとわかってくる。読者はその復讐譚を最前列で見せつけられる。 サイコパスの中でも上位1%だという捕食者(プレデター)、それを描いた作品として、まず思い浮かべるのは『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターだろう。猟奇殺人とその犯人をテーマとした作品は多いし、人気も高い。 『種の起源』が『羊たちの沈黙』やその他の作品と違うのは、その捕食者が「彼」でなく「ぼく」として描かれる点にある。 著者自身があとがきで語っているように、類まれな悪行を犯した類まれな悪人に共感するのは難しい。三度の書き直しを経て誕生したという本作と主人公ユジンは、読者がその類まれな悪人に共感し、その悪行を追体験することを可能にする。 物語の序盤では、ユジンは自分自身を無害な被食者だと思い込んでいる。事実を知りながら平然と嘘を吐いている、と言った方が近いだろうか。だから、読者もそれを信じる。 事実が一つずつ詳らかになっていくにつれて、ユジンは自分の残虐さを隠さなくなる。自身を覆う重たい羊の皮を内側から食い破り、残虐な獣が生まれる様を、読者は目の当たりにすることになる。 この小説のもうひとつ特異な点として、物語の中で流れる時間の遅さがある。 物語は数日間の出来事で、第一部では状況がほとんど動くことなく進んでいく。第一部が終わる頃になっても、ユジンは自宅から一歩も外に出ていない。 受け入れ難い光景を目の前にして、そこから逃避するように過去の回想を繰り返すユジン。現場にいながら事実を忘れているユジンが一つ一つの出来事を思い出すごとに、読者にも事実が開示されていく。 この構造によって、読者がユジンに同情し、共感する準備が整う。冷静に考えてみれば、この時点でユジンの行動はすべて保身によるものでしかなく、共感や罪悪感の欠如した人間の姿そのものだ。 しかし、ユジンの巧みな自己弁護、つまり著者の描写力によって、読者は簡単に騙されてしまう。少なくとも私はそうだった。 じれったい第一部を抜けると、徐々にスピードは上がり、エピローグへと至る頃には激しいドライブ感にくらくらしてくる。 それが現れるまでの変化があまりにもゆっくりかつスムーズなせいで、決定的なシーンになってようやく、ユジンの邪悪さに気付く。著者による描写のコントロールの的確さには凄まじいものがある。 序盤を読んでいる最中、これ以上何か進展することがあるのか、と思ってしまったが、最終的には予想もしなかった所まで連れて行かれる。 終盤、自分の悪行を棚に上げ、自己弁護と自己憐憫を堂々と重ねるユジンの姿には恐怖を覚える。 恐ろしいのは、ユジンに共感や憐れみを持っていたはずの自分が、簡単に掌を返してしまえることである。 自分の中の残忍さに気付くことは恐ろしい。著者が「ワクチンを打つような気持ちで」この作品を読んでほしい、と言った意味がわかる。どんな人の心の中にも暗い森がある。重要なのはそれがそこにあるのだと知ることだ。 話の構造は全く異なるのだが、私は本作を読みポン・ジュノ『母なる証明』を思い出した。母と息子との癒着した関係性が描かれている点で近しいものを感じた。 本作ではキリスト教にまつわる描写もちょこちょこ登場する。聖母子像を想起するのも当然だろう。 東アジア的な母と息子の関係にキリスト教が混じるイメージは、韓国という国の独自性なのかもしれない。 英題『THE GOOD SON』は趣味の悪い冗談のよう。 凄まじい。
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