やん "コーランと聖書の対話 (講談..." 2026年8月28日

やん
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@grilledyangyang
2026年8月28日
コーランと聖書の対話 (講談社現代新書 1169)
コーランと聖書についての比較・議論をする本かと思いきや、著者がエジプトで見た現地人の生活と信仰、教会や修道院、聖人ゆかりの土地や史跡を巡るエッセイっぽい本書。コーランの話は最後の30ページくらい。 コプト教徒とエジプトの現在、ムスリムの素朴な信仰心を知る興味深い本であるが、なんかこう、思ってたのと違ったな(笑) カイロ大学で教鞭を執っていたクリスチャンの著者が、エジプトでのムスリムとの生活を通して感じた事柄を語る本書。啓典の民として、クリスチャンはムスリムの信仰のあり方に習うことがあるはずだと語る。 ユダヤ教徒、クリスチャン、ムスリムがモーセまで立ち返ることができれば、そこに一体感が持つことができる基盤がある。それを身を持って経験することで、互いが兄弟である自覚を持てるはず。 事実、歴史上には啓典の民が平和共存していた時期は確かにあり、お互いの信仰や制度の良い部分を学び合うことが再び出来れば理想的だろう。聖書もコーランも慈悲や慈愛を説いている。 ただ、宗教の教えや信仰心だけでは、この問題の解決は成し得ないのではないか。同時に政治的な問題として考える必要があるように思う。 現にアレキサンドレイア図書館の破壊も、イベリア半島でのユダヤ人・ムスリムの追放、十字軍、そして現代のパレスチナ問題に至るまで、も政治力学が宗教対立や弾圧を助長した側面を否定できないだろう。 宗教だけで、信仰のあり方だけで解決を図ろうとするのではなく、政治権力に利用される構造を見なければならない。 アズハル大学の医学部では、一年次にコーランを徹底的に学ぶという。また、ヨーロッパやイスラムの大学には教会やモスクの礼拝堂があるという。 まさに著者の言う「ヘブライズムの宗教的発想と、ヘレニズムの科学的発想は切り離して考えることはできない」のである。 「最も解放された場・空間」としての「礼拝」が、他者への暴力になっている現代の宗教問題を考える上で、かつて宗教が入り混じって共存できていた「解放の場」を振り返り、今どう作り直すかに思いを巡らすことができる本だった。 そして、コプト聖伝など、エジプト土着の伝承は興味深いが、知らん話が当然のようにされて「えっ?」となる(笑) 『聖家族のエジプト逃避の旅に同行した乳母のサロメ』って誰?え、知らん人なんやが。え、ヨセフの前妻なの?コプト教徒には周知の登場人物なの? バルナバの福音書を読んでる前提で書かれても困るんですけどね。 このように、『共同体の中で生きている物語』としての伝承、それらが作り出させる背景もまた興味をそそられる。
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