
いつか
@Someday_apfel
1900年1月1日
正欲
朝井リョウ
読み終わった
本当に信頼している人にでも言えることと言えないことがある。逆に、大切な人に言えないそれを全然どうでもいい人にはさらっと言えたりもする。
長い時間交わりがあればあるほど、相手にとってのわたし像がはっきりと存在していて、それを壊してしまいそうなことは言うのが難しい。
躊躇っている言葉が、どれだけ聴いてほしくて分かってほしいことであっても
かつて読んだこの本は、その感覚を言い得てくれたようで少しうれしかった。
本当に伝わってほしい誰かからは娯楽と割り切って読まれていたのかもしれないが、まずはこの作品が売れてくれて、多くの人の目にふれられることになってありがたいと思っていた。
なんだかなあ、「あなたを大切に思っているから、どんなことでも受け止めるよ、言ってみて」なんて、本当に拒絶せざるをえない吐露の前では意味が消えてしまうんだよな
さらに皮肉なもので、それを受け容れられるわけない人や、そもそも善悪観念が強くて“多様性”の対応しうるキャパが小さい人に限って、喜んでそういうことを言いたがるみたいに感じる。
自分の肩書きのために都合の良い他人の苦しみには寄り添って、(この人のドン底はわたしが救いました)みたいな顔をする。でも当然のように自分の想像に及ばない、有り得ない、おぞましい、耐えがたい性質には蓋をして離れていく。わたしにはそれがとても気持ち悪く感じてしまう。
だから容易に他人をぜんぶ信頼するなんてできないし、救いを求めることができない。言わなければ平穏に人間関係を続けることができるのに、言うことで全部が壊れてしまうのに、なぜできるだろう。
根本の苦しみを和らげたくて、だれかに共感してもらえる可能性に逃げたばかりに、穢れたものが溢れてしまうのだから、やっぱり自分のそういう欲は封じていたほうがいいと、想像ではなく経験に基づいて強く思うようになった。
こんな屁理屈めいたこと考えないでいるほうが簡単に楽しく生きられるはずなんだけど、考えてしまったので感想文がわりの記録


