あんどん書房 "特攻隊振武寮──証言:帰還兵..." 2026年9月6日

特攻隊振武寮──証言:帰還兵は地獄を見た──
平成18年にNHKスペシャルで放映された「学徒兵 許されざる帰還〜陸軍特攻隊の悲劇〜」の書籍版。 著者の大貫健一郎さんがミュージシャンの大貫妙子さんの父であるということ、それと最近感動ドラマに仕立て上げられがちな特攻隊についてもう少し知りたいというので読んだ。 第一章は召集から特攻隊に志願するまでの経緯が語られる。 当初は歩兵連隊に入れられたという大貫さん。しかし軍務経験の無い学徒ということで徹底的にいびられたという。そんな環境から脱するために、一年足らずで将校になれる「特別操縦見習士官(特操)」に志願する。 そこからは戦闘機乗りになるために訓練には明け暮れる日々。同じ学徒出身の仲間もでき、三重の明野教導飛行師団でも飛んだという。 しかし戦況が悪化する中、陸軍航空のトップから直々やってきて、「新任務」への参加を訓示する。応募紙に書かれていたのは「熱望する/希望する/希望しない」の選択肢。 その任務が爆弾を抱えた突撃だと知り、戦闘機乗りを目指す彼らは始め拒否しようとするが、結局は「熱望」をしてしまう。そこにあったのはやはり、軍隊組織内での学徒としてのプライドだった。 “学徒だからといって馬鹿にされてたまるかという意地のようなものが根本にありました。二束三文の消耗品だとか、軍人精神が入っていないとか毎日言われていたので、それに対する強い反発心が湧いてきたのです”(P36) 若者の格差やコンプレックスがいかに都合良く使われていたのかが分かる話だ。集団内で立場差を設けて対立を作っておけば結果的に上の都合良くことを運ぶことができる。恐ろしい。 各章の合間にはディレクター渡辺さんによる時代背景の解説が挟まれる。 陸軍は当初ソ連の方を重要視していた一方で海軍は米英を意識して南方戦線を広げていったという流れは初めて知った。そもそも特攻隊って海軍なの陸軍なの?ぐらいの知識不足なのでこの解説は助かる。予備学生は海軍、特操は陸軍。特攻兵器に先に着手したのは海軍。台湾沖航空戦の、練度の低さから見誤った戦果を大本営発表してしまい、引くに引けずとんでもないレイテ戦に突入してしまったという組織のガバガバさ。 ついに招集がかかり、「と号第二二飛行隊(のち第二二振武隊)」に転属する大貫さん。この部隊は操縦士が通常つける白マフラーではなく、喪服に倣った黒いマフラーを付けたことから「黒マフラー隊」とも呼ばれることになる。 ここでページを割かれているのが同隊に所属する十一人の仲間達について。二十歳前後の青年たち、しかも死の運命を共にする面々の間には特別な一体感が育まれていく。 しかし昭和二十年二月末、戦闘機「隼」に乗り急降下の訓練が始まると、見えてきたのは特攻の困難さであった。 “それでも一二人のなかには、どうせ死ぬのだから勇ましく死のう、俺は行くぞという、英雄気取りが三人いました。それから絶対成功しない、当たらないという、特攻そのものに懐疑的な者もいた。[…]特攻隊と一口にいってもそういういろんな人間の集団だったわけで、戦後世間で大づかみにいわれているような、みんな国のために勇ましく死んだなんてことではけっしてなかったのです。”(P95) それぞれの思いを脇に、飛行隊は沖縄作戦への参加を決定され、都城を経由して知覧へと移動することになる。 再び解説。沖縄戦時点ですでに日本軍の暗号は筒抜であったこと、またレーダーの性能差が圧倒的であったことが指摘されている。「海軍暗号書D」が解読されていると気づいていたのに、それに代わる新暗号が浸透していないので旧暗号と一緒に送ってしまい新暗号も解読されちゃった、というこれもまたお粗末な話も。 解説後半は陸軍航空本部長・菅原大道中将の日記から、どのように郡内で特攻が是認されていったのかが読み解かれる。 海軍に遅れを取っている焦りや、あらゆることが後手後手で、どんどん体当たり以外の道が閉ざされていくという悲惨な歴史だ。 捷号作戦とか連合艦隊司令官とか名前の響きに格好良さを感じてしまうところはあり、でも本当にちゃんと知らなければならないのは「逃げ場をなくした約一万名の民間人が島北部のマッピ岬(通称・バンザイクリフ)などで自決している」(P53)というようなことのはずだと思う。 そして第三章はついに出撃に至るまで。美談コメントを取ろうとする報道部員や、「お国のために立派に死んで参ります」と書かれた「遺書の見本」などなど、特攻を正当化しようとする社会のクソさが伺える記述もある。そんな事実があったのだから、特攻隊員の遺書なんてものもどこまで信頼できるものか。 第二二振武隊がついに出撃を迎えた昭和二十年四月三日。担当整備兵が急遽報告する。戦闘機がエンジントラブルで飛べる状態ではないという。 これもまた偶然ではなくヒューマンエラー。知覧にかき集められた整備兵たちには最新式のエンジンの知識がなかったのだ。さらに飛べないのは大貫さんだけでなく、12人中5人が飛ぶことができないという。それまで仲間達と訓練してきたからこそ死地に赴く覚悟を決めていたところが出鼻をくじかれ、ますます特攻への意欲が薄れていったという。 その上当時の日本軍は完全に全てを読まれており、飛び立ったもののすぐにグラマンに撃墜される者も多かったという。 数日後、やがて整備が終わった大貫さんたちは、別の隊に組み込まれて出撃することになる。視界が悪い上に、たった三機での飛行。それでも参謀は判断を覆してはくれない。 “「軍神」にまつりあげられてしまったんです、我々は。神風が吹くとか神兵が舞い降りるとかもてはやされて、精神的に縛られていたわけです。嘘でごまかして飛ぶのを拒否したら、軍法会議にかけられて死刑ですから。敵前逃亡したなんてことになると、家族がどんな目に遭うかわからない。軍神って、つまりはそういうことだったんです。”(P160) いまでいう闇バイトみたいなもんだよな。家族を人質に取られて。 四月五日に知覧を発ち喜界島で一夜を明かすが、翌六日の早朝、ついにグラマンの襲撃に遭う。共に飛んでいた仲間は撃墜されて爆発。大貫さんはとっさに爆弾を切り離し、徳之島に不時着する。 ここからの展開もあまりにも壮絶で過酷。隊長や仲間の爆死を知らされ、喜界島では困窮生活を送り、内地に戻るため飛んだ重爆撃機が銃撃されて爆発するのも目の当たりにする。 そんな数々の死線を乗り越えて戻ってきた大貫さんを待ち構えていたのは代わりの特攻機ではなく、「振武寮」への軟禁生活だった。毎日毎日上官からいびられ、軍人勅諭や般若心経を写経させられる日々。「軍神」として華々しく散ったことにされている者たちが実は生きているということは軍にとって信頼を揺るがしかねない事態なので、特攻の生還者は徹底的に秘匿され隔離されていたのだ。これはもう日本の悪いところが全部出ているような史実だと思う。しかも公的にも「死亡」で二階級特進扱いにされていたため、戦後結婚の際に戸籍の復活でかなり苦労されたのだという。 第六章は戦後、慰霊の旅を始められたエピソードが書かれている。この章にはものすごく印象に残る場面があった。実際に仲間の死を目にした大貫さんが、遺族にその話をするのだが、遺族はその死の真実をなかなか受け入れられなかったのだという。 “遺族としては米艦隊に突入したと思い込んでいるし、そう信じたいのです。[…]西長も大上も柴田小隊長も伊東も立川も全員敵艦を撃沈したことになっており、遺族は感状をもらっています。でも感状などというものは、みな同じ文面なんです。”(P267) ここに、特攻が美化されてしまう根本的な原因があるんじゃないだろうか。つまり、 ・エンジントラブル、練度不足、戦力差などにより、実際に特攻を完遂した者はかなり少ない ・しかし、戦果確認機も飛ばされていないので事実は不明である ・だから国でははとりあえず感状を発行し、華々しく散ったということにしている ・遺族は、せめて特攻をしてお役目を果たしたのだと思っているし、事実を受け入れ難い ・なぜならば、無駄死にということになってしまうから そうしたことを踏まえた上で、最後に大貫さんの語る言葉はとても重い。 “喜び勇んで笑顔で出撃したなんて真っ赤な嘘。特攻隊の精神こそが戦後日本の隆盛の原動力だ、なんて言う馬鹿なやつがいますが、そういう発言を聞くとはらわたがちぎれる思いがします。陸海軍あわせておよろ四〇〇〇人の特攻パイロットが死んでいますが、私に言わせれば無駄死にです。特攻は外道の作戦なのです。”(P292) “青春を謳歌しているいまの若者たちを見てうらやましく思うこともあります。でもいまの若者たちも不幸にして戦争に直面すればやむを得ず特攻隊員になってしまうかもしれない。そんな時代が二度とやってこないようにするためにも、私は自分が見た悲惨をしっかりと後世に語り継ぎたいのです。”(P292-293) この本はもっと多く読まれなければならないし、これからも読み継がれなければならない。 本文書体:リュウミン ブックデザイン:日下潤一+長田年延+荒井千文
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