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あんどん書房
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@andn
本を読みまとまりのない私的な感想をダラダラと書くのが好きです。買う速度に読む速度が明らかに伴ってないのに借りた本まであって大変です。
  • 2025年11月14日
    レンブラントの帽子
    レンブラントの帽子
  • 2025年11月12日
    女性差別はどう作られてきたか
    タイトルの通り、差別は自然に広がったものではなく、人為的に広められてきたものである。 “差別の根底には、自分と異なる他者に対し自分の方が優れていると思いたいという感覚があります。[…]こうした感覚だけでは社会的な差別構造は成立しません。それが当たり前で正しいのだという明確な説明が必要です” (P19) 本書は女性差別を後ろ盾する根拠となった制度がどのように成立したのかを、西洋と日本それぞれの歴史から解説する。 まず西洋ではキリスト教における聖書解釈から男>女という価値観が根付いていたとされる。それを近代社会にまで持ち込んで制度に組み込んでしまったのがジョン・ロックの「社会契約論」なのだ。 ロックが王権を否定するために持ち出した自然状態では、女性は当然男性に従属するものとされていた。また、国家と家族が分離された結果、女性は私的領域に閉じ込められることとなった。 このような女性の立場をより固定化してきたのが、コモン・ローにおける「カバチャー(coverture」」である。この法のもとでは、妻は財産や自身の肉体に対して無権利状態とみなされる。 さらに18世紀、ウィリアム・ブラックストンが「契約」の概念を適用したことにより、この差別構造は20世紀まで引き継がれてしまった。 一方の日本においては、徳川幕府が儒教にもとづいた政治を行ったため女性差別の構造を作ったとしばしば説明される。しかし、実際江戸時代までの日本の「家」構造は夫婦が共同で運営する中小企業のようなものであり、西洋のように女性が無権利状態におかれているわけではなかった。 日本において西洋的な女性差別構造がもたらされたのは、明治時代の民法制定の際に西洋のものを参照したこと、その後の法整備において戸主=男性の権利を優遇したことが差別構造を生み出した要因である。 また、本書ではこれらの制度のなかにおいて、男女平等的な価値観を唱えたホッブスと福沢諭吉の論も紹介されている。それぞれの制度が生み出される際、女性差別的でない方法が可能であったということが、現実的に選択された制度を批判する形となっている。 以下、感想。 まずすべての根源的な創世記の価値観。ここは実際聖書を読んだときにも違和感を覚えた気がするが、この解釈のために生み出された何世紀もの差別を思うとやり切れない。 日本の「家」構造や夫婦のあり方に関しては何となく昔からそうだったんだろうなと思っていたので、意外だった(もちろんこれはあくまで「ある面においては制度的に西洋よりマシだった」というだけの話で、女性の役割は限りなく固定化されていたのだろうが)。 歴史にほとんど関心を抱いてこなかったので難しかったが、構造を知るためには制度のことももっと知らなければならないなと思った。 本文書体:リュウミン 装幀:原研哉
  • 2025年11月12日
    日本のZINEについて知ってることすべて: 同人誌、ミニコミ、リトルプレス―自主制作出版史1960~2010年代
    最近、ZINEが分からなくなってきたので。 1960年代〜2010年代の自費出版史を概観する一冊。7割ぐらいが実際の刊行物の紹介になっているビジュアル本であり、フルカラーで書影を見ることができる。年代ごとに章が立てられており、扉にはその時代の作風をざっと俯瞰するような対談が載せられている。また後半には関係者諸氏へのインタビューも収録。 もちろん星の数ほどある自費出版物を網羅するなんて到底無理なので、あくまでお二人の蔵書や知識に基づいた内容にはなっているが、なんとなく時代の雰囲気みたいなのは感じ取れて面白い。 “つまりDIYというのは世界的な高度経済成長の最中に,余暇に楽しむ趣味性の高いモノづくりのことだった。趣味がスタート地点だからこそ画一的な大量生産に抗うものが作れる。[…]大資本に依存し過ぎて潰されないようにする術が“趣味”にはあると思う。選択肢の多様性を広げることが独占への対抗手段だから。” (P13) 元来のDIYについて、ばるぼらさん。これは健全なZINEづくりマインドのヒントになりそう。昨今の赤字を出さないことを重視する風潮について、野中さんは「チープな贈与文化としてあるZINEのことも忘れないで! って言いたくなっちゃう」(P13)とも。 中村公彦さん・BELENEさん・山川直人さんの鼎談「コミティアという場所/マンガの周縁に在りつづけて」(P217-220)の中に、森博嗣さんが三重大助手時代参加されていた同人誌『JET PLOPOST』の話が出てきている。そのサークルの「東京支部長みたいな感じ」がコミティア初代代表・土屋真志さんだったとか。そんな繋がりもあるんだなぁ。 “「私は店で取り扱うにあたって,見栄えがしっかりしてることをすごく重視してました。手作りのものは本屋として扱いにくいんです。いろんな紙切れが袋に入ってるとかね。重ねられへんし,棚にも差せないし” 誠光社・堀部篤史さんのインタビューより。これはやっぱり、お店側からするとそうだよな〜と思う。逆に言うと独立系書店をフォローするだけでは出会えないZINEも限りなくある。 ZINEという言葉にはまだまだ「最近流行りの」という枕詞がつきがちだけれど、広く見ればもっと歴史はあるはずだよな〜と思っていた。ので、本書でその辺のことを色々と知れたのが良かった。 ポリティカルなもの、音楽的なもの、ファッション的なもの、サブカル的なもの……とそれぞれに歴史があって、デザイン性なんかは今の各ジャンルにも引き継がれているような気がした。 一方で、圧倒的に都会中心の文化だった。70年代以降のタウン誌の流れも、東京のカルチャーに触発されてという部分があるらしいし。そして現代では「タウン誌」っていったら毎月ポストに投函されてる、お店の広告とクーポンが付いてる冊子というイメージしかない。正直広告だけならSNSでもう十分なのだから、あえて紙でやるなら違ったことをやって欲しいな。 自分の納得感の落とし所としては、「自己表現」と「コミュニケーション」のバランスみたいなところを考えるのが良さそうだなと思った。読んでもらう、お店に置いてもらう、売れる……などを追求すると現在の最適解はエッセイアンソロジーみたいになるけど、もっとミニなコミュニケーションでいいのであれば古本市で五部配るでも全然いいわけで。派閥は違えども、そのどちらも「ZINE」と捉えるのに十分な歴史はあるということ。 最近はZINEイベントも細分化してきたので、ここらで「コピー本オンリー」があっても面白いかも。 本文書体:?(分かる方教えてください。本欄に似てるが濁点の処理が違う…。方正黒体には似てる) 装丁・デザイン:山田和寛(nipponia) イラスト:丹野杏香
  • 2025年11月11日
    ぐつぐつ、お鍋
    ぐつぐつ、お鍋
    二日間お鍋を食べながら(うちの鍋は味噌煮)読んだ。 池波正太郎が小鍋立ての良さを説いた後に東海林さだおが小鍋立ては陰気だなんて書いてて面白い(その孤独さを称揚している文章ではある)。もちろん狙って並べられてるんだろうが。 フグについて書いている面々も多く、山口あたりの武士はフグに当たったら不忠不孝で家名断絶だったみたいな話も初めて知った。 いきなり「アンコウのトモズの舌触りは少なくとも接吻よりは多様である」(P65)などと言い始める宇能鴻一郎も面白いし、小島政二郎の書く泉鏡花のエピソードもなんだか可愛らしいおじさんだし、池内紀は「ちくわは穴がおいしいのだ」(P88)なんて名言を残している。 ねじめ正一「すき焼き——父と二人だけの鍋」は父子水入らずの旅館の夜を回想した一作。これは良いなぁ。 「腹がくちくなる」っていうの、久々に聞いた。形容詞だから終止連体は「くちい」になるのか。そうなると「くるちい」から来てそうだなと分かる。 ラスボス的存在の北大路魯山人は、貝類は鍋に入れすぎると味を悪くするのでよろしくないと仰っており、貝苦手な私としてはそーだそーだと言いたくなるのだった。 しかし出汁の出るものと出汁を吸うものを交互に煮るとか毎回具材を綺麗に片付けてから次を入れるなんてのはご家庭のお鍋ではあまりに面倒なので、そこは寄せ鍋でいいです…。 筒井ともみ「寄せ鍋嫌い」では、家族が不安定だったゆえに鍋が嫌いになった話が書かれている。確かに、純粋に楽しい鍋の思い出を持っている人ばかりじゃないよなぁと思った。 料理の話は時に残酷なまでに格差を映し出す。(昨今はそういうアプローチの小説も多いよね) 最後の最後が岡島京子による鍋料理でなく鍋自体の話で終わっているのもおかしみがある。「メリークリスマス!」ということで、やはり今の時期に読むのが良い一冊だった。 (ただし、お鍋の文章をずっと読んでると胸焼けがしてくる。次はサラダとかを読みたい…) 本文書体:リュウミン カバー装画:植田まほ子 ロゴ・表紙デザイン:粟津潔
  • 2025年10月29日
    今夜はここで栞を3
    今夜はここで栞を3
    先日円頓寺で買った「本にまつわるエッセイ集ZINE」こと『今夜はここで栞を3』を読む。第一号は大阪文フリ、二号は岐阜駅本の市、そして円頓寺、と毎回いろんな場所で手に入れているのが面白い。そして今のところ唯一シリーズで勝っているZINEかも。 今作もレトロ印刷さんの特殊印刷カバーとリソ刷り本文がものとして素敵だ。 確かこのシリーズは元々FFとかのオンラインゲームで開催されている読書会メンバーが中心に参加されていたと思うのだが、今回は初っ端から海猫沢めろん先生で、確実に豪華になっていっている。 ZINEは感想を書いたらほぼ著者に届くので、一言ずつコメントしていきたい。敬称略。実際にどんな本が紹介されているかはネタバレなので、想像するか買って確認されたし。 海猫沢めろん「黒煙と鳩」。作家にとって最高傑作は最新作(夢枕獏がそう言っているらしい)はなるほど確かに作り手としてそうだよなぁと思った。自身の一冊が燃える描写で終わるのが作家らしく、美しい。 ぬこ「感性まで消費するか、消費を感性で乗り越えるか」。教育の罪業と美術館賞の意義について。何でもかんでもアウトプット前提で向き合おうとしてしまう(それはこのZINEを読むことについても言える。自己矛盾。。)態度。自分も消費社会、というより資本主義的意味第一主義社会の豚です…。 湯屋こゆ「傲慢ロリィタはこうして創られた」。乙女的反抗としてのロリィタ。なるほど、そういう在り方でもあるのか。ユリイカ2024年5月号とか読んだらもっと理解深まるだろうか。 仲村景「リビドーとフィロソフィー」。著者にとって恋愛と読書は似ているという。読書に向かうリビドーというのが面白いなと思った。でも確かに言われてみると自分もそこまで理性的に読んでないかも。 守田樹「柔らかくてあたたかい」。苦しみを忘れないでいるための読書。自分だったら辛い時期を思い出してしまう読書は避けるかもしれない(今のところ忘却曲線がそれを上回っているのであまり思い浮かばないが…)。それを分かりつつ向き合えるだけ、強いのだと思う。 綿巻あまね「日本における棺桶に入れるということは即ち燃やしたいということ」。肥大化した自意識…うっ頭が。その効能を聞いてしまうと、積読にあるこの本を直ちに読まねばならない気がしてきた。 久納美輝「梅を知る」。自身の経験から本の話に繋げ、そしてテーマの「棺桶に入れたい」まで持っていく流れがものすごく上手い。この方の書評をもっと読みたいと思った。 だんて「少年期の夜想曲」。小説を読んだかのような読後感。ご本人にとってはもちろんリアルな人生で、自分にはとても想像できない。が、こうして小説のように語れるようになった出会いというのは大きいのだろうと思った。 史依明「死に賭ける」。自身に降りかかった「死」と、見えてきた限界について。非常に重い経験をされているのに、どこか前向きさを感じられるのがすごい。 矢凪エチカ「あの魔女は竜になって別の空を飛んでいるよ」。“私たちは大人になると、死を遠ざけることを学ぶ”。本当に。向き合ってるようで向き合っていない、みたいな。児童文学、もっと読んでみたい。 パンダ大明神「拝啓」。「あなた」への手紙であり、読者への手紙でもあり、そしておそらく著者自身への手紙でもあるのだろう。なるほど、そういう本だったのかということを知った。 北彗白朔「おばけの漬物になりたい」。おばけになってしたいことの数々はどれもほっこり。由々しき噂は自分も初めて知ったが本当に由々しきである。自分の場合は、どうしたものか。。 木澤曽元「煙でも土でも食い物でもなく、ただ金になる」。そのノリでこの本(しかも原語)が出てくるの、面白すぎるな。読書会猛者(?)のかほり。 塒小太郎「英雄失格」。若さとともに失われてゆくものについて。でも年老いると逆に童心に帰るとも言うし、もしかしたらまだまだ分からないのではないだらうか。 真尋「盆暗青春狂騒曲(独居編)」。勢いが楽しい。まさに青春。しかしそれ程までの怖さなのか、積読にあるこの本は……。自分も読んだ暁には誰かにプレゼントしようかな(ふつうに嫌われそう)。 あたろう「好きな場所へ行こう、キミならそれが出来る」。ロックだ。曲として聴くのと、こうして文章で読むことはまた違う感覚がある。 イチトセ「ごめんね、とりさんが大活躍する話じゃなかったと思うんだけど……」。トリ判定の広さに思わず身近な方を想像してしまった。これはもう「墓場まで持って」行ってあげてくださいね。 宗谷ヌマ「あの世のお供はこれから作れ」。確かに自分も急にこのお題を出されたら悩むだろう。作ってやるという目標目指して生きていくというのも、それはそれで楽しいかもしれない。 ゆーかり「我が子の手で棺に入れてほしい本」。最も「棺」から遠い場所でともにあった本だからこそ、なのかもしれない。改めて、いろんな人生のさまざまな時に寄り添う本があるのだなぁと思う。 穂坂ユズハ「三ツ矢サイダーとサクレの夏に」。確かにこのテーマを考えられること、その余裕があることは「贅沢」なのかもしれない。人生には本なんて読めない時もままある。その苦しみを自分が理解することはできないけれど、生きてこうして「特別な一冊」を届けてくれてありがとうございます。 最後の25ページにはだんてさんの詩と矢凪さんの写真で締めくくられている。単純な連想だけれど中島みゆきを思い浮かべる。 「時間」と「言葉」という二つの要素がさまざまな結び目を作ってゆくのが興味深い。そういえばYesにも「Time and a Word」という曲があったではないか。
  • 2025年10月21日
    わたしたちの怪獣
    以前に読書会で紹介されていたので知った気がする。で、たまたま図書館で見かけたので借りたのだ。ジャンル的にはSF短編集? 四作収録されている。 表題作の「わたしたちの怪獣」。「わたし」が家族に隠れて免許を取得したその日、妹が父を殺し、舞浜には怪獣が出現する。「わたし」は父の古いカローラに乗り、怪獣騒動に乗じて父の遺体を遺棄しにいく……という展開。 そもそもなぜ父が殺されたのか、という理由が、父が職場でふざけた撮った写真がSNSで炎上し、子どもたちは虐められ、母は出ていき、父はストレスから子どもたちに暴力を振るうようになったから……というのがめちゃくちゃ現代的で救いがない。怖あ。 暴れ回る怪獣に対しては当然自衛隊が出動して、その戦況のようなものが合間に挟まれているのだが、ここは読んでてめっちゃ『シン・ゴジラ』だなと思う。ちなみに怪獣には脅威の自己再生能力と、触れたものを消滅させてしまうシャボン玉を放出する能力があるので、自衛隊も手が出ない。 この怪獣は死んだ父親なのではないかという匂わせがあり、いや、怪獣は私たちの心の中に……みたいなところで「あ〜」となるのだが、最終的にあんまり関係なさそうだぞという感じで終わるのが良かった。 個人的にこういう話は、実際はどうだったのか(怪獣は私たちの何かしらが具現化していたのか)よりも、作者が何を書きたかったのかが気になる。本作に関して言えば、やはりここなのだと思う。 “生きるということは、進むということなのだから。それが、正しい方向であればいいと思う。わたしもあゆむも、ずいぶんおかしなところへ行ってしまった。いまは引き返して、もう一度前に進む準備をしている。” (P70) 道を誤っても引き返せるということ。いや、現実世界であればもうかなり絶望的な状況ということになってしまうのだが、だからこその怪獣なのかもしれない。むしろ怪獣は社会の方だよな。ありきたりな言い方だけど。 続いて二作目「ぴぴぴ・ぴぴっぴ」。某シュールギャグ系漫画を思わせるタイトルだが、おそらく特に関係はない。 小型タイムマシンが発明された社会。主人公は「時間局」に勤務し、事故などで死亡する運命にあった人々を助ける「声かけ」の仕事をしている。 山奥での寮暮らしに退屈している主人公の唯一の楽しみは、動画投稿サイト〈パイプス〉に投稿されるとあるユーザーの動画である。事故が「声かけ」により改変される以前の様子を撮影するその動画には、様々な人物の死亡シーンが収められており……。 この時点である程度想像されるオチがあると思うが、実際はそんな綺麗なものではなく、不条理とまではいかないまでもモヤっとする感じだった。「ぼく」と小栗は表裏一体だったのだろうか。 三作目「夜の安らぎ」。飛行機事故で両親を失った少女・楓は伯父伯母の家に居候をしている。学校では虐められ、バイト先ではモラハラ気味の店長に小言を言われ、そして従姉妹の未佳に対しては報われない恋を抱いている。 そんな現実に苦しむ楓のもとに、どう見ても吸血鬼としか思えない男が現れる。楓は自分を吸血鬼にして欲しいと懇願するが……。 個人的にはこの作品がいちばんまとまりの良さを感じた。終わり方についてはそうなっちゃったかぁと思うところもあるけれど。 最後はこれまたクセの強い「『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』を観ながら」。とある出来事で手に怪我を負い、逃げるように小さな映画館に入った「ぼく」。そこでは伝説的“Z級”映画の「アタック・オブ・キラー・トマト」が上映されようとしていた。映写機のトラブルで客の大半が帰った後も残っていた「ぼく」と個性的な面々たちは、外で大きな爆発音を聞き、その後に発令されたJアラートに従い映画館に立て篭もる。外では人々の頭が2倍に膨らみ「ゾンビ」と化してしまう現象が発生していたのだった——。 ゾンビものの王道的展開をゆきつつ、表題作と一瞬繋がったところはテンション上がった(同じ世界線なのかは不明だが)。映画のタイトルがすごい出てくるのだけどほぼ分からないので、知っていたらもっと楽しめるだろう。恐竜神父は冒頭30秒だけ見たことあるけど……。 全編通してのテーマは割とはっきりしていて、現実と非現実ということなんだろう。登場人物たちは苦しい現実に置かれていて、そんな時、目の前に非現実への扉が開く。そこで彼らはどのような行動を取るのか。 “いつだつて現実も、世界も、わたしを拒絶してきたじゃん……普通に生きられないようにしてきたじゃん! だから、幻想の世界に行くしかなかったの” (P190) 「夜の安らぎ」で主人公が叫ぶ言葉が強く印象に残った。 本文書体:リュウミン 装画:鈴木康士 装幀:岩郷重力+WONDER WORKZ。
  • 2025年5月29日
    隣の国の人々と出会う
  • 2025年5月25日
    新編 みなかみ紀行
  • 2025年5月25日
    無言板アート入門
  • 2025年5月25日
    臨床とことば
    臨床とことば
  • 2025年5月25日
    穴
  • 2025年5月25日
  • 2025年5月25日
    八月の銀の雪
    八月の銀の雪
  • 2025年5月25日
    なつかしい時間
  • 2025年5月25日
    きみがぼくを見つける
  • 2025年5月25日
  • 2025年5月6日
    地下鉄道
    地下鉄道
  • 2025年5月6日
    愛の夢とか
    愛の夢とか
  • 2025年5月6日
    最後の瞬間のすごく大きな変化
    最後の瞬間のすごく大きな変化
  • 2025年5月6日
    コンプレックス・プリズム
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