
はぴ
@happy-reads
2026年9月7日

声めぐり
齋藤陽道
読み終わった
『つながりの言葉学』で知った齋藤陽道さん。
幼少期の原風景から、声を失って、「こえ」を取り戻す軌跡。
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『ぼくはこの雪のひとかけらたちを、「声」として見て、聴いた。
聾する者は、ひとつのふるまいや自然現象といった、ことばなき沈黙のなかで閃いているものを「声」として聴く能力をもっている存在なのではないか。
その力は、僕にも備わっているのではないか。写真が、その能力を、一層ふくらませてくれるのではないか。
一面の雪の中で閃いた直感は、希望と言っていいほどに強く光っていた。』
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『差別は差別を生みだす。差別された経験は、より弱い者をふみにじってなんとしてでも強者の立場にはいあがろうとする悪循環へと追いやる。』
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『対話とは、お互いがお互いをわかり合うために試みられるものではなかった。
殴るとき、相手の痛みはわからない。殴られるとき、この痛みを相手は知らない。そのように、語らえば語らうほど、お互いの異なりが浮き彫りとなっていく。
「もうだめだ」「どうしたってわかり合えない」「共有できない」「伝わらない」という痛みや苦しみからこそ、始まるものが対話だった。
異なりを痛感するほどに「わたし」が「あなた」という他者に向けるまなざしは新しくなる。「あなた」が「わたし」に注ぐまなざしもまた輝きを増す。
対話は、わかり合うことのできない異なりをお互いに受け止めながら、なお、それでも関係を結ばんとするための行いだった。』
→そんなふうに関係を結んでいこうと思える人と出会えるのが羨ましい。自分も相手も、どうしたって摩擦は避けてしまうもんなぁ😔
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『けれども、意味のあることばだけで心が通い合うかと言えば、そうではない。
むしろ、取るにたらないと思えるような、ささやかで「無駄」なことばに、人格のすべてが凝縮されていることもある。
そんな「無駄」なやり取りがさりげなく積み重なるところに、人と人との関わりが生まれる。』
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なんとなく、若松英輔さんぽいな、って思ったら、いちばん最後の後書きに若松さんの文章心得(?)が引用されてた。
『これが、自分が描く最後の文章だ、と思って書くことだ。今、書いている言葉は、生者だけでなく、死者たちにも届く、と信じて書くことだ。そして、この文章は、誰か未知の他者が、この世で読む、最後のものになるかもしれないと思って書くことだ。』
→あ、タゴールの【100年後】って詩を思い出した!
Youtubeの朗読で初めて聴いたんだけど、あれは良かった・・・






