
ジクロロ
@jirowcrew
2026年9月10日
書くことの不純
角幡唯介
読んでる
人々を本当に驚愕せしめ、そして瞠目させるのは、それが他者の理解をよせつけない無気味な行為であるときだ。それだけにひとたび書かれてしまうと、その究極の無意味さ、無気味さの領域には永久に到達することができないから。
(第一章 書くことの不純)
読みながら、カフカのことを思う。
カフカは書くことでそれを成し遂げている。
カフカは書くための行為を残していない。
彼の居場所のなさが、彼自身を不気味さの領域へと、隠(暗)喩の彼方へと追いやっているようにも思える。
強い罪悪感が、どんな不条理も受け容れる土壌を生む。その感覚はなんとなくわかる気がする。
罪悪感は、生命に優先順位をつける、つけられた(書かれた)優先順位に従うところからやってくる。そしてカフカは虫や動物に等しくなる。
虫や動物には書かれたものが通じない、そして「書けない」という強みがある。
行為に重きを置こうとする人は、この本に書かれた内容に同意できる。書くための行為は不純であると。ここにも優勢順位の原理がはたらいている。
自身の度重なる失態(という観念)に追い詰められた人は、書くことで隠し、膨らます。
麻痺した現実感覚にさらに麻酔をかけてしまえば、どんな不条理のうちでも当然のように過ごせる。
カフカは行為の動機もその結果も持ち上げない。
「そうせざるを得ない」を書くという行為でオブジェにし、その傍を素通りしていくように。
そしてその足で究極の無意味さ、不気味さに辿り着く。
書かれない行為が無限な解釈を抱擁するように、
カフカは書かれたことにそれを求めていたのかもしれない。
