おしん "穂高小屋番 レスキュー日記" 2026年9月9日

おしん
おしん
@chetrueshin
2026年9月9日
穂高小屋番 レスキュー日記
漫画「岳」のモデルの人のはなし 2年連続で奥穂高岳行ってたし、色々考えさせられる本やった。 人の都合と山の都合、それは当然山の都合が優先されます。しかし、少ない休みの中で登山を楽しむ人が山の都合ばかりを考えていたら、ろくに山は登れません。それも理解できます。社会生活における関わりがそうであるように、どちらかが一方的であるのはよくないのではないかと。 といっても山に「ちょっとはコチラの都合も考えろよっ」と言ってみても、それはどうにもなりません。相手はゼッタイに自分を曲げないトンデモナイやつなのです。いくらお願いしてみたからといって、風が弱まることもなければ雲が晴れることもありません。ならば人の側が折り合うしかないのです。 その「折り合う」というのが大切なのでしょう。「ああ、こりゃあ山の機嫌が悪いのやなぁ、ちよっとオトナシくしておこうか」と山頂に行くのはあきらめる。あるいは「車が新穂高にあって白出沢を下りたいが増水が心配。しかたがない、あとが面倒だけど上高地へ下りるか」というこそれをゴリ押しするとイタい目に遭う。イタい目で済めばよいのですが、命を落としては元も子もないでしょう。山というのはゼッタイにいうことを聞かないガキみたいなもんですから、こちらが「大人の対応」をする。 これまでにも救助する側が救助中に不慮の事故で死亡するという深刻な事態が起きたとき、そもそもそうした救助を要請した者を非難する声がありました。遭難者たちの救助要請があまりに安易に過ぎたというのです。しかしそれは話が別です。救助要請の是非は検証されるべきではあっても、それと救助中の事故とを結びつけるのは間違っています。さらにちょっとつけ加えると、 要救助者の人となりも遭難救助では問題とされません。その人がお金持ちか貧乏人か関係ないのはアタリマエ、社長はんであれ年金生活者であれ、助けられるものは助けるし、天気とかが悪くてできないときは相手がどうであってもできません。 山の遭難への批難としてこれもよく見聞きする「自己責任」というやつ。たしかに山は「自己責任」。それはそうです。でも、もう自らではその「責任」を果たすことができなくなっている状態を「遭難」というのではないのでしょうか。そうした人を助けるのに自己責任もクソもないやろうと。小屋からすぐの登山道で、転んで頭から血を流している人に「白己責任やから、自分で血い止めて」とは言えないでしょう。あるいは不幸にも滑落してお亡くりになった人を「それは自己責任で・・・」と放置しておくことだってあり得ません。自己責任と自業自得は違います。 「行動を誰かに伝えておく」のは、べつに罰則があろうがなかろうが登山者としての義務であると思います。それは自分自身のためでもあるし、周囲に迷惑をかけないためでもあります。登山届以外にもそのためのツールはたくさんあるし、家族へのメモ程度でも十分でしょう。ただし、できるだけ詳しい内容を記さなければいけません。なにせ「穂高」といっても広いのですから、できるだけ詳しい内容を記さなければいけません。なにせ「穂高」といっても広いのですから。 誰も山で死のうなんて思っていません。でも、ほくやあなたが山で命を失うことは起こり得ます。 その「覚悟」は持つべきでしょう。しかしだからといって、穂高へ向かうなら机の中を整理してから行けとか、家族との別れを済ませておけとか、遺言を残しておけとかいうのではありません。 なにも死ぬことへの覚悟をしろというのではないのです。そうではなくて、必要なのは生きるための「覚悟」です。 それはしっかりとした事前の準備であり、注意深い行動であり、山への畏れであり、断固として無事に山から帰るという強い思いなのです。 そのアクシデントにいたる前段しての「転落・滑落・転倒」が数多くあると思えるのです。 先に挙げた岳沢から吊尾根への例でも、これから踏み込もうとする場所への状況認識と想像力をはたらかせれば、「思いもしない突然の悪天候によって・・・・・」ということにはならないはずです。 リスクマネジメントとは、さまざまな危険を未然に防止するための管理手法や活動をいいます。 同じようなことが山でもいわれるようになってきています。「危険を避ける」あるいは「回避」することがリスクマネジメントであると捉えられがちですが、じつはそうではありません。そこに存在するリスクを「知ること」です。 そもそも山に登るという行為は、そこに存在する危険を受容することなのです。 ベテランであろうが、山は人を差別しません。そこに存在する危険や困難は誰にもあるのです。「オレだけはダイジョウブ」なんてことはありません。山では臆病になること。も重要だと思います。 山を畏れること。 山に謙虚になること。 山の経験を積むとは臆病を重ねることでありましょう。 ぼくに言えるのは、そのときの現場での判断というものは「正しいかどうか」ではなく、「やれるかどうか」が大切ではないかということです。そして重要なのは、現場のリーダーが「これ」 と決めたら、たとえ異論があったとしても周囲の者はそのことに力を尽くすということでしょう。 批評や批判は事が終わったあとにいくらでもすればいい。でも現場ではあれこれ言っているひまはないし必要もないのです。ぼくが常々遭難現場で心がけているのは、「断固として(物事を)決める!」ということです。
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