
プールに降る雨
@amewayamanai
2026年9月12日

ヒロシマの光
大江健三郎
読み終わった
ヒロシマ・ノート、そのほか広島の原爆関連の文章。
戦争の惨禍は歴史上の一点において終息するものではなく世代を超えて連綿と続くということを、戦後八〇年以上経った現在の視点から、戦後二十年の広島の現状を取材した大江の切迫した文章に重ね合わせながら読むと、被爆者の受けた苦難は身体的なものばかりでなく差別や政府による冷淡な対応という現在まで引き継がれる社会的な構造によるものであることが浮き彫りになり、進歩発展とはやはり幻想なのかと暗澹たる気持ちになる。
2024年に被団協がノーベル平和賞を受賞し世界から注目されたいっぽうで、ことしの平和記念式典のあいさつにおいて、主体性をあいまいにした言いまわしで将来的にも非核三原則を堅持するとは“宣言しない”首相が過半数の支持を得ている現在に危機感をおぼえる。
“ある日、かれは、年長の医師に、戦争が終ったあとまで、なぜ広島の人間がこのように苦しまねばならないのかと議論をしかけ、当然のことながらそれに納得のゆく答をえられないまま、三十分後、崩れた壁のなかから剝きでたボルトに綱をかけて縊死した。戦争が終ったあとまで、と青年歯科医は考え、そしておそらく、じつは広島の人間にとって、真の悲惨な戦争が、なお終っていないことに気づいたのだ。なお数十年にわたってつづく(それはいま、すでに二十年つづいている)、あるいは、次の世代の原爆症の問題として、いつまでも果てしなくつづくかもしれない、そういう最悪の疑わしい戦争が始ったばかりであることに思い到って、かれはついに縊死をえらぶほかなかったのだ。” p.103「屈服しない人々」
“戦争直後、戦争の悲惨を中心に置くとすると、日本人はそこから四方にむかって逃げだした。すなわち戦争の悲惨を遠巻きにするドーナツ型が、われわれの生活形態であった。ところが消費文明の繁栄の今日、人々は戦争の悲惨を底辺に置きざりにして上へ、上へと逃げ、そこにはオリンピックを頂点とするピラミッド型ができあがった。しかし、このピラミッドの内部の暗闇の空洞は、決してうずめつくされたのではない。広島の人間的悲惨はそこに存在しつづけているのである。” p.139「広島へのさまざまな旅」

