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プールに降る雨
プールに降る雨
プールに降る雨
@amewayamanai
  • 2026年8月9日
    テクストの楽しみ
    テクストの楽しみ
    『批評の教室』で(たしか)参考図書として挙げられていたので読んでみたが、抽象度の高い断章形式で、さっそく何を言っているのかわからず、途中から評論、あるいはエッセイとして捉えるより特殊な小説か詩のつもりで読んだほうがいいかもしれないとモードを切り替えてみるも、あいかわらず言葉がすべって頭に入ってこず、むずかしい言葉を使っているわけではないので、たぶん、「AはBである」のAとBのあいだに(自分にとっては)大きな飛躍がある文章の連続だからだろうと考えながら読み進め、つぎはわかるかもしれないと根拠のない期待を抱かせる断章形式も手伝って、全体が短いこともあり気づくと読み終えてしまった。 訳者解説でも本書がバルトの著作全体の中でどのような位置付けであるかということと、(バルトの真の意図は措くとして、こじつけにしか思えなかったが、)バルトの性的指向がテクスト中に示唆されていることを本文を引用する形で指摘することに紙幅が費やされ、内容そのものについて理解が深まることはなかったとはいえ、わからないなりにも読めてしまう魅力があるのも事実で、ほかの著作も読んでバルトの思想と「バルト語」に馴染めば肚に落ちることはなくとも喉元くらいには落ちるのではないかという気がした。
  • 2026年8月8日
    ペンと剣( )
    ペンと剣( )
    『オリエンタリズム』を半ばまで読んだその合間に。 1987年から1994年に渡って行われた5回のインタビュー。 1993年のオスロ合意を挟んで、サイードの痛烈な批判の矛先は、イスラエル、およびアメリカ合衆国はもちろんのこと、パレスチナ知識人やPLOのアラファト議長に対しても厳しく向けられ、その歯に衣着せぬ語り口から氏の根底にある一貫した思想がうかがえる。 サイードが持っていた数々の問題意識が明解な言葉で網羅的に語られているということで、その人となり含めて、サイードとはどのような人物だったのかが把握できた気がする。 “ああ、あのイスラエル人ドライバーのことですか。僕がタクシーに乗り込むと、彼は僕が何者なのかを尋ねました。僕に見覚えがあったのかも知れません。彼は、自分はイスラエル人であると明かしました。僕は、「けっこう、僕はパレスチナ人だ」と応えました。ちょっと沈黙があって、 やおら彼は、自分は兵役を拒否したと言いました。「僕は西岸地区での軍役を拒否した。そのこともあって、今ここにいるんだ」。それから彼は、だから、俺たちの誰もかれもが悪人だというわけじゃないと言いました。イスラエル人がみな、警棒で子供たちを殴打する警官の姿にステレオタイプ化できるわけではないということを、彼は一生懸命証明しようとしました。それから彼 は、「俺たちは友人になることもできるよな?」というようなことを言いました。「そうさ、もちろんさ。きみのような人なら、友人になりたいと思うよ」と、僕は言いました。” p.95
  • 2026年8月6日
    Hiroshima Collection(ヒロシマコレクション)
    「異形の爪」は衝撃。
  • 2026年8月4日
    砂の粒/孤独な場所で 金井美恵子自選短篇集 (講談社文芸文庫)
    金井美恵子はむかし好きでよく読んでいたことを思い出し、いま読んだらどう感じるのだろうと枕元に置いて少しずつ読み進めていた。 最近触れていなかった、明朝体が似合う文体が乾いた砂地に染み込み心がうるおうようだった。 収録されているいずれの短編も眠っているときに見る夢のようで、おぼえようとしてもすぐに忘れる内容という意味でいえば読みながら寝落ちするには最適だった気がする。 解説で磯崎憲一郎も指摘している、書かれた言葉がつぎの言葉を生み、線上に連鎖していくような文章は、言葉遊びを得意とする多和田葉子に近いものを感じた。 人に見せる文章を少しでも書いたことのある人なら、金井美恵子の描写の異様な巧さがわかると思う。
  • 2026年8月4日
    人間の条件
    人間の条件
    プラトンからキリスト教、デカルト、ガリレオ、ヘーゲル、ニーチェ、マルクスなどの思想・研究を参照、ときに批判しつつ、人間の活動を「労働・仕事・行為」の三種類に分類して人類史を分析する射程の広い本書は、訳者によると後年展開されるアレントの主要な論点が集約されているという。 歴史の大まかな流れを踏まえたうえで「労働・仕事・行為」の三種類に分けるアレントの視点を借りると、現在自分が置かれている状況や生きづらさ(めちゃくちゃ働きたくない等)を相対化できて多少楽になる。 このように視界に補助線があらわれ、世界を新たな文脈で眺められる体験を求めて読書しているとのだということを再確認した。 アレントの知識と知性が言葉となって押し寄せる文体は樹海を彷徨うようで、これ何の話だっけ?と、しばしば自分の所在地を見失う。先に適当な入門書を読むか、少なくとも本書の要点が非常に簡潔にまとめられている巻末の訳者改題を読んだほうがいい(わかっていても読まないのだけど)。 じっくり読むと逆に迷子になる気がして全体に網をかけるようにざっと読んだこともあり、間違いなくうわべしか理解できていない。ここで触れられた論点を伏線としてこれからほかのアレントの著作を読んでから再読したい。そのような意味では、はじめてのアレントが本書で良かったのかもしれない。 なお、本書で取り扱われているのはあくまでも西洋思想史に限定されていることに留意する必要はある。世界って西洋だけじゃないから。 “彼が行為者、なされたことの本当の実行者になることができるのは、彼が同時に言葉を語る者である場合だけである”p.326
  • 2026年7月31日
    批評と真実
    批評と真実
    『批評の教室』の流れでタイトルだけで読んだけど、前提となる知識が乏しいため文脈がつかめず何をいっているのかよくわからないのに文字が大きくて短いからうっかり読了してしまった。 第一部はバルトの『ラシーヌ論』に対するラシーヌ研究者からの批判への反論ということで、怒りのバイブスだけは伝わった。 もう少し大きくなったら再読したい。 ISBNで検索しても出てこないので、登録リクエストしたら一時間ほどで登録完了。レスポンスが早くて感動。 バーコード検索から本のページへ遷移できたらいいなと思っていたので、それもついでに書いておいたら改善していただけるとのこと。ありがとう。
  • 2026年7月31日
    齟齬の誘惑
    齟齬の誘惑
    1997年から1999年頃の、著者が東大総長時代の式典の式辞や、大学関係の機関誌、広報、会報に寄せた文章、あるいは講演の採録などをまとめた一冊。 あとがきで、式辞などは「適当」に書いて切り抜けられるものを、「そのつど真剣かつ真摯に書いていた」といっているとおり、その場を成立させるためだけの通り一遍のスピーチではなく、また、著者一流のユーモアもふんだんに盛り込まれていて、読んでいて受ける。なかなか本題に入らない回りくどギャグとか、その場にいたら笑ってしまうと思うが、会場のじっさいの温度感がどうだったのか少しだけ気になる。 “近代のコンプレックスを助長しているのは、いたるところに危機のありかを指摘してまわる者たちの口調をなめらかにするこの悲観主義にほかなりません。それが堕落した近代の言説の政治性だとするなら、こうしたコンプレックスの病状判断はごく単純なものであるはずです。実際、してはならないことについてなら饒舌に語りはしても、やってよいことについては口をつぐんでしまうというのが、その典型的な症状にほかなりません。禁止については敏感でありながら、肯定することにはいたって無頓着な近代のコンプレックスにとらわれた者たちは、悲観的であることが言説の正統性の保証であるかに勘違いしているのです。「終わり」をめぐる言説の退屈な単調さは、肯定への感性を意気阻喪させたことに由来しています。” p.164 “ことスポーツに関する限り、参加することに意義があるなどといった根も葉もない世迷いごとに、断じて騙されてはなりません。あえて競技に参加するなら、その意義は、ひとえに勝利することにあるからです。いったんゲームが始まったなら、完膚無きまでに敵を蹴散らし、これを再起不能に陥らせねばなりません。そのために、精神と肉体の限りをつくすこと。それを除いてスポーツの意義などあろうはずもありません。” p.236 “ところで、小津の場合にはまず日本神話というものがございました。小津はなぜか、非常に日本的だと日本人も思い込んでおりましたし、ヨーロッパの人たちも最初は何のことだかわからない。同じ顔した人たちが何度も出てきて、次の映画を見ても、また「おはよう」なんてことを言ってるわけです。そのうち外国人もだんだん 名前を覚えてきて、いまでは笠智衆という名前はもっとも有名な役者の一人かもしれませんが、あの笠智衆が出てきて、「そうかね」と言う。その次の映画を特集で見ると、笠智衆が今度は違った女優に向かって「そうかね」と言ってるわけです。あれはなんだ、というのが 最初の反応でございました。” p.270
  • 2026年7月30日
    4 3 2 1
    4 3 2 1
    “選択肢は二つしかなくて、表通り裏通り、どちらも利点と欠点がある。たとえば表通りを選んで、時間どおり面接に着いたとする。そしたら自分の選択について何も考えたりはしないだろう? そしてもし裏通りを選んで、約束に間に合ったら、やっぱり同じで、一生そんなことはいっさい考えないだろうよ。だけどここから話は面白くなる。表通りを行って、三台の車が玉突き衝突して一時間以上交通がストップしていたら、車の中で動けずにいる君はひたすら裏通りのことを考え、なぜあっちに行かなかったんだと自問し、間違った方を選んだ自分を呪う。だけど本当に間違った選択だったと、いったいどうやってわかる? 裏通りが君には見えるか? 裏通りでいま何が起こっているかわかるか? 巨大なセコイアの木が裏通りに倒れてきて、通りかかった車を叩き潰してドライバーが死んで、交通が三時間半止まっていることを誰かが君に知らせたか? 誰かが時計を見て、もし裏通りを行っていたら潰されたのはきっと君の車で死んだのは君だったと伝えたか? あるいは、木など倒れはせず、表通りを行ったのは間違いだった。あるいは、君は裏通りを行き、 木が君のすぐ前の車の上に落ちて、ああ表通りを行くんだった、と身動きも取れず車に乗ったまま悔やむ君は、どのみち表通りを行っても三台の玉突き事故で面接に間に合わなかったことを知らない。  要するに何が言いたいんだ、アーチー?  自分が間違った選択をしたかどうかは絶対にわからないってことさ。わかるためにはすべての事実を知る必要があり、すべての事実を知るためには二つの場所に同時にいる必要があり、それは不可能だ。  で?  で、だからこそ人間は神を信じる。  それって冗談ですよね、ムッシュー・ヴォルテール。  神のみが表通りと裏通りを同時に見ることができる。すなわち、君が正しい選択をしたのか間違った選択をしたのかは神のみがわかる。  神にわかるとどうして君にわかる?  わからないさ。でも人間はそういう前提に立つ。あいにく神は、どう思っているのか絶対人間に言ってくれない。  こっちからいつだって手紙は書けるぜ。  そのとおり。でも書くことに意味はない。  何が問題なんだ? エアメールの切手代がないのか?  宛先がわからないのさ。”p.225
  • 2026年7月30日
    夢みる宝石 (ちくま文庫 す-31-1)
    夢みる宝石 (ちくま文庫 す-31-1)
    『トピーカ・スクール』の訳者つながりで。 どのような小説なのかは訳者解説に一文で書かれている。 “これはひとりの孤児が酷薄な家と学校を逃れた先であたらしい人や芸術と出会い、変容していく成長物語であり、超自然的存在をめぐる闘いが、カーニバルを舞台にときに禍々しく、ときに奇妙な美しさをたたえて展開するゴシックホラーであり、抑圧者に虐げられてきた者たちの復讐劇であり、彼らの運命がそのまま人間と生命への問いかけになっている、SF的仕掛けに満ちた冒険譚である。” まったくこの通り。 SFとかファンタジーは肌に合わないことが多く途中で離脱することがしばしばあるのだけど、これは最後まで楽しく読み通せた。 行動原理に愛がある純粋な人間を衒いなく描くことで得られる強度ってあるな。
  • 2026年7月28日
    人間達(アイヌタリ)のみた星座と伝承
    Twitterの広告で見た。こんなんいいに決まってますからね。
  • 2026年7月24日
    アンチ・ジオポリティクス
    Twitterで見かけた。
  • 2026年7月24日
    サリンジャー初期短篇全集
    サリンジャー初期短篇全集
    サリンジャーが二十代のころに書いた中短編。 [目次] いまどきの若者 エディに会いに行けよ コツをつかめば 壊れた物語の心 ロイス・タゲットの長い長いデビュー ある歩兵隊員に関する個人的メモ ヴァリオーニ兄弟 雷が鳴ったら起こしなよ 一軍曹の死 最後の休暇の最後の一日 週に一ぺんくらい死にやしねーだろ イレーン フランスにいる少年 このサンドイッチ、マヨネーズないよ 赤の他人 僕は頭がおかしい マディソン・アベニュー近辺で起きたささいな反乱 ウェストが全然ない一九四一年の女の子 転倒した森 ウィーン、ウィーン 針音だらけのレコード盤 (出版社WEBサイトより)
  • 2026年7月22日
    4 3 2 1
    4 3 2 1
    小説なんて長ければ長いほどいいですからね。 まだ30ページしか読んでないのにぐいぐい話が進んでもう20人くらい出てきてしかもそれぞれが個性を持った存在として立ちあらわれてくるうえに信頼の柴田訳もあって圧倒的なリーダビリティをもあわせ持つ。まさに稀代のストーリーテラー。すごすぎる。
  • 2026年7月19日
    シネマトグラフ覚書
    シネマトグラフ覚書
  • 2026年7月18日
    批評の教室
    批評の教室
    もう何もかも忘れていくので映画や本の感想を書きつけるようになったのがわりと最近のことで、そうすると作品を分析的に見ることが自然と習慣づいてきたので、さらに批評のやり方を学べばより深く内容を理解できて楽しめるのではと思い読んだのだった。 批評をするには何か特別なルールでもあるのかと漠然と思っていたけど(あるにはある)、その人の批評スタイルによるので、事実誤認さえしなければわりと自由に書いてもいいらしい、と理解。 今後、批評を書く予定はないけど(面倒なので)、この本を読んだことは大変有意義だった。 あと、やはり北村紗衣先生はうっすらおもしろい。 以下、メモ。 プロローグ * 批評とは解釈と価値づけである。 第一章 精読する * 作品内の事実を認定する。 * 作品が描いているものを読み取る。 * 作中に出てくるものはすべて意味がある。 * 複数回出てくるもの、しつこく描写されるもの、通常であれば出す必要のないもの(例:トイレに行く)に注目する。 * フィクションは展開に必要なことだけ描写する。 * 自分の性的な嗜好が評価に影響を及ぼすことがある。 * 信頼できない語り手に注意する。 * 登場人物が嘘をついていないか注意する(「映画館に行く」と言って出て行く人はウソをついている)。 * 作者には死んでもらう(作者の意図を重要視しない)。 * 作品の社会的・歴史的背景を理解する。 第二章 分析する * 巨人の肩の上に立つ(過去の業績を参考にする)。 * 分析スタイルはひとつではない(戦略的に批評理論を利用する)。 * タイムラインに起こしてみる。 * 図を描いてみる(人物相関図など)。 * 物語を要素に分解する(抽象化・類型化する)。 * 作家が各作品でよく使うモチーフを整理する。 * 成功価値(作者が遂行できたこと)と受容価値(鑑賞者が得る経験)。 * 作品の「友達」と比較する(間テクスト性に注目する)。 * 題材となる作品を中心にネットワーク図をつくる(「友達」をつなげる)。 * 関連作品をできるだけ押さえる。 第三章 * 批評それ自体が芸術である(という気概を持つ)。 * 切り口を絞る。 * タイトルをつけて内容を決める。 * 一段落目で作品内容を説明する。 * 切り口を提示する。 * 切り口に沿った分析をする。 * 批評はコミュニケーションである。 * ルールを理解した上で必要に応じてルールを無視する。 * 批判を覚悟する。
  • 2026年7月16日
    崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)
    アフリカ文学ははずれがないからな〜。 “古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。「アフリカ文学の父」の最高傑作。”出版社のウェブサイトより。
  • 2026年7月15日
    人間の条件
    人間の条件
    急に具合が悪くなるを見たあとに図書館でほかの本を探していたらこれが棚から飛び出ているのが目に入り、手に取ると紹介文に“「労働」、「仕事」、「行為」という三つの活動の絡み合いの中で「世界からの疎外」がもたらされるさまを描き出した古典。”とある。前々から興味はあったし、映画のテーマとも通じる部分がありそうだし、これはいま読むべきタイミングなのかもしれないと借りたのだった。 アレントははじめてだけと、意外と読みやすく、プロローグからパンチラインのつるべ打ちでおもしろい。 “およそ人が行い、知り,経験したことは言葉で語られて初めて,言葉で表現された範囲においてのみ意味を持つことができる。”p.19 “われわれが直面しているのは、労働なき労働者社会、つまり、労働から解放されたにもかかわらず、残された唯一の活動がほかならぬ労働であるような社会の到来である。”p.20 “さらに言えば、行為というのは何よりもまず政治的な活動であるから、政治にとって中心的な範疇となるのは出生であって死ではない。”p.27 “人間は自分が触れたものをただちに自分の存在条件にしてしまう、そのような意味において、人間は条件づけられた存在なのである。”p.27 “私はここでの課題を二つの点に限定している。第一に、人間の条件がもたらした諸活動全般を分析すること。それらの諸活動は、人間の条件そのものが変化してしまわないかぎり、回復不能な形で失われることはない。第二の課題は、歴史的な分析を通じて、世界からの疎外〔 world alienation 〕をその起源まで遡って追求することである。”p.22
  • 2026年7月15日
    他なる映画と 2
    映画作家としてコンスタントに作品をつくりながらこのようなかっちりした映画批評・映画論も並行して書き、かつ講座でもしゃべっている監督っているのだろうか。作家自身が書く作品論はいわば手の内を明かすことでもあり、自身の制作物に対してそれが実践できているのか厳しい視線が注がれることにつながるから怖くないのかなと思ったけど、あとがきによるとべつにそういう感じでもないらしい。もっと遠くを見据えているのかもしれない。
  • 2026年7月13日
    美学講義(一九五八/五九年)
    美学講義(一九五八/五九年)
  • 2026年7月13日
    プシコナウティカ
    急に具合が悪くなる、の着想を得たという本。 図書館にない。六千円。
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