
繁栄はん
@han-ei-han
2026年9月17日
人生というクソゲーを変えるための仏教
ネルケ無方
読み終わった
ネルケ無方のファンである友人から贈られたため読了。
人生をクソゲーと捉えて、自殺にマインドシェアを奪われている人が書いた本。
仏教的なことだけでなく、彼の幼少期や今の家庭のことを踏まえて語られている。坊さんだけど妻子持ちなので珍しいと思う。もはや坊さんというより講演家や執筆家という方が正しいのかもしれないと思った。
過去作に引き続き、相変わらず文章は非常に読みやすい。マジでその辺のクソなエッセイよりよっぽど読みやすい。
仏教についても、彼自身が学んで身になったものを彼の言葉として紡いでいるため飲み込みやすい。
しかし、私は期待してしまっていた。
僧侶が規律に反してまで家庭を持ち、子を養う親となった先に、どのような仏教としての教えを見出したのか。
作中では幾度となく「ゲーム」という言葉が使われる。
自ら作り出した親という業に苦悩し、その果てにそれをゲームとして認知し、切り取っていく。
その文章からは、もはや僧侶の姿は見えなかった。
僧侶が物書きになったのではない。
僧侶だった物書きになったのだ。
どうせいずれ死ぬなら自殺したらよいじゃないか! という捻くれた幼少期の彼の業に付き合ってくれた彼の親。それを彼自身が僧侶になって、親になって、執筆をしてもなお、人生はゲームという感覚なようです。ご立派なことです。
ここまで読んで、私はずっと「なんやねんこいつ」と思っていた。
人生の事象の切り取り方が下手くそ。
嫌なことを嫌なこととして、自分まで嫌になっている。
別にどうだってよいではないか。生きているのだから、死を考えて嫌な気持ちになりましたって言いたいだけ。思いたいだけ。それに共感して何になるのだ。
あるがままに今を慈しみ生きたら良いのではないのか、と。
ところが、最後まで読んで安心した。
彼は別に、高いところから「悟り」を説いていたわけではなかった。
「坐禅しても何もならない」「坐禅している時だけは何も達成しなくていい」「悟りなんか開かなくてもいい」と言う。挙げ句、「悟らなくたって、人生って結構楽しい」という気づきこそ、一種の悟りなのかもしれないとまで書いている。
なんだ。ちゃんと降りて来てくださっていた。
私がずっと「なんやねんこいつ」と思いながら見ていたものもまた、彼が自分自身を見つめ、書き出したものだったのだと思う。
そして私は、その彼を見て「なんやねんこいつ」と思っている自分を見ていた。
著者を観察して、腹を立てて、最後には腹を立てている自分まで見えてくる。
そう考えると、随分とこの本らしい読書をさせられた気がする。
なんやねんこいつ、と思っていた。
なんや、ちゃんと坊さんだった。
好!