
ブタ
@konomi1539
2026年9月18日
読み終わった
プロローグ
自分が就職活動に悩んでいた時に、手にした本。
就職活動をしないというのは、情けなく不甲斐ない行為だと思い、しかしどうしても就職に踏み切れない自分の心情にヒントを与えてくれるような、プロローグだった。そうだ!自分は何て傲慢でわがままなんだろうと気づいた。就職をする人は皆んな自立するため、安定したお金を稼ぐため、自分の好きなことをするためなど、自分のために就職をしている人がいるのと同時に、家族に迷惑をかけないため、親に安心してもらうため、恋人を養っていくため、結婚して子供を産んだときの養育費を稼ぐためなど、人のために就職する自己犠牲的な人もいるのを思い出した。私は自分が結局大好きで、自分の夢のために、家族に迷惑を不安を与えてまで就職を捨てようとしていて、情けないなと感じると同時に、就活をしない決めたからには夢の為に精一杯やれることはやろうと思った。彼は就職活動をしていく過程でフィクションを創造することに可能性を見出していく。現実を通してフィクションのまま生きていくのではなく、フィクションを通して現実を生きていくのと、どちらが彼に適していたか。それは圧倒的に後者で、彼は最後まで就職活動をしなかった。何も悪くない。ただ適正に従っただけだ。立派な選択。
三月十日
記憶って本当に不思議。忘れたくても忘れられないのは分かるけど、急に記憶が何の前触れもなく嫌な記憶を回想しないといけない時があって、本当にしんどい。私もこの主人公のように、そんな記憶の暴力に己を守る為に、捏造して言い聞かせて思い出に上手く馴染ませて生きてきたのかもしれないと思った。でもいつか、忘れたという感情すら忘れてしまう1番悲しい世界に行くのなら、忘れられずに悶絶している世界の方がまだ温かみのある世界なのかも?
小説家の鏡
占いというのは、人を騙す行為であるというのは断定できないと思った。その人の中に何かを与える、それが行動力、心的救済、などなど、、それがマイナス方向に働く可能性もあれば、プラスに働く可能性もあって、、本人の人生をいい方向へ促す占いとかがあればいいのにね。占い師全員、他者の救済を目的としてくれていたらハッピーなのにね。
君が手にするはずだった黄金について
目に見えるもの、人に褒められるようなものを手に入れることが、自分自身を肯定できる唯一の方法なのだとしたら、例えのちに地獄を見ようとも、一瞬の輝きを打ち上げるためだけに奮闘する気持ちもわからなくはない。
彼は、高級な暮らしを得て快楽を得るのではなく、株の運用能力という才能を得て快楽を得たかった。しかし、才能というものは、どんなに追い求めても
手に入らない先天的なものだ。才能のない人間が、才能を得た時に得られる快楽を疑似体験したければ、そうするしかなかったのか。なんて悲しいの。
しかし、そんな嘘まみれの虚構まみれの人間を軽蔑しようとしていたラストに、それは創作者も同じなのではという語り手の問いに、度肝を抜かれた。確かに、嘘をいかにキラキラしたものに変換して、受け手に信じ込ませるかという点では、同じだ、、。本質的には変わらない。びっくり。
偽物
内面がギラギラしているとは、コンプレックスの塊という言葉がとても腑に落ちた。私も劣等感を抱いている時は焦燥感から誰に対しても敵意をむき出しで、誰のことも信用できなかったから。
創作できる人間というのは天才、才能があるから創作できるのではなく、実社会を生きる上での才能の無さが発端となりそのコンプレックスを埋める作業が創作なのか。つまり、才能があれば創作なんてしなくていいし、才能のないものが雄一救われる場所が創作なのかもしれない、、。
創作は虚構性を孕んでおり、それゆえに、虚構にまみれた人を思いっきり糾弾できない「僕」、、何とも言えないね。
受賞エッセイ
小説家の定義。資格や称号がなく、通らなければならない道筋も決められていないからこそ、はっきりと断言できない。安定感や安心感が一切ないという不安、しかしそれらを代償に、自由を手に入れられる。小説家という職業は見えない世界を見なければならない。しかし現実はどうしようもなく襲いかかってきて、それらをどけようとするのではなく、それらを育みながら虚構の世界へと一緒に連れていく、虚構の世界と現実が出会い、それらの境界線が曖昧に混ざり合った瞬間に世界が青々と広がっていく様子が美しかったなー
