
じょるじゅ。
@kameupaupa
2026年9月19日

読み終わった
難波先生の新刊ということで拝読いたしました。
今回のテーマはズバリ「色々な対象に感じる“さみしさ”の正体」なのですが、これまでのご著書の中でも、難波先生の感覚(美的経験)がかなりベースとなっているように思いました。
他にも特徴的だったのは、いろんな曲の歌詞が引用として多数用いられていたところです。
全体を通して、「序章」にも書かれていたように、「自分自身が世界から欠如している感覚」(p.13)を「さみしさ」として定義されています。そのため、私個人としては「さみしさ」とまったく感じたことがない、あるいは「さみしさ」以外の感覚で受け止めていたものも「さみしさ」の対象として論じていらっしゃいました。
全体を通して、「自分の中にある無意識な期待値や基準からマイナス方向と(無意識に)認識している方への欠如、欠乏、不足などを感じた時の心の動きを“さみしさ”と呼ばれているのかな?」と感じました(まったくの見当違いだったら申し訳ありません…)
ただ、難波先生もおっしゃっている通り、その心の動き自体は「あなたが知っているものもあるかもしれない。知らないものもあるだろう。最後まで分からないさみしさも、きっとたくさんあるに違いない」(p.18)ので、読んでいて「自分はそうは思わないなぁ」とか「うーん…そんな感覚になったことがないや」とか「要するに○○ってこと?」と、読んだ方それぞれの考えや感じ方があるように思います。
でも、難波先生は「このさみしさの正体はこうだ!」ということが言いたかったのではなく、その違和感から自分なりのさみしさを感じとってほしい、自分が見落としていたさみしさを拾い上げてほしい、のではないかな…とそれこそ勝手に受け取らせていただきました。
読み終えて思ったのは、「第7章 夏のサウンドスケープ」や「第10章 機械のウェルビーイング」など「分かるー!」と共感するさみしさもありましたが、私としては「さみしい」と思うことが少ないーー「自分自身が世界から欠如している感覚」を非常に好ましいものとして受け取っていたと気付きました。
私は小さい頃から「関わりがなくなったら、その相手から自分のに関する記憶が全部消えればいいのに」とか「生きた痕跡を残さずに人生を終えたいなぁ(じゃあ何でReadsに投稿してるんだって感じですが。笑)」と思っていたので、その結果だとは思うのですが、果たしてそれが“幸せ”なのかどうかは難しいところですね。

