
いぬい
@inuiru
2026年9月20日

死者の百科事典
ダニロ・キシュ,
山崎佳代子
読み終わった
『ハザール事典』が面白かったんで、似た感じのを読みたい! と言ったらAIくんが教えてくれた本。著者のキシュはパヴィチ同様、ユーゴスラビアの作家で、父親をアウシュヴィッツで亡くしている。両親を収容所で殺されたツェランの詩集を読んだばかりなので、スンとしてしまうが、ツェランの言葉がより少なく、途切れがちになっていったのに対して、キシュはとにかく言葉をこねてこねてこねまくる感じ。表題作「死者の百科事典」を含む九つの短編が収録されてるけど、どれもちがった味わいで面白い。
『死後の栄誉』
亡くなった娼婦に対する盛大な葬儀の話。彼女に供えるために、あちこちの家の温室や庭、公園や広場から、ありとあらゆる花が手折られ、盗まれたっていう。
29p
" マリエッタの墓に捧げられたのは紅薔薇や白薔薇の花束、切り口も鮮やかな笠松の枝、チューリップに菊、月下香、空色の紫陽花、あの放蕩の花、退廃的なセセッション様式のカキツバタ、ヒヤシンスに夜の花と呼ばれる高価な黒チューリップ、無垢と最初の聖餐式の花、屍蝋のような百合、散り際に香る紫のリラ、いやしい紫陽花にぶざまなグラジオラス(これがいちばん多かった)などである。淡い白や淡い紅色をした、聖人のような、天使のような、剣と薔薇の伝説を内に秘めたグラジオラスは、すべて腐敗した富の象徴で、金持ちの涼しげな邸宅の象徴だった。"
『死者の百科事典』
とある図書館に、無名の個人の生涯をすべて記載した本が集められている、という話。真夜中の図書館、アルファベットごとに分かれた部屋、そこに記された、ありとあらゆる記録。面白くないわけがないんだよな。ちなみに著者の後書きによれば、アメリカ・ユタ州のとある山にはモルモン教(末日聖人イエス・キリスト教会)の記録保管所があるそうな。そこには実際、信者の個人的な記録が大量に保管されてるんだって(著者がその存在を知ったのはこの話を書いたあとだったみたい)。
それにしても、この記録には小学校の同級生全員の名前とか、校長先生の話の全文とかが載りかねなくて、そんなの私の認識する「私の人生」にはないから、記録と人生ってちがうんだな〜ってしみじみしたり。
49p
" なぜなら──それこそ『百科事典』の編者が言わんとするところだと思うのですけど──人間の歴史には何ひとつ繰り返されるものはない、一見同じに見えるものも、せいぜい似ているかどうか、人はだれもが自分自身の星で、すべてはいつでも起きることで二度と起きないことなのです、すべては繰り返される、限りなく、類なく(だから、この壮大な相違の記念碑、『死者の百科事典』の編者たちは個なるものにこだわるのです、だから、編者たちにとっては一人ひとりの人間が神聖なのです)。"
『眠れる者たちの伝説』
「七人の眠り聖人」っていう伝説を下敷きにした話らしい。迫害から逃れて洞窟で二百年以上眠りつづけた若者たちが、復活して聖人にされたっていう。ユダヤ教では「三人」ってことになってるようだし、イスラム教では「七人+犬」らしい。ここでは三人+犬、になってて、「+犬」が採用されてるところで握手したくなった(でも考えてみると殉教したわけだから、犬が死んだってこと?!)。
ちなみにメチャクチャこわい話だった。
70p
" あれは夢だったのか。あれは夢遊病者の夢、夢のまた夢で、それゆえ本当の夢よりも本当らしいのは、その夢から覚めてもまた夢の中にいるので、目覚めの力では測ることができず、意識では測ることができないからなのか。あれはただ神の夢、永遠と時間の夢だったのか。幻や疑いのない夢、言葉と感覚の夢、魂だけではなく肉体の夢でもある夢、等しく意識の夢であり肉体の夢である夢、はっきりとした明白な境界をもち、自分自身の言葉と音をもった夢、触れることのできる夢、舌で、鼻で、耳で確かめられる夢、目覚めより強い夢、死者だけが見るのかもしれぬ夢、すぐ血が出るので髭を当たる剃刀では否定できない夢。そして為すことすべては現と目覚めの証しにすぎず、夢の中では皮膚が血を流し、心臓が血を流す。夢の中では肉体が喜び、魂が喜ぶ。夢の中には生きることのほかに苦難はない。死んで初めて、その夢から覚めるのだ。"
88p
" 洞窟の暗闇の中に横たわり空しく目を瞠り、友マルフスを呼び、神に祝福された牧人ヨハネを呼び、緑の目をした犬キトミルを呼び、主を呼んだ。暗黒はタールのように濃く、静寂は永遠の墓の静けさだった。聞こえるのはただ目に見えない天井からしたたる水の音、水時計の中で永遠が挽かれる音だけだった。
ああ、だれが夢と現を分かつのか、昼と夜を、夜と暁を、追憶と幻を分かつのか。
だれが眠りと死のあいだに明確な印を置くのか。
だれが、ああ、主よ、現在と過去と未来のあいだに境を引き、明確な印を置くのか。
だれが、主よ、愛の喜びと記憶の悲しみを分けるのか。
主よ、望みを抱く者は幸いである、彼らの望みは叶えられる。
主よ、昼と夜とを知るものは幸いである、彼らは昼を楽しみ、夜と夜の安息を楽しむ。
主よ、過去があり、現在があり、未来がある者は幸いである、彼らの人生は水のごとく流れていく。夜、夢を見、昼、夢を思い出す者は幸いである、彼らには喜びがある。
主よ、夜、どこへ行ったかを、昼、知る者は幸いである、昼は彼らのものであり、夜は彼らのものである。
主よ、昼、夜の旅を思い出さぬ者は幸いである、昼の光は彼らのものとなる。"
ほかに
「魔術師シモン」 シモン・マグスっていうひとの話らしい
「未知を映す鏡」 こわい話と言うか厭な話と言うか
「師匠と弟子の話」 「笑」しか感想がない
「祖国のために死ぬことは栄誉」 厭な話アンソロジーみたいなやつにありそう
「王と愚者の書」 シオン賢者の議定書を巡る話
「赤いレーニン切手」 記憶がない
