
くにっち
@kuni
2026年9月25日
読み終わった
駒澤大学の日本宗教史研究者が書いた、民衆宗教と呼ばれる宗教運動と近代の関係について考察した本。
なかなか興味深かったです。
この本では民衆宗教の定義を「19世紀はじめごろから20世紀半ばまでの日本で発生・展開し、独自の思想形成や組織化を志向した非エリート層を中心的な担い手とする宗教運動」としています。そのうち本書では、天理教、金光教、大本教、あたりがメインで語られています。
■メモ
・一神教のようにも見えるが、日本の既存の神仏にも新たな意味を与えていることも多い。
・信者たちが運動の担い手として積極的に関わることで、民衆宗教のダイナミズムが生まれている。
・民衆宗教という概念が生まれたのは戦後。それまで「迷信」「邪祠邪教」など蔑称で呼ばれてきたが、民衆の立場から近代国家と対決した宗教運動として再評価されるにいたった。
・江戸時代の講(宗教的な共同体)は、仏教・僧侶の権威を相対化し、在家の民衆を主体とする民衆仏教につながった。この流れが近代の霊友会や創価学会などへつながる。
・いわゆる神がかり状態での教祖の言葉を、歴史学者は主に、教祖自身の深層的な思考が表現されたものとみる。前近代や近代初期の民衆にとって、国家や社会の全体的な構造や世界の意味について考えたり言葉にすることは極めて困難。しかし彼らも苦悩や葛藤を抱えていた。そこで、抑圧されてきた民衆の無意識を教祖が代弁したという考え方。
・民衆宗教の世界観のベースは現世中心主義。ご利益を得てこの世で幸せに暮らすことを重視する。そのため、輪廻からの解脱を目指す仏教とはそもそも発想が異なる。
・この現世中心主義は、泰平の世が続き貨幣経済が浸透した世相を反映したものと考えられる
・一般的に、民衆宗教は人間の平等を説いて女性の主体化を推し進める動きと、近代日本の男性中心的なジェンダー観を追認・強化する動きが共存する。
・明治政府による民衆宗教への介入には、当初から天皇が神々の祭祀と政治を行う祭政一致のイデオロギーが背景にあった。神仏分離政策もその一環。
・しかし、仏教側の反対もあり宗教政策は安定しなかった。そこで政府は神道国教化を断念し、信教の自由を認める一方で、神社への祟敬を国民の義務とした。神社を国家の祭祀とし、仏教やキリスト教とは異なる公の存在だと位置づけることで信教の自由の枠外とした(神社非宗教論)。これにより神社行政と宗教行政を分離した。
・この神社行政において、1875年に神道事務局が発足。雑多な神道系教団が教派神道として内務省社寺局の管轄化に置かれた。教派数は最終的に13派となり敗戦まで維持された。教派神道として活動する道を選んだ民衆宗教もある(天理教、金光教、など)。
・民衆宗教の動きはキリスト教にも派生する。例えばホーリネス教会は民衆キリスト教と呼ぶべき性格を備えていた。
・1930年代前半の世相をあらわすキーワードのひとつが「新興宗教」。直近数年で勢力を拡大した宗教運動のことで、生長の家、ひとのみち教団、霊友会などが代表格。第一次世界大戦後における都市への人口移動、消費文化が、都市生活者の心をとらえた。
・敗戦後の数年間で多くの宗教集団が生まれた。戦前に宗教団体として政府に認められていたのは43団体。戦後の宗教法人法のもと、1949年には406団体へと激増。設立が容易で監査規定もなく税金免除があったため。