やん "ホメロス オデュッセイア 下" 2026年9月29日

やん
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@grilledyangyang
2026年9月29日
ホメロス オデュッセイア 下
『オデュッセイア』って、オデュッセウスの帰国までの冒険譚がメインだと思っていた。ところが読んでみたら、むしろイタケに着いてからが本番だった。 そして、読んでいて思った。これってオデュッセウスの「罪と罰」の物語なんじゃないか。 オデュッセウスの代名詞といえば、作中でアテナが評して曰く、 「そなたはなんという不敵な男だろう、さまざまに悪知恵をめぐらし、策謀に飽くことを知らぬ。自分の国に在りながら、欺瞞や作り話をやめようとせぬ、そなたは心からそのような作り話が好きなのですね」 知略に長け、嘘も方便、相手を煙に巻いて窮地を切り抜ける。女神アテナが気に入るのも、まさにその機略縦横っぷりそのものだろう。 なるほど、そういう男なんだよなぁ、オデュッセウス。 だからSNSなどで「パイエケス人の前で語った冒険譚は、オデュッセウスや郎党たちに都合よく脚色された作り話なのでは?」という読みが出てくるのも分かる気がする。 だって女神本人から、 「お前、作り話するの好きだよね」 って言われてるんだもの(笑) しかし一方で、 「……お前、その知略のせいで帰国に何年かかってんだよ」 実際、彼の帰還は災難の連続である。 ポリュペモスの目を潰したことでポセイドンの怒りを買い、アイオロスの袋では部下たちに疑われ、太陽神の牛を部下たちが禁忌を破り屠ってしまう。 その結果、仲間と船を失い、結局ひとりだけになってしまう。 つまり「掟を破った奴は罰を受ける」という世界の中で、知恵の豊かなオデュッセウスもまた、その世界のルールから完全に自由ではない。 このバランス感覚が面白く感じる。 オデュッセウスは口が上手く嘘つきで、戦時中もパラメデースや大アイアスの件で、口八丁と謀略で立ち回っていた。 そんなオデュッセウスを女神アテナは、 「私に似てて愛らしい」 と謎目線で称賛している。 武勇を重んじる英雄社会で、それはアリなんか?と思うけど、そもそも古代ギリシャでは弁舌や修辞学、知恵そのものが大きな価値を持っていたわけで、オデュッセウスはまさに「知勇兼備」の英雄なんだろう。 知略は美徳であり、武器になる。しかし、知略も世界の掟の一線を越えることは許されない。 そして、求婚者たちのも、なんかもうスゴイ。 「俺たちは求婚しているだけ」 「屋敷で飲み食いしているだけ」 「麗しいペネロペのために言ってやってる」 よくもまあ自己正当化に余念がない。こいつら、他人の家に居座って飯を食いまくり、財産を食い潰し、家の主人がいないのをいいことに妻に求婚し、息子まで殺そうとする上に、反抗されたら逆ギレ。 一回鏡見てきな?それ普通にお前らが悪いよ? でも、こういう自分の欲求だけを正当化する人間って、現実にもいるよなぁ。 カスハラとか、DQNな迷惑行為とか。自分の行動を指摘されたら「なんで俺が悪いんだ」と怒る。 迷惑系求婚者、キツイっす。 彼らが破っているのは、単なる「オデュッセウスの家に勝手に居座った」という話ではない。 ゼウスの掟を都合よく利用しながら、家主への敬意を欠き、客人への饗しや施しをせず、女性の尊厳を踏みにじり、脅迫や暴力を繰り返し人間同士の秩序を乱す。 そういう社会を成立させているルールを、ことごとく踏みにじっている。 だから最後の虐殺も、単純な「主人公の復讐劇」というより、「掟を破り続けた者たちが、その報いを受ける」という物語になっている。 実際、作中でもオデュッセウス自身が、求婚者たちは「自分たちの悪行によって」滅びたのだ、と語る。 なるほど。まさに「罪と罰」の極めて倫理的な物語なのだ。そして、この倫理観はオデュッセウス自身にも向けられている。 ポリュペモスに対してイキって自分の名前を名乗ってしまうオデュッセウスの自己顕示欲は、ポセイドンの怒りと報復を受け、禁忌を破った部下たちは命を失い、求婚者たちは客人としての義務やゼウスの掟を破り続けた結果、滅ぼされる。 要するに、 「お前、その行動のツケ払えよ」 という物語構造なのだ。 そう考えると、オデュッセウスの長い漂泊は、ある意味「各地でやらかしたことに対する刑罰」として、「お前、ちょっとお勤めしてこい」と、オギュギア島で無期懲役になっていたとも読める。 ヤクザの抗争で散々やらかした男が、お勤めしている間に妻が他の組の若頭に言い寄られて、出所後にそいつらをボコした話、って言われても納得できる(笑) 一方で、ペネロペやテレマコスも、求婚者たちに一々もっともで理にかなった物言いをする。 ただし、結構辛辣なことをガンガン言っていて、よく求婚者にノリで斬られなかったな!まあ、外国で謀殺しようとしてくるけど。 そして、物乞いの変装をするオデュッセウス。求婚者や女中のメラントに罵詈雑言を浴びせられ、暴行まで受けても耐える堅忍不抜さ。 しかし、普通に腸煮えくり返って言い返してるの面白すぎる。え、それ耐えれてんの? あ、耐えられなくなったら殺すのか。 その抑圧が限界まで溜まったところで、正体を明かして求婚者たちを誅殺、ストレスを一気に解放してスッキリ! これぞ人気の秘訣かもしれん(笑) やっぱり豚飼いと牛飼いは助さん格さんだし、オデュッセウスは暴れん坊将軍なんだよなぁ。 完全に「余の顔を忘れたか」だもの。 第二十四歌では、冥界にいるアンピメドンたち求婚者が、自分たちの死についてまでなんとも都合のいい言い分を並べている。 「オデュッセウス酷いんだよ!俺たち悪くないもん!」 お前ら、死んでも反省しないのか。 DQNは死んでもDQNなのか。 一方、オデュッセウスはオデュッセウスで、老いた父ラエルテースにまで、悪戯心で正体を隠して一芝居打つ。 お前、そういう奴だったよな。 最後の最後まで「思慮深いオデュッセウス」なのである。...... 思慮深いエピソードかな??? 第二十四歌はエピローグのように、意外とサラッと終わる。 個人的には、冥界で予言者テイレシアスが語った、「海を知らず、塩を混ぜた食物を食うこともない人々の住む国」への旅も見たかった。 担いだ櫂が農具と間違われるほど内陸へ行き、ポセイドンに犠牲を捧げる。 そして神の怒りが解け、最後には安らかで恵まれた老後を送る。 イタケに帰った。 求婚者も始末した。 家も取り戻した。 妻子と再会できた。 だが、ポセイドンとの因縁はまだ清算できていない。神=法と和解する旅が残っている。 本当の平穏への「帰還」は、その先にある。 そこまで行って初めて、「オデュッセウスの物語は終わった」と言えるような気がするから。 ホメロスはそこまで描かなかった。もしかすると、それはまた別の物語にあった冒険譚なのかもしれない。 そう考えると、『オデュッセイア』は単なる冒険譚ではなく、 「知恵も、嘘も、欲望も、怒りも、使い方を間違えれば自分に因果が回ってくる。それでも人は、何とかして故郷に帰ろうとする」 という、因果応報の物語なのか。 いやー、面白い。 それにしても、台詞が特徴的で面白い! 神に見まごうひとかたならぬ人物たちが、いちいちもっともで、理屈が通った話しぶりで、なんか真似したくなる楽しさ。 これに否を言うものはおるまいと感じ入るほど面白かった(笑) あと、ホメロスはオケアノスを遥か西方にあるとし、後年のアレクサンドロス大王は東の最果てにオケアノスがあると思っていた。 西方にあるのか東方にあるのか、ハッキリしてくれ(笑)
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