
めい
@meiji_chan
2026年10月2日
愛がなんだ
角川書店装丁室,
角田光代
読み終わった
あまりにも表紙がかわいかったのでジャケ買い。
読んでいてこんなにイライラする話は初めてだった。
話がつまらないとか文章が下手だとか、そんなことはまっっっったくない。むしろ逆で、すごいものを読んだと思う。あまりにも軽妙かつ精緻な文体で、主人公のテルコちゃんがどこまでも片思い相手のマモちゃんにズブズブに沼っていく姿がこれでもかと描かれているからだ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も「やめなさいそんな男は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と叫びたくなり、その度に本を閉じて呼吸を整えなければならないほどイラついた。
やめなさいそんな男は!!!!何も幸せにならない!!!!!!!!!!!!!!
…と、思っていたのに、テルコちゃんにとってはそれこそが幸せなのだという。
ナカハラくんのように「魔法が解けた」方が幸せだとわたしは思っているけれど、テルコちゃんはそうではない。
相手に必要以上に尽くしてしまう時期は確かに自分にもあったし、そういう時期の恋愛は必ずボロ雑巾になって終わることも世の多くの大人の女性と同じく身をもって知っているけれど、果たして魔法が解ければ大人なのか、幸せなのか。あるいは大人になれば、まともになれば魔法は解けるのか。魔法が解けるのが普通なのか。
ズブズブのテルコちゃんとマモちゃんの前に、雲を払う突風のように現れたのがすみれさん。
すみれさんちで宅飲みする場面だけ、脳内が急に安野モヨコ作画になるほど、すみれさんとその友人は自由でイケてて、陽キャだ。
情けなく従うマモちゃんを見ててっきりテルコちゃんは蛙化するかと思いきや、「かっこよくないのなんか知ってる」上で好きなのだ。
そこまで行ったら愛じゃないか、好きにしろよもう、と思ったところで『愛がなんだ』と、好きにするのである。テルコに言わせてみればテルコのマモちゃんへの思いは愛どころか恋でもない、純然たる執着なのだ。
愚かな恋の魔法にかかっていることを自覚しながら、解かない道を選ぶ。大丈夫か、テルコ、この先。
だって、尽くす恋はお人形遊びと同じだ。振り向かれたいよく思われたい会いたい声が聞きたいという自分の欲望で頭も胸もいっぱいで、その欲望がカマキリの中のハリガネムシみたいに体を動かして、尽くしてしまうのだ。相手の気持ちを思い遣ったり、愛を伝えたりする余地はどこにもない。永遠に穴を掘り続けて、どんどんそこに潜っていくだけ。でも、動き続けなければ死んでしまう片道切符だ。
「普通側」の人間の浅はかな言葉に当てはめれば、結局、テルコちゃんもマモちゃんも、自分に自信がない人間なのかな、と思う。
自分に自信がないから、テルコちゃんは自分に優しくしてくれる人ではなく粗末に扱ってくる人に執着して尽くし続けてしまうし、マモちゃんは自分に尽くす相手を粗末に扱って試し続けるし、それでもやっぱり、明るい魅力を放つすみれさんに惹かれてしまう。光に集まる蛾みたいに。

