
ザムザ
@zamzy733
2025年4月10日

借りの哲学 (atプラス叢書06)
ナタリー・サルトゥー=ラジュ
読み終わった
@ 電車
ふと、人は何か初源の体験(これはトラウマティックなものと呼んでもいい、その意味を汲めども尽きずにある出来事のこと)があって、それは感情によって評価されており、その「出来事感情」(この言い方はそれそのものとして意味が物質的に固定してホールドされている類いのものであることを言いたい)から、何かしら存在者をたとえば大切視しようとするときに、〈大切さ〉を借りてきている、そんな在り方をしているんじゃなかろうか、と思ったのが、この本を読もうとしたきっかけ。
読んだら、その感覚への言及はなかったのだけれど、それでも啓発されるところの大きい本であった。
借りの感覚を忘却することは存在忘却である。こう言ってしまっていいだろう。なぜなら、存在するその事実のうちには絶えず〈借り〉が発生せざるを得ないのだから。
近代化は、ひとにその事実を民俗伝統と共に忘れさせてしまった。
この存在忘却には忘却と、逃避とがあるそうだが、この2つだけとってみても、借りを問うことから始まる冒険への憧れが起こるよ。
