
いちのべ
@ichinobe3
2026年10月3日

本は読めないものだから心配するな
管啓次郎
読み始めた
図書館で借りてきたが、手元に欲しいかも。冒頭のこの一節でもう、痺れてしまった。
> あたりまえだ、すべての人間は根本的に無知であり、どの二人をとっても共有する知識よりは共有する無知のほうが比較を絶して大きいのだから。でもその無知に抵抗して、願わくは花粉を集める蜜蜂、巣をはる蜘蛛、ダムを作るビーバーのような勤勉さで、人は本を読む。(p3)
エッセイのような読書案内のような、章の見出しが大きく配置されず、冒頭に太字で示されている?のも、意図的なデザインなんだろうな、区切りが曖昧だからこそ「流れ」に身を任せているような心地になる。
> 本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ。本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩や石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。(p9)
レヴィ=ストロース、わけもわからぬまま学生時代に読んで内容の記憶は失っているから、また読まなきゃ、と、以下の引用を読んで思った。
>> 現在でもまだ、すべての生命を持ったもののあいだにあった原初の連帯を、われわれはぼんやりとだが意識しているように思われる。子どもが生まれるとすぐにか、まもなく、われわれは何はともあれ大急ぎで、子どもの心に人間と動物たちの連続性を教えこもうとするのではないだろうか。ゴムや縫いぐるみでこしらえた、見せかけの動物たちで幼児をとりかこみ、幼児に最初に与える絵本で、子どもが実物と出会う前に、熊や象や馬や驢馬や、犬猫や雄鶏雌鶏や二十日鼠や兎などを見せてやるのである。まるで、過去のものとなったことをやがて知るはずの動物たちとの一体感への郷愁を、ごく幼いときから子どもに抱かせなければならないとでもいうように。(クロード・レヴィ=ストロース「狂牛病の教訓―人類が抱える肉食という病理」川田順造訳「中央公論」二〇〇一年四月号)(p41)
