
はぴ
@happy-reads
2026年10月4日

記憶とツリーハウス
三浦裕子,
何致和
読み終わった
なんだかノスタルジーな台湾の景色を背景に描かれるスタンドバイミー
淡々と自分を客観視するもやっと優柔不断な主人公と、少し哲学的なまなざしが挟まれるのは、小川哲の小説風かも。
なんとなくやりきれないような、割り切れないというか言語化しきれない「感覚」に、記憶の再構築と再解釈を通して向き合ってくっていうのかな。
バラバラのようで響き合ってるのは、さすが小説。記憶で補正しながら物語がつむがれるのは、読者も一緒ってことか。
数回登場した、主人公の恩師の言葉が結構好きだった。
💬
「大量の情報を摂取することは、たくさんの情報の断片を得ることにはつながるかもしれないが、物事の全体像や真相を理解する助けにはまったくならない」
💬
「現在の情報伝達においては、二つの偏った現象が明確にある。我々は、社会全体で起きる出来事のすべての情報を受け取るのは不可能である一方、受け取ることができた有限な情報は、出来事の全体像を反映してはいない。
情報の中身が事実の中身と完全にはイコールではないとしたら、情報そのものは既に真実性を失い、情報を生産した者の意図を含むだけの物であることは明らかだ。
現代人は普遍的に、偏った情報だけに頼って簡単に自分の価値観念を決めてしまう傾向がある。
私に言わせれば、それは迷信と何ら変わりはない」
💬
「私の考えでは、生命とはつまり、生活の総和だな。そして我々のせいかは、多種多様で複雑な情報で満ちている」安教授が言った。
「もし、それらの情報のすべてを拒絶し、受け取ることを拒否すれば、それは生命を拒絶したに等しく、つまりは死亡となんら変わりはない」
「先生のお考えでは、人類は各種の情報によって生きているということでしょうか?それでは一種の情報受容器と変わらないのでは?」
「生命はそう単純なものではない。情報を受け取ることは、最も基本的な機能に過ぎないよ。その後は、自分自身で情報を創造し、外部に伝えなければならない。
生命の価値とは、君が発信した情報が、どれだけ遠くまで拡散されるか、どれだけ長く続くかということにある」
「でも、もしぼくが外部に対して何の情報も発信したくないと考えていたら、僕の生命は完全に無意味だということになるのでしょうか?」
「息子よ、そんなことはあり得ないのだよ」


