
Sanae
@sanaemizushima
2026年10月9日

アイデンティティ/他者性
細見和之
読み終わった
同じシリーズ、思考のフロンティアで、岡真理さんの「記憶/物語」を読もうと本棚に行ったはずだったのだが、こちらが面白そうなので先に読むことに。
プリーモ・レーヴィ、パウル・ツェラン、金時鐘3人のそれぞれの表現からアイデンティティと他者性を読み解く。
レーヴィ、ツェランは共にユダヤ人、レーヴィならイタリアに住みイタリア語で、ツェランはドイツ語で、金時鐘は朝鮮出身だが日本語で表現をしてきた。
アイデンティティ=母国語=国籍というのが成り立たないのは現代もっと進んでいるが、その固定概念から抜け出せないでいることも事実。
インド人かと思ったらイギリス人?とか言われている場面も見るし、名前を聞いたあとに日本語上手ですね〜と言われている日本生まれの在日3世さんとか。
ズレるところから見ていくのはとても役に立つと思う。
今まで思いもしなかった、ハッとする言葉があって、書き留めておく。
ユダヤ人のホロコーストのサバイバーでもあるレーヴィ。
証言を読むと必ず、自分にはきっと無理だろう、生き残れないだろうと思ってしまう。
「しかしそれは、『謙遜』どころか、むしろ場合によってはとても『傲慢』な感想なのだ」(p35)と著者は言う。
フランクルも最も良き人は帰ってこなかったと言っていたな。著者も述べていた。
「現にこの歴然たる競争社会のただなかで、およそ『死』とは縁遠いところで『立派に』暮らせている人間なら、あの極限的な状況下でも、他人を蹴落としてある程度生き延びてしまうかもしれない、と言う覚悟くらいはしておかねばならないのだ」(p37)
経験したことがないものはどう考えても想像には限界があるものの、その証言と自分自身を結びつけて考えていなかったことを思い知らされる。
覚悟...。時々思い返したい。
金時鐘は日本の定時制の学校で朝鮮語の教師を務めたことがあるという。
荒くれた学生たちから朝鮮人を罵倒する言葉が教室に飛び交う。
朝鮮語の授業を生徒たちによって「つぶされた」と。
「私に勇気があって、その場を耐えたのではない。しいたげられてきた者のひとりとして、本当におこったときの怒りが何であるかを、私は知っていただけなのだ。
君達のあれが怒りではない。虚勢だ。その程度の虚勢で『朝鮮語』が追い立てられてたまるか!」(p81)
不意に涙が流れてしまう。
朝鮮関連の本を読むようになって、いろんなことを考えてきたけれど、まだまだ足りない。
ドイツ思想が専門の著者の本だけれど、こちらのボリュームがレーヴィやツェランより、金時鐘についてがかなり割かれていて、いくつかの詩にも触れることができて、私にはそれがよかった。









