
Sanae
@sanaemizushima
Reisen und Lesen
旅行と読書が好きです
- 2026年5月25日
辺境中国デイヴィッド・アイマー,近藤隆文読み終わった白水社のこういったシリーズは信頼を寄せている。今回も最高。 「疾走中国」、「ビルマハイウェイ」(こちらはReads始めてから読んだので投稿している)、今回がいちばん危険を孕んだものだった。何より中国の「辺境」だからそれも当然なのかもしれない。 著者は辺境に少数民族がどのように中国で生活し、考えているかを身体を張って取材している。 ウイグルであればイスラーム、チベットだとチベット仏教、雲南だとタイやミャンマーの仏教、東北部だと南北分断の朝鮮の影響、朝鮮のキリスト教やロシアの影響がある。島国日本に生きている者としては陸続きで、その辺境に生きる人たちがどんなふうに生きて考えているのか、何もかもが新鮮だった。 辺境に生きる人々は必ずしも中国語を話すわけではなく、北京政府や中国語より、そばにある国境の向こうの人たちに親近感があり(ときとして簡単に越境して働いたり、家族に会いに行ったりしている)、言葉も“向こう側”にずっと近い。 どのエリアも中国政府の対応が一様ではないことが興味深かった。 東トルキスタンとして独立をしたかったウイグル。侵攻され今ではfree Tibetを聞かなくなったが、ダライラマを軸として反乱が起きかねないとされるチベット。 これらのエリアは集会、学校全てにおいて監視されている。 対して雲南の少数民族は従順だとされるが、少数民族が使うタイ語やチベット語は僧侶になれば学べるとのこと。従順とされるが本音はもちろんそうではない。ゴールデントライアングルのある場所でもあり、光と影のギャップの激しさが目立つ。 そして東北部の北朝鮮国境付近では学校で朝鮮語も学ぶことが許されている。 北朝鮮は中国からの支援で成り立っている部分が大きいのでほとんど中国国内のように扱われるようだが、お腹を空かせて越境してくる難民たちには手厳しい。彼らも朝鮮半島の南北分断や信仰の自由に大きな葛藤がある。 政府に警戒されない少数民族を名乗るのは優遇制度もあるそうだが(この本で取材されている人はそうではない人々だ)、多くは少数民族に表現のはけ口を持っていないことは確かなようだ。 漢民族と少数民族の異民族結婚により次々と消滅し、話されなくなる言葉があり(もともと中国政府によって登録されていない民族も多くあるらしい)、辺境に入植していく漢民族と地元民の交流もほとんど消えているとのこと。 入植ばかりでなく、ツアーで異文化を味わいに団体旅行が押し寄せることも書かれていたが、コロナを経てますます活気づく中国の国内旅行はどんなふうになっているのか。 東北部ハルビンの雪まつり、雲南のタイミャンマー寺院ツアー、ウイグルのイスラームツアー。いくらでも想像がついてしまう。 昔はチベットに行ったというと、なんだかものすごい冒険のように感じていたが、わたしの知り合いの中国の若い女性はたった二人でレンタカーでラサまで行ったという。信じられないけれど、それが今の中国なんだろう。 チャレンジャーな著者で面白く読んだ。中国は本当に大きい! - 2026年5月21日
私たちにはことばがあった vol.1〈政治と私〉中岡祐介,丹治史彦,安達茉莉子,小指,小沼理,矢部真太,藤岡みなみ,西本千尋,関根愛読み終わったお守り代わり探した方が悪かった、zineだから記録できないと思っていた!見つかって嬉しい。 いつも持ち歩いている本を入れる小分け袋に、お守りのようにして持ち歩いている。 - 2026年5月21日
返さない借り つながる贈与岩野卓司読み終わったマルセル・モースの「贈与論」にはじまり、行きすぎた資本主義経済を改めて考えさせられる。 シェイクスピアの「ヴェニスの商人」で利子のこと、宮部みゆきの「火車」で消費者金融のこと、当然のこととして受け入れてきたことを見つめ直すきっかけをもらった。 臓器移植、災害ボランティア、私たちの身近にある見返りを求めない贈与、クルミドコーヒーの「健全な負債感」、有形であれ無形であれ、いただいたものを第三者に与えていくという考え方。 「社会で誰かに助けられたら、助けを必要としている人を助けることで、『借り』を『返す』のだ”(p171) わかっちゃいるけど、それができている気が個人的にしないし、利用されている感、吸い取られている感は心当たりがあるものの、気前よく分け与えている感じがしない。 「どの世代の人も前の世代から多くのものを受け取っている。それに新たな何かを書き加えて、次の世代に引き渡すのである。」(p172) これはチョン・セランの「フィフティ・ピープル」にもあったな。 前の人がボールを遠くまで投げて、私たちがまたそれを遠くまで投げ、その次の人もまた遠くまで投げて、そうやってちょっとずつ進んでいく、というようなことが書かれていた。 「今求められているのは、国家や資本主義を破壊し瓦解させるという発想ではない。国家や資本主義の体制の中でも、それらに依存しないで、自分たちでお互いに解決していけるものがある。」(p218) それが相互扶助のアナキズム、という説明には腑に落ちるところがあった。 ギスギスした社会だけど、何かできることを探して実践していきたい。 - 2026年5月21日
ナイルの聖母Scholastique Mukasonga,大西愛子読み終わったルワンダ作家の小説。 帯には 「ルワンダ虐殺から30年。争いを繰り返さないための、ただひとつの道。 和解のためにはまず、なぜ分離したかを理解しなければならない。」 と書かれてある。 ところが読み進んで行くうちに、本当に複雑で”なぜ分離したかを理解“するには途方もなく大変なものだと思えてくる。 読もうと思ったのは、大竹裕子さんの著書「生きることでなぜ、たましいの傷が癒やされるのか」で虐殺以降の人々の取り組みに触れ、その前のことについて知りたいと思ったからだった。 著者は虐殺が起きた時、海外に滞在され、難を逃れたそうだが、通っていた学校をモデルにこの小説が書かれた。 そして訳者は舞台となった同時期にルワンダで暮らしておられたそうで、学校は違えど、モデルとなった著者が通った学校の生徒を見て「楽しげに聖歌を歌いながら列になって歩いている生徒たちの中に、これほどの確執があったのにはまったく気づかなかった」とあとがきで書かれている。 その確執が小説の中では可視化され、一旦何かが起こると止められない勢いでもって暴力が始まるというところまでが描かれている。これはツチとフツだけの問題ではない。私たち人間の持つ弱さだ。 ガエル・ファイユの小説も二冊積読中。またおりを見て読みたい。 - 2026年5月18日
生活史の方法岸政彦読み終わった打越正行さんや岸政彦さんの生活史シリーズにいつか挑戦しようと思い、手に取りやすい新書からまず始める。 どんな思いで聞いて書く手法をとっているのかを知りかったけれど、接遇、着ていく服、手土産のことにまで言及され、これからその道に進む方や学生さんにもとても役に立つ本だと思った。 他の方も引用されていたが、わたしも同じように印象的だったところ 「私はできれば、この世界で、声を残す力を持たない人びとの声を残したいと思います。でも、そういう人びとはおそらく、立派なひと、出世したひと、力を持った人びとよりもはるかに、自分の人生を語ることで、しんどい思いをすることでしょう。ほんとうに私は、どうしたらいいかわかりません。」(p77) 「このふたつの正しさ、このふたつの被害性、このふたつのしんどさは、どうしたら交わることができるのか、どうしたらおたがいに理解できるのか、ということをいつも考えますが、答えはありません。」(p82) 白黒はっきりつけるという暴力性、ずっと寄り添い宙ぶらりんのまま考え続けることの大切さ。ネガティヴケイパビリティだ。 今まで気づかなかったこと、見過ごしていたことを気づかせてくれることが多かった。 岸さんが沖縄でインタビューの時にイデオロギーについて話し手の方から聞かれて「左寄りだと思うが、基地で働く人のこと、その方の生活を否定したくない」というようなことをおっしゃって、それなら、とお話ししてくれた方がいらしたエピソードがあった。聞き手なりに寄り添いながら、立場を明らかにするって大切なんだなと思う。それでこそ心の声、本音が出てくるんじゃないかと思った。 「私たちの行為は強く動機づけられています。私たちはただなんとなく生きているのではない。なんとなく生きているように見えても、人生の個々の帰路において、私たちは必ず選択というものをしているのです。」(p287) 終わりに書かれていたこと。多くの周縁に立たされた方々の人生に触れてきた岸さんだからこそ出てくる言葉だと思う。しっかりと受け止めて生活史の本に挑戦していきたい。 - 2026年5月13日
民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義デヴィッド・グレーバー読み終わった新しく平凡社から出版され話題になっていたが、わたしは図書館で借りてきた前に出版されていた以文社のものを読む。 タイトルから私たちの持つ常識を覆すような内容。民主主義は古代ギリシャから興り、それを欧州が引き継いだ、というふうに、民主主義は西洋から生まれたものと思っていた。ずっと思っていたことは、この本を読んだからといって簡単には変わらないけれど。 現在も戦争の言い分として“民主主義をもたらすための介入”と言われることが多い。日本の戦後も民主主義をもたらしてくれたのはアメリカだとも言われている。 欧州の民主主義を知る以前からインドで、メソポタミアで、アメリカ先住民によって、世界各地でさまざまな形の民主主義とも呼べるものが存在していたということ。 そして現代ではメキシコ・チアパス州のサパティスタの自治、中東のクルド人居住地域にのロジャヴァを例に取り、西洋と非西洋のあいだの空間から民主主義が生まれているということ、かつてあった国家権力の奪取を目指しているのではなく、そして90年代のバルカン半島の戦争にもあるような民族国家建設ということでもなく、共同体構築を目指した組織について言及していた。 大きな権力がルールを無視して暴力をふるい、私たちの考える民主主義が破綻していると思える今日この頃。 「普通の人びとが討議の場に集って座り込み、自分たちの課題に自分たちでー武力によって決定を支えられつつ課題に対処するエリートたちに劣らずー対処できるということを、さらにまた無理だったということになるとしても、彼らには試してみる権利はあるのだということを、私たちが心から信じることだ。」(p123-4) いろんな形で社会の不正義に声をあげていくことを諦めずやっていこうと思う。 - 2026年5月13日
学ぶとは 数学と歴史学の対話伊原康隆,藤原辰史読み終わった物書きさんからわたしのような一般読者まで、大きな支持を得ている歴史学者の藤原さんと世界的数学者の伊原さんの書簡、テーマは「学ぶとは」。 研究に人生をかけてこられたお二人は一貫して学ぶことに謙虚。わたしにとって、読書で学ぶことは時々辛いものでもあるけれど、励まされるようだった。 伊原さんは多趣味でさまざまなことに造詣も深く、それに対する藤原さんの発想のセンスも素敵で本当に面白い往復書簡。 「悲観はまだ非観ではない。観たくない現実を観る力がまだ私たちに残っている以上、せめて学ぶを共有することはやめないでいたいと思います。」(p93) ロシアのウクライナ侵攻後に書かれた藤原さんの書簡。当時よりもっと自分の身にも及ぶようなことが押し寄せる中、近所の本屋でもテーマを持った学びを提供する企画をされていて、同じ思いでやっている人がいるのだなと最近しみじみ実感する。 「地球規模の現象の因果関係の把握は、原因発生と結果甘受の地域が離れている場合、各地域での日常感覚からは決して得られず、理性の力を借りてこそできるのではないか。日常感覚よりも理性が重要なこともある。」(p212) また違うトピックでの伊原さんの言葉理性という言葉ひとつでも伊原さんと藤原さんで少し捉え方が異なっていて、改めて“理性“という言葉について思い巡らせることができた。 AIについてのことも最後に出てくる。 数学者である伊原さんは ・「知」は物事を「つながりをこめて」理解する捉え方だ。 ・つながりの理解は、自分で何度でも書いてみて納得し脳内に軸をつくるようなものでありスマホ依存では得られないだろう。 ・AIは融通が利かない代物だから、できることは限られている ・人間にしかできないことは、消費より高度なものが豊富にある 発想豊かで刺激溢れる書簡だった。励まされる!読書頑張ろう。 - 2026年5月11日
大邱の敵産家屋松井理恵買った - 2026年5月7日
読み終わったアナキズムQ&Aからこちらの本を知り、読んでみた。 今まで触れてこなかった世界なだけに、ちょっとぶっ飛ぶ概念もあるし、よくわかることもあるし、知らなさすぎてついていけない部分もある。ついていけないながらもなんとか読了。 “日本では「社会参加」という言葉は、「自己実現」ないし「生きがい」といった言葉に接合し、フレキシブルな労働と、フレキシブルな福祉供給を同一の平面で語ることを可能にしてきた” “公的年金の支給開始年齢の引き上げを狙う福祉政策と、労働市場での高齢労働者の早期退職を狙う企業の思惑は、「労働」概念を「社会参加」概念に転換することによって戦略上の一致点を見出す。(p57) 2003年に書かれた本で、ちょっと今後流れが変わってきそうではあるが、確かに言われてみれば、の感はある。 介護保険の在宅医療現場で働いていたことがあるが、社会参加は要介護者にとってさえも、わりと重要な位置を占める。 外出すること(デイサービスなど)、自分でできることはする、こういったことさえも社会参加の一環としてケアプランに組み込まれる。 介護者に依存しがち(そして共依存にもなりがち)な日本に対し、欧州ではそのようなことをあまり聞かない。きっと上のケアプランに入るようなことは社会参加と言わないだろう。 退職の年齢を迎えたらさっさと去る欧州に対し、日本はわりと働けるまで働くことを希望する人が多い。 そのズレもあって、日本の考え方に擦り合わせて著者は論じているはずであるが、個人的に少しズレを感じる部分もある。 他にも興味深い点はあったが、うまくまとめられない。頭にしまって、熟すのを待つことにする。 読みが甘いのは承知だが、これからもちょっとずつこういう社会の問題について勉強していきたい。 - 2026年5月6日
読み終わった友人の本棚に並んでいた本。借りてきて読む。 2012年にシリアの内戦取材中に亡くなった山本美香さんが著者。 小学上級から対象の本で、やさしい言葉で書かれており、読みやすいのに内容がとても濃い。 写真は山本さんが撮影されたらしく、とても優しい表情の人々。 「生きていくために、怖いという気持ちを押し殺して、ふだんと変わらない生活をつづける努力をしているのです。)(p107) 戦時下で生きる人々の中で取材しているからこそ出てくる言葉。 個人的な話になるが、わたしにはレバノンで暮らす友人がいる。家族はとっくに国を去っている。彼だけ国に残り活動を続けている。 毎朝起きると、無事かどうか彼のSNSをチェックする。あぁ投稿している、と安心して最近は一日を始めるようになってしまった。 先日、こんな投稿があった。彼は画家だが、知り合いが安全なレバノンではない国で彼の作品をコピーし、無断でグッズにして販売しているのを知ったと。そんな時でも戦時下ではどこにも訴えていく先がない。戦争は命の危険があるとか、食糧に困るとか、そういうことを想像するが何もかも、全てが非常事態におかれるということを痛感する。 彼は盗作に対する怒りや悲しみの投稿は一度限りで、また違う投稿を日々綴っている。それでも非日常の中の日常が続いていく。 「世界はつながっています。心の距離をちぢめるためになにができるか、みなさんも考えてください。(p187) さまざまな戦時下を取材してこられた著者の言葉が響く。 やさしい視点で綴られた言葉が沁みる本だった。つくづく、このような方が早くに亡くなったことが悔やまれる。 - 2026年5月3日
変容するインドネシア小川忠読み終わったアジアに関する本なら、めこんは信頼における出版社、インドネシア語を勉強するようになるくらいインドネシアが好きになったので手に取る。 インドネシアの多様性がさまざまな州から解説され、人々のよく知るバリのみならず、スマトラ、ジャワのついてはもちろん、スラウェシや東ヌサ・トゥンガラ州やパプアのことはほとんど知ることがなかったので勉強になった。 印象に残ったのがイスラームのジャワ化からジャワのイスラーム化、という言葉とヒンドゥのバリ化からバリのヒンドゥ化という言葉。 グローバリゼーションという外部からの圧力を受けて、排外的な思想や宗教の復興など内向きな思想が起きるのは世界でもよく見られること。 土着の宗教と折衷した形でインドネシアの宗教が形作られてきたが、最近ではイスラームはISの思想に共鳴する者も現れたり、ヒンドゥはインドに留学する者も増えているんだという。 個人的にはアジアとの関係をもっと深めていくのがいいと思っている。 お互いの理解のために話し合いは必要で、そのためには相手との共通認識のすり合わせも大事だと思うが、インドネシアでは高校歴史教科書で日本軍政期の記述は数十ページにわたって掲載されているという。 日本では数行と記述があったが、果たしてインドネシアを占領していた事実をきちんと把握している人がどれくらいいるのかというくらい、私たちはよく知らないのではないか。 ジャワに行った時、「日本が昔ここを占領してたの、知ってる?」と問われる場面が何度かあった。聞いても知らないという日本人も多く、インドネシアの人は気にしているのではないだろうかと思った出来事だった。 インドネシアのみならず、アジアの国のことをもっと勉強していきたい。 - 2026年5月2日
その世とこの世ブレイディみかこ,奥村門土(モンドくん),谷川俊太郎読み終わった谷川俊太郎さんとブレイディみかこさんの往復書簡の本。 往復書簡と関係ないところでツボがあったので、それを記すことにする。 講演会か何かで呼ばれた先で「谷川まだ生きてるぞ!」という小学生がいたらしく、日本を代表する詩人に向かってこんな言い方をするヤンチャさを喜ぶようなことを書いてあったが、関係者の凍りついた表情を想像するに難くない。こちらも驚きを通り越して、喜ぶ谷川さんにウケてしまった。 ブレイディみかこさんの話はどれも興味深く、トランスヒューマンというものが英国で話題だというのが心に残った。 この往復書簡を読んでいた高橋源一郎さんが「ブレイディさんの問いに答えていない」と谷川さんにクレームを入れたらしく、それに対応して「問いに答えるようにします」的なことを書いていたのもじわじわきた。 わたしはまだまだ詩の世界に明るくないので、この応答を詩から掬い取れていないだけだと思っていたら、どうやらそういうわけでもなかったらしい。 詩は声に出して読むと、心が整うなぁとしみじみ思う。 谷川さんの詩集も引っ越すたびなくして買い直すことを繰り返していた。きっとどこかにあるはず、探してみよう。もう少し詩が身近にある生活をしたい。 - 2026年4月30日
祝宴温又柔読み終わった台湾の人のことを知っているようで知らないなと思って、温又柔さんの小説を読んだ。 日本、台湾、上海を結ぶ家族の物語。ジェンダーの問題、人種、経済格差などいろんな要素が散りばめられていて、面白かった。 「日本人は余計なお節介をされるのを嫌うのよ」 日本からの観光客を目に、日本在住の台湾の女性が言う言葉。日本人ながら、すごくよくわかる。 そういうわたしも余計なお節介を嫌う場面が今までによくあった。今は歳をとり、すっかりお節介おばちゃんになっているのだが。 うちが働く飲食店でこんなことがあった。 香港からの方だったのだが、一人で来られたお客さんが先にお店で食べていて、続いて二人組のお客さんがやってきた。何にする?あれ美味しそうだね、なんて話をしていたから、先客は同じ香港人だと思ったらしい。そして、3人で話が盛り上がる。まるで最初から3人で来ているみたいに。 あなた方のそういうメンタリティが好きなんです、と言うと、だって同胞で言葉が通じるんですもの、当たり前よ、日本人はシャイだからじゃない?礼儀正しすぎるからかしら?なんてフォローしてくださったけど、そうじゃない気がする。 最近では若者はタイパコスパを気にしすぎる、なんて言うようになったけど、きっとそれを若者に対して言う前から私たちはそういう考えが根付いていたのではないかとも思う。何か大切なものを今見失っているんじゃないかと考える。 もっと台湾のことを知る本を読みたいし、温又柔さんの本も読みたい! - 2026年4月29日
中東を学ぶ人のために末近浩太,松尾昌樹読み終わったこのシリーズ、好きで時々読むのだが、中東はボリュームがあり、幅広くとても興味深く読んだ。 印象に残っているのは内容もさることながら、序章と終章も編者のアツさだった。 中東はどうしても戦争のイメージがつきまとう。豊かな文化、現代社会、中東といってもさまざまな人が住んでいる地域だが、戦争という強烈なイメージのせいで一括りにされがちだ。 「彼らにも、たとえば、親として、子として、学生や職業人としてなど、私たちと同じ人間としての生活と人生がある。中東と向き合う時に異文化として構えすぎると、そんな当たり前の事実を見逃してしまう。」 「そして、場合によってはニュースに映し出されるパレスチナでの紛争の被害者やシリアからの難民の姿を見ても、私たちとは異質な他者だから、と想像力を欠いたまま納得してしまうかも知れない。」(p273) 振り返って自分を励ますためにまた引用したい。 「しばしば『まったく知らない場所に行くと新鮮な出会いがある』と言われるが、これは半分正しく、半分は間違っている。現地に関する豊富な知識を持ち、それを使って日常的に現地を眺めている中東研究者であっても、現地を訪問するたびに新しい現実に出会い、驚く。もっと別の切り口が必要だ、別の解釈がありそうだと『学び』を刷新する機会を現地は提供してくれる。編者は現地のカフェや公園のベンチで研究書を開くことを無二の楽しみにしている。ページから顔を上げた時に現れる現実の街並みは、普段と違って見える。『学び』とは新しい風景を見ることだ。」(p279) 普段から研究されている方でもそうんなんだ、と元気をもらった。 旅先に歴史や社会背景を予習していかないと、わたしの場合は本当にスタンプラリー的な作業で終わってしまう。感動や驚きもなく、ただ時間だけが過ぎていく。 開かれた学びをこれからも続けていきたい。 - 2026年4月29日
思いがけず利他中島岳志読み終わった気になる言葉だった「利他」について。 日常に潜む些細なことから利他を紐解いていくのでとてもわかりやすい。 落語「文七元結」、親鸞の言葉や九鬼修造から利他を紐解く。 のど自慢での伴奏は歌い手に合わせて演奏をしている風景を例に出して、著者はこのように書いている。 「利他は時に目立たないものです。しかし誰かが活躍し、個性が輝いている時は必ずその輝きを引き出した人がいます。利他において重要なのは『支配』や『統御』から距離を取りつつ、相手の個性に『沿う』ことで、主体性や潜在能力を引き出すあり方なのではないかと思います。」(p120) 海外旅行によく行く者として、痛いほど言われる「自己責任」論。 自己逃避なんかじゃなく、ただ楽しいだけでもないんだけどな、、(確かに楽しいんだけど) タイの洞窟遭難事故では市民から自己責任を言い出す人はほとんどいなかったというのは知らなくて、改めて日本にある自己責任論の怖さを思い知る。 救援に行ったダイバーが亡くなったり、周りの畑にも被害が出た事故だったので、もしこれが日本だと、肝試しに出かけた助けられたサッカー少年やコーチがバッシングにさられただろう。 「私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは『その人であった可能性』へと開かれます。そして、そのことこそが、過剰な『自己責任論』を鎮め、社会再配分に積極的な姿勢を生み出します。ここに『利他』が共有される土台が築かれます。」(p145) 人に迷惑をかけないように、って小さい時から言われながら成長していく日本社会。それが過剰でどこかで歪んでしまっていることが少なからずある。完全に迷惑をかけずに生きていくことなんて不可能。おおらかに、人の立場になって考える想像力を持って生きていきたいし、もうちょっと深く利他について考えていきたいと思った。 - 2026年4月25日
「なむ」の来歴斎藤真理子読み終わったやっぱり斎藤真理子さんから教えてもらうことは多いなぁと思う。 韓国により関心を持つようになったのは著者の影響が本当に大きい。 「韓国は伝統的に、武より文が重んじられる国だ。だから、『言葉とは正しいことを言うためにある』という建前が強い。したがって、どの階層も正論を正論として堂々と展開する。」(p101) 近くなのに知らないこと。言葉を生業にしている斎藤さんだからわかることがたくさんあって、刺激をもらう。 「『実現不能なことを言っても無意味かもしれないが』といった卑屈さ、無力さはもちろんあるのだろうが、それで黙るというわけではない」(p101) 韓国文学を読んでいてそれはよく感じる。 わたしが韓国文学で印象に残っている登場人物は、私たち日本人と同じように人目を気にするけれど、弱さは弱さと受け入れて、いろんなことがあっても正しいことを言う人たち、そして行動する人たちだった。 だからわたしは斎藤さん訳の文学が好きで読んでいるんだなと気づく。 沖縄の話、子育ての話、心に沁みるエッセイがたくさんで穏やかな読書時間だった。 - 2026年4月23日
贈り物の本安達茉莉子,有松遼一,浅生鴨,牟田都子,青山ゆみこ,青木奈緒読み終わった装丁も大きさも、贈り物としてうってつけの本。自分おつかれ!のご褒美が多すぎるのは重々承知だけど、これも年末に買った本だった。 いろんなところで知っているあの方この方の贈り物のエッセイを面白く読んだが、今月ちょうどやっている100分で名著、ウィトゲンシュタインを観ながら毎回必ず、古田徹也さんのあたたかいエピソードを思い出している。 どれも本当にあたたかいエピソードばかりだったから、読了が寂しい。 - 2026年4月22日
教えて!タリバンのこと内藤正典読み終わった今年もタリバンとパキスタンの衝突があって、”開戦“という物騒な言葉もニュースで見たけど、イランの問題が大きすぎてかき消され、どうやら今は停戦しているようだ。 そんな感じでタリバンと聞くと物騒なイメージがある。というわけで、内藤先生の著書を読むことにした。好きなミシマ社だし、表紙も可愛い。 2012年に日本で対立しているタリバンとアフガニスタン政府側が参加して国際会議が行われたそうだ。主催者として著者がご苦労されたこともヒヤヒヤしながら読んだけれど、こういうことができるのが日本の役割なのだと強く思う。 西欧の価値観とイスラムの価値観の違いは水と油のようだと言う。ニュースではよく聞くことだが、西欧目線で語られることがあまりにも多く、イスラムの価値観を下に見たり、「このように違って野蛮だ」という語りが多い。 西欧の価値観に知らないうちに取り込まれている私たち。イスラム研究者から示される違い、彼らの価値観を知れたのはよかった。 その価値観から見えてくるタリバンは、今まで報道で見聞きしてきたものと違った組織であることに気づく。 国連の安保理が全く機能しない状況はよく知られるところであり、ロシアからミサイルを買うトルコが加盟しているNATOにも言えることだし、EUさえどこまで役にたつかよくわからないと著者は言う。 「国家がグループをつくって争うこと自体が限界に達したのです。これからは、国家の枠組みを超えて、『人として、こんなことをしてよいのか?』という問いを市民が発し続けていくことが何よりも重要です。」(p153) 正しく知る機会を損なわないように、このような良書を探していこうと思う。 - 2026年4月19日
ヤナマールヴュー・サヴァネ,バイ・マケベ・サル,中尾沙季子,真島一郎読み終わった西アフリカのセネガル。2011年に大統領が勝手な憲法改正案を提示したことを契機に起きた騒乱、「ヤナマール(もううんざりという意味)」という運動を起こしたのはヒップホッパーだった。 ネパールではラッパーが大統領に選出されたり、日本も憲法改正のデモが行われるなど、人ごとではないなと思い読む。 「おれたちが目を向けたのは、若者が政治にあんまり興味を持ってないってことで、政治の問題がみんなの問題で、みんなの問題が政治の問題である以上、そんな無関心な態度はすげえ危なかった。政治と言うのは、社会を運営する技術だから、とにかくおれたちが政治を放っておいても、政治を俺たちを放っちゃおかない。だから、『政治なんて長老のやることだ』みたいな歪んだイメージに若者がとらわれてちゃダメなんだ。この運動は、意識化のひとつのやり方、いわゆる意識の覚醒、一般大衆の覚醒を流す運動、民衆それ自体が権力なんだってことを若者に知ってもらって、そして民衆に自分の声を取り戻してもらう運動なんだ。民主主義だなんて、思い込まれてる代物が、全然民衆のためになってなければ、民衆がつくり上げたものでもないなんて、それこそもううんざりだからな。」(p145) ちょっと長いけどインタビュー引用。 誰がやっても政治の腐敗は終わらない諦念があって、このような結果になっているのは日本も同じ。 日本は大半が無関心でもなんとかなっていることもひとつの原因だが、セネガルの場合はかなり違っている。洪水で家に住めなくなり、停電はしょっちゅう起きるのに電気代は高く、停電のせいで奪われる命がある。物価も高騰するばかり、仕事はなく貧しい者は貧しいまま...ここは決定的な違いだ。 組織が大きくなると、この運動自体も上層部が腐敗してくるという悲しいことも書かれていたが、国境を越えて隣国がピンチの時には共に立ち上がるようなこともチラと書かれており、連帯の実践がアフリカ大陸では進んでいるんだなと思った。 植民地を知らない世代-「新しいタイプのセネガル人」という表現があり、今の大統領は1981年生まれの40代若手大統領。 ヤナマール運動は2011年に起き、これが書かれたのは2017年。今はどんなふうなんだろうか。日本ではなかなか入って来ないセネガルのことだけど、耳を澄ませておこうと思う。 - 2026年4月19日
文藝 2026年 5月号文藝編集部ちょっと開いた今日は仕事でデモに行けなかったので、緊急特集「殺したくも殺されたくもない私たちのNO WAR」の寄稿だけ読んだ。 金井さん、谷崎さん目当てで読んだけど、全部良くて元気が出た。
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