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Sanae
Sanae
@sanaemizushima
Reisen und Lesen 旅行と読書が好きです
  • 2026年4月11日
    ブラッド・コバルト
    ブラッド・コバルト
    人の命が、犬のように、モノのように扱われる現実。 シャベルのような簡単な装備しかなく「掘らないと食べていけない」ために鉱山へ行き、学校に通うべき子どもたちも危険な労働に従事する。義務教育は15歳までと定められているものの、政府が全く関与しないために5-6ドル支払わないと通うことができない、そのため学校に通えず鉱山に行くのだそうだ。 犯人と言えるのは、腐敗した政治家、子供たちや弱い立場の人々を採掘者へと追い立て、搾取する組合、兵士たち。だがそれだけではない。 鉱物を買い取り、テック企業に転売するバイヤー企業は今は中国に勢いがあり、コンゴ政府と中国企業が結びついて、コンゴ人採掘者の待遇が悪くなる一方のようだが、それで甘い蜜を吸っている者はその中の僅かで、多くは中国国内に仕事がなく、ようやく見つけた求人にもかかわらず、半ば騙されたような形で働く中国人も多いそうだ。 大手ブランドは綺麗事を言いながら、全く鉱山の現実には蓋をしたまま、そして何よりそれを消費する我々も共犯であることを見せつけられる。
  • 2026年4月8日
    分断八〇年 韓国民主主義と南北統一の限界
    朝鮮半島で起きていることがよくわかり、本当にためになった。韓国文学の解析度が上がるような気がする。ことあるごとにまた読み返していきたい。 尹大統領が戒厳令を出した経緯を日本植民地時代、朝鮮戦争のことから紐解いていくのだが、我々日本人には知らないことが多い。 著者は日本で生まれ育ち、大学から韓国へ、そして韓国で活動されているので、日本人のことをよく分かった上での説明だからわかりやすいんだと思う。韓国の方が書いたものだと、わたしには少し理解するのが難しかったかもしれない。 「韓国社会の発展を南北分断が妨げているというのは目から鱗の議論であるが、複雑な議論であるためか、韓国ではなかなか認識されない。しかし反国家勢力・共産主義者の剔抉を訴えた尹ソンニョルの非常戒厳により、この強固なまやかしをもう一度はっきりと認識できるようになった。これは希望である、とあえて言いたい。それでは分断をどう乗り越えていけるのか。今までになかった変化が南北関係に訪れている。」(p237) この文章から、著者の強い願いを垣間見て、心を動かされた。今年の夏は韓国へ行くつもりでいるのだが、渡航前に読めて本当によかった。 キム・ミンジュ著「北朝鮮に出勤します」と並べて本棚に置いた!
  • 2026年4月7日
    陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う
    戦争関連の本を読むとよく出てくる内容ではあるがいつも、これは、と思うのでやはり書き留めておく。 「戦争とは一国の外交の失敗であり、内政の破綻の結末でもあろう。戦争によって、国民の怒りの矛先を外に向けていく。局面は勝ちを収めても、身の丈に合わないことは長くは続かない。先の戦争で日本はそうして追い込まれ、戦争の指導者たちは沖縄を『捨て石』にし、さらに『本土決戦』なるものを呼号して、ついにすべてが終わった。」(p18) 全体主義の中で、どれほどの若い命が軽く扱われ失われていったのか、そういうことをひとつひとつ長きにわたって取材を続けて来られた著者の言葉からは戦死者の「数」ではなく、一人一人ある若者の人生、その家族の想いを教えてくれる。 「どんな人も戦争の種を持っている。」(p141) これは元陸戦隊の男性が戦後に語ったことば。 わたしは長きにわたって、日本人はもう今後戦争などするような国民ではないと思ってきたし、好戦的な人はよそにいるものだと思ってきた。恥ずかしながら。しかしそれはただの無知だったことが最近になってよくわかってきた。 その後に先の言葉を語った男性より「戦争の種を育てないことが唯一戦争をなくす手段だ」ということも述べられていて、その通りだと思う。 私たちの周りに種は育ってないだろうか。それをひとつずつ摘んでいかなくてはいけないと改めて思う。 広島在住で、呉市の今の寂しい状況はなんとなくだが知っている。かつては軍港都市として栄え、全国から働き手もやってきていた。今は製鉄所も閉鎖し、大きな土地だけが残されている。 しかしその跡地を防衛省が「多機能な複合防衛拠点」として購入する意向もあるそうだ。呉市としては賑わいが戻ってくることとのジレンマもあるが、多くの市民は賛成している。 西には岩国米軍基地があり、それに挟まれるようにして広島市はある。 人ごとではない問題で、軍事費が大幅に増えていくこれからの状況を注視していこうと思う。
  • 2026年4月4日
    割れたグラス (アフリカ文学の愉楽 1回配本)
    チュツオーラ「やし酒飲み」が大好物の者としては、こういった小説を読む時間は至高の時間。 酔っ払いの語りの中に、世界的名作の名前がチラリと出てきたり、なんじゃそりゃ!が散りばめられていて面白く読んだ。 世界文学はいろんな世界があって本当にいい。評論ではないので、わけわからん!はわけわからんまま笑ってそのまま受け入れて楽しむことができる。楽しい読書時間だった。
  • 2026年3月30日
    「いきり」の構造
    「いきり」に対するモヤモヤが大きくて、ぴったりの本を見つけて嬉しく読み始めた。 イキる人は何故か、「相手が知らないから(もしくは間違った考えを持っているから)教えてやろう」みたいな説教調で話す人が多く、うんざりしている。 著者の武田さんがいろんなテーマで「いきり」について考えていることに納得したりクスリと笑ったり。 「承認」というテーマのところに書かれていたが、承認欲求って依存症のひとつと思っているというお医者さんのエピソードはなるほどと思った。 一番名言だと思ったのは「いやいやそんなことないですよ」という謙遜って、正直、承認のど真ん中にある。 というところ。(p196)思わず声を上げて笑わずにはいられなかった。 自戒を込めて、心に留めておく。 デモにも参加するようになったので、きっと思想が強いとか思われることも出てくるだろう。だけど著者も述べているように「いきり」の対処法は「論理的に言表すること」を諦めてはいけない。それは理論武装として持論を押し付ける、ではない。意見を表に出す。おかしいことにおかしいと言う。(略)「いきり」の好物は考えない状態、誰も何も言わない状態である。 読み終えてみて、個人的に気になっている「ケア」や「ネガティヴケイパビリティ」の言葉と響き合う著書だなと思った。
  • 2026年3月28日
    戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない
    国際政治裁判所(ICC)についてよりよく知ることができた。 プーチンに逮捕状を出したことからICC所長の赤根さんに指名手配を受けたことから話は進んでいく。 さらに、トランプはICCを潰しにかかろうとしているとのことで、存続のピンチであるとの話はとてもショックだった。 赤根さんが所長に立候補するのを勧められたきっかけは、同僚に強く勧められたからなのだそうだ。 彼女の粘り強い働きぶり、そして日本が法の支配がきちんと機能しており、それが世界から信頼をおかれているというエピソードが印象的だった。 そういう外からの日本の視点こそ、わたしたちは知らないといけないと思う。(クールジャパンとかじゃなく、、) だから、東京に事務所を設置するという赤根さんの提案はぜひ実現してほしいなと思う。 ラテンアメリカはほとんどの国がICCに加盟しており、アフリカ大陸も半分ほど、しかしアジアは意外と加盟していない。東アジアは日本と韓国、モンゴルだけ、東南アジアはカンボジアと東ティモールのみ。 アジアに加盟する意義を伝える役割は日本が進んでやっていくことなんじゃないかと思った。
  • 2026年3月25日
    京大マガジン 0号「失敗」
    京大マガジン 0号「失敗」
    創刊号なのに?だからこそ?のタイトルが「失敗」というのが最高。 近くの本屋でも取扱が始まり、さっそく手に取る。 編集長の藤原辰史さんの創刊の辞を読んでグッとくる。もちろん買った。
  • 2026年3月23日
    SNS時代のメディアリテラシー
    手軽に読めるので、つい手に取りがちなちくまQブックス。10代の読者を対象にしているが、今のわたしにもちょうど良い。 SNSでフェイクニュースが出回るようになって、簡単に騙されるし、いつの間にかフィルターバブルの中にいることに気づきハッとすることもある。ストレスを抱えてしまうのに、つい見てしまう矛盾。麻薬みたい。 (それを考えるとReadsのコミュニティはなんと平和なこと!安心して開くことのできるSNS!) クリティカルシンキング、日本語で批判的思考と言われることもあるが、著書は「吟味思考」と訳されていた。こちらの方がいいと思う。 立ち止まって考えること、自分の考え方のプロセスを内省的に吟味すること、論理的に考えること。ほんとに大事だと確認。 こういうことはすぐには実践できない、ピアノを始めて曲をすぐに弾けないのと同じと書かれていた。確かに。 日々気をつけていこうと思う。
  • 2026年3月20日
    法は君のためにある
    ちくまQブックスのシリーズを見つけては借りて読む。意外と知らない社会のこと。 部活や文化祭、通学でも使う電車から法についての話が展開されていく。学生には身近にある内容。 トラブルが起きた時に、話し合いの中で理由や根拠を見つけていく、いくつかの選択肢が挙げられ、解決を導く。こういうことがひとつひとつ説明されている。このプロセスが学校での集団生活で学べることなんだよなー。 昭和は「先生がこういうふうに言ったから!」っていう独裁色の強い教育もあったかもしれないけど、学校生活から民主主義を学ぶんだな。 こういう素晴らしい本はきっと昔からあったんだろうけど、知らなかった。若いうちに読んでいてもわたしに理解できていたかどうかは怪しいが、、今でもこうやって読めてよかった。
  • 2026年3月20日
    在日朝鮮人ってどんなひと?
    実はよく知らなかった在日朝鮮人のこと。中学生向けの書籍ということで、とっかかりにはちょうどいいと思い、図書館で借りてきて読んだ。 著者である徐京植さんの伝えたいことが最初と最後の章を挟んで、事実について歴史を追って、時事問題もしっかりと書かれていてよくわかった。あまりに知らなかったことばかりだったし、読むのに少し辛い部分もあった... 後半の著者の伝えたいことは差別をなくす、という朝鮮と日本の問題に限らない内容でとても良かった。 組織でも国家でも間違うこともあって、特定の集団を抑圧することもある。自分が多数派で身を委ねていると、他者を害する立場にもなり得るし、もし反対に抑圧される側になったとき、自身が害されることになると。 「国に与えられたとおりではなく、自分で自分のアイデンティティを持とうとすること、それは難しいですが、自立した人間として、責任を持って自分自身の運命を切り開いていくためにぜひ必要なことだと思います。」 わたしが中学生だった頃は「みんなと一緒」が一番ラクだった。というか他の選択肢がほとんど考えられなかった。 タイタニックが沈む時、船から降ろしたい時には日本人には「みんな海に飛び込んでます!」って言えばいいって日本人には効くっていうジョークがあった。そういう弱いところがあるのはよくわかる。 個性なんてよくわからなかったし、みんながいいっていうのでいいと思っていたりしていた。今の中学生にはどう響くんだろう。
  • 2026年3月18日
    生を見つめる翻訳
    明治開国から、東京外語大150年の歩みを記念して出版された本。 さまざまなジャンルの翻訳家たちのエッセンスが詰まった本で、あまり関心のないものもあって全部読み切れるかな、理解できるのかなと思っていた。もちろん、理解できないところもたくさんあったけど、全て面白く読み切った。 「支那語部」をめぐる翻訳 「我々は中国学科であって、中国語学科ではない。ことばだけができればよいのではなく、その文化的・社会的背景も含めて理解することが必要だから、と聞かされた。また、経済活動に形を変えた新たな侵略者になってはならない、という言説も耳にした。」(p267) 経済成長著しかった日本は、特にアジアのことばに対して、同じ立場に立つように考えていかないと、どうしても上からものを言うような時期があったことを思い出す。(もちろん今も残っているが)今、わたしのよく行く本屋の外国文学の棚の半分がアジア文学を占める。昔は圧倒的に英語からの翻訳が多かった。少しずつ時代が変わってきているのを肌で感じる。 南米インディオ文学など紹介者、評論家である太田昌国さんインタビュー 「社会が変わるためには、革命といってもいいんですが、どうしたって政治というものが大きな面構えで前面に出てくる。でもそれはあんまり本質的な社会の変革とは関係がない。人間がまだ政治というものの扱い方に熟していないから、どうしようもない権力者が出てきて、革命といっても上っ面なところで終始してしまう。思想、文学、芸術というのはもっと根本的なところで、人間が自分たちの在り方とか、過去・現在と向き合って未来のことを考えるための源泉になるものだ」(p305) 人間は賢くなっているように見えながら本当に何も変わっていないと幻滅する今日この頃。政治の支持率は本当に流動的で、少し前まで圧倒的支持を得ていた人もあっという間に凋落したりする。 本質を見るための文学芸術。大切な言葉をいただいたので、ことばを胸にしまって、またどんどん本を読む。
  • 2026年3月18日
    休むヒント。
    休むヒント。
    売れっ子さんたちは総じて忙しく、休むことについては得意ではなさそうで、改めて休み方についてそれぞれの考え方で真剣に論じているのがクスッと笑えたり納得したり。面白かった。 古賀及子さんの「自分の時間を休むことに決めた」という発想が新鮮で、休まなければ、と言うプレッシャーから解放され「忙しさは変わらなかったが、気持ちが緩んで驚くほど楽になった」そうだ。 忙しい人が声をかけられる場合、「ゆっくり休んで」という言葉がほとんどで、わたしが人に声をかけるバリエーションとしても結局はこの類の言葉だったなと反省。疲れからくる心身の症状に対して、医者さえ言うのだからしょうがないのだけれど。 社会で生きている限り、どうしたってとてつもない忙しい時期というのは誰だってある。 いつも励ましてくれるあの作家さんも休むことについて悩んでいるのかと思うと、気持ちが軽くなった。
  • 2026年3月15日
    オールド台中食べ歩き歴史小説家が案内する老舗屋台の味
    オールド台中食べ歩き歴史小説家が案内する老舗屋台の味
  • 2026年3月14日
    社会主義都市ニューヨークの誕生
    あれはまだ市長選予備選前、全然通りそうにない支持率の頃にsnsの動画でラマダン明けの食事会に来ている人が「未来の市長だよ〜!わー!」って写真を撮っている楽しい様子のを見たことがあって、こういう人がほんとに市長になったらいいよな、と思っていたら、ほんとに市長になっちゃった。 ということで、“急進左派”とも言われているマムダニ氏のことを知るべく読んだ。 今年1月から就任、まだ始まったばかり。 急進左派と報道では言われるものの、これを読んでみると全然過激ではなく、今まで欧州で時々見ていた社会民主主義だし、突然マムダニブームがやってきたわけではないこともよくわかった。ボストン(中華系で女性)、シアトル(自称社会主義者で女性)の市長も似た政策を成功させている。 タクシードライバーと15日間ハンストしたり、市民的不服従で逮捕されたり。街角で市民にインタビューしたり。 市長選の時から殺害予告など目立つが故に物騒なこともあったりする。彼は命かけてるなと思う。 大企業増税を掲げているが、そういう企業の幹部にも会いに行って話をよく聞く。自論は展開しない。若くて柔軟な姿勢こそが政治家には必要なんだなと思う。日本でもそんな人がたくさん政治家になってほしい。
  • 2026年3月12日
    インドネシア・スンダ世界に暮らす
    1975年、50年前にインドネシアのジャワ島中部地方のバンドンに留学された著者の記録。 読後思ったのは日本人のマインドはほとんど変わっていないという事だった。 「『日本語ブーム』といった上調子のものでない、ありのままの日本を伝え、同じ土俵で相互批判が可能になる関係をつくりだしてゆく必要がある。(略) インドネシア人の示す親日的態度に甘え、相手を知る努力を怠り、自国の“言語・文化”の普及のみを考えているとしたら、それは『文化侵略』と言われても仕方がない。」(p264) 一昨年、ジャワ島を旅行した。そのとき出会った若者(バイクタクシー、ホテル受付、ツアーガイドなど観光産業は圧倒的に若者の仕事だと改めて気づく)に何人か聞かれた。 「日本がインドネシアを占領していたのは知ってる?」 私たちは歴史でそれをほとんど学校で学ぶ事がない。幸い、本で読んでいたので、答えることができると彼らは頷いて、仕事に戻るという場面が幾度かあった。たぶん知らないと言っても彼らの態度は変わらないと思う。 おそらく、そういう人の方が多いだろうから。 彼らの態度は同じ土俵で話そうとしてくれていると感じ、嬉しかった。今までは日本人は金持ち、お客さま、消費者という関係性だけで、そういう腹を割った話がちょっとした会話の中で生まれにくいと感じていたから。 今はインドネシアに旅行で行っても現代的で困ることはほとんどない。しかし著者が滞在したのは50年も前のこと。著者が見ていたインドネシアはトイレがなかったり、電気もない、餓死者も出るほどなので命懸けで生きている人もいた。 ジャワ島からバリ島やロンボク島など東へ旅行するのも船が主な移動手段で、著者はスケジュールの関係で行くことができなかった。今はどうだ?LCCが飛びまくっていて、インドネシア国内はどこでもスムーズに行くことができる。 変わったこと、変わらないこと、まだ日本軍を知る人たちが生きていてその証言だったり、東ティモールとの衝突も進行中だったり、歴史を感じる面も見えて今のインドネシアとの比較をしながら興味深く読んだ。
  • 2026年3月8日
    危険なトランスガールのおしゃべりメモワール
    晶文社のIamlamIamシリーズ、『ベル・ジャー』がきっかけでシリーズ読み始めたのだけど、『コミックヘブンへようこそ』も大変よく、正直に言えば恐る恐る手に取った。シリーズになっていなかったら、まず自ら手に取っていなかったであろう本。 トランスガール、わたしには未知の世界で、ついていけるかしら、と心配しつつ読み始めたのだが。とても面白く、一気に読み切った。疾走感が心地よい!著者と一緒に、読者もついつい応援したくなるようなガールズたち。 翻訳もとても読みやすく、入り口で待っているだけで、スルスルと引き込まれる。こういった世界に精通した方じゃないと難しそう。 こういった強みを活かすってAI翻訳にもまだできることじゃなく、素敵な仕事だなと思った。
  • 2026年3月7日
    読書アンケート 2025――識者が選んだ、この一年の本
    こんなのを買ってしまったら、また積読が増えるというのに!!買ってしまった!
  • 2026年3月6日
    「イスラエル人」の世界観
    タイトル通り、イスラエルからの視点で書かれている著書。ある意味、この状況では新鮮かもしれない。 「国際社会の私たち市民もイスラエル、パレスチナのどちらかだけを全面支援することが多く、分断を深めている。だが双方に個人的な友人、知人がいれば、集団をまるごと悪魔のように見立てる行為にはためらいを覚えるはずだ。イスラエルもパレスチナも『顔のない集団』ではなく、『顔のある個人』の集まりだからだ。」 著者も書いているように、双方の面から知る必要があると思い読んでみた。 第4章「闇」のイスラエルを読み進めるにつれ、内容は悪一色になり、気持ちが沈んでいく。著者もパレスチナの被害の甚大さ、イスラエルの悪への取材に対し、偏りが生じてくる葛藤に苦労されたと書いてあった。 著者のおかげでイスラエル人の心情やユダヤ人ホロコーストから消えることのない被害者意識に触れることができた。 そして、共生を望むイスラエル人の存在(それだけで過激思想のユダヤ人から命が狙われることもあるというのに)、双方が支え合う遺族の会があることを知れたのはイスラエル側からの取材のおかげだと思う。 また、23年の10.7以降、イスラエル人の安全神話が崩壊し、トラウマを抱え、精神症状をきたす人も増加傾向だという。戦っても無意味だと反戦ムード、大規模なデモも続いているとのことだ。 イランへの空爆をきっかけに、泥沼化している中東情勢。この空爆も10.7から地続きなのだと改めて認識する。 ガザへのひどい攻撃からひとりひとりが国際社会の圧力をかけていく他ないと感じ、できることはやっていきながらも、このような状況を止められない無力感も同時に持っている。我が政府も全く期待できないし...。 しかしやめてはいけないと思う。そして、本やニュースなどを通じて知ること、考えることもやめない。
  • 2026年3月2日
    そして名前だけが残った: チェロキー・インディアン涙の旅路
    そして名前だけが残った: チェロキー・インディアン涙の旅路
    こちらも児童書コーナーにあった本。チェロキー・インディアンについてゼロから学ぶいい機会だった。 ジョージア州に住んでいたチェロキーは伝統を守りながら白人文化も取り入れ、共和制議会、憲法、チェロキー文字、新聞、学校などを作って、白人たちとの共生のために尽くした。 が、金鉱が発見され、チェロキーたちの尽力はなかったことにされ、西へ強制移住を命じられる。 過酷な移動の中で多くの命が奪われ、チェロキーはアメリカから滅んでしまう、という歴史をわかりやすい物語で追うことができる。 アイヌ文化を軽視した歴史、今や絶滅危惧されているアイヌ語をはじめとする文化のこともあり、日本だから無関係というわけではいられない。 それに、パレスチナで現在起きていることがまさにこういったことではないか。 歴史は単なる歴史ではなく、現在にも続く問題なのだと改めて感じる。 サクッと読めてわかりやすい。図書館でこのタイプの本をもっと探っていこう。
  • 2026年3月1日
    地べたから考える
    地べたから考える
    同じシリーズの別の本を図書館に借りに行った時、児童コーナーに案内され、こんないいシリーズがあるんだ!と知った。ちくまQブックス。さすが筑摩書房さん。 ブレイディみかこさんは気になりつつもまだ読んだことがなくて、どうしてもっと早く手に取らなかったんだろう!と思った。他の著書も早く読みたいと思ったし、ちくまQブックス、子供用だと侮るなかれであった。 今まさにモヤモヤしていたところを示してくださったところを記して、あとに活かしていきたいと思う。 「日本の貧困者があんなふうに、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力無くぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、詰まるところ『アフォードできること(支払い能力があること』だからではないか。それは結局、欧州のように、『人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を持っている』というヒューマニティの形を取ることはなかったのだ。」(p64) ”税金払ってますから言わせてもらいますけど“みたいなことをよく聞くし、わたしもそう思っていたが...”生まれながらにして“私たちは、ということをもっと自分なりに考えていく。 「他者の靴を履く」というたとえ。エンパシー、「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって感情や経験を分かち合う能力」。エンパシーは「能力」。 著者は「日本の若い人たちと話をしていると、日本ではまず「自分の靴を履く」ことの方が大事なのでは」と言う。 若い人に限らないが、絨毯の上に(靴なんか履かず)大人しく座っていることの方が良しとされる風潮もあって、靴を持たない人もいると言及があり、この意見にハッとした。 自分の靴を持たないから、大多数に靡くのかもしれないし、たとえ自分の靴を持っていたとしても、脱ぐという発想自体を持ち合わせないために、合わない人には攻撃や説得、無視など、分断しやすさの社会があるのかもしれないと思った。 このこともずっと考えていきたいと思う。
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