
たにこ
@chico75_11427
2026年10月12日
闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由
ジェーン・スー
読み終わった
吉田羊さんの章で、自分に自信がないことを肯定しつつもやればできる、という姿勢をとっていることを目の当たりにして、背中をそっと押してくれた気がした。


たにこ
@chico75_11427
独りよがりな自己主張はなかなか通らないものだが、周りのリクエストに応えていくと、船は案外と遠いところまで行けるものだ。(P20〜21)
なにがあろうとも、最終的には自分に利を生む経験だったと腹落ちさせられる人は、必ず歩を前に進められる。うらみがましさを手放せるようになるまで、私は自分に成し遂げる力があると信じることができなかった。攻撃翻弄の対象としてしか自分の存在理由を見出せずにいる人が前を向くパワーを、人は後天的に養うことができるのか。
「とても難しい質問だと思います。頑張れる人もいれば、そうでない人もいることを私は病気(48歳のとき、乳がんで1年2ヶ月休養)で知りました。(中略)頑張るしかないんですよ、生きるために。頑張れば上に行けるという話じゃないんですけどね。上に行くアクションのイメージ自体が間違えてると思うんですよ。抜けるのは上じゃなく、左右どっちか」
抜けるときは、横から。抜け道が左右にあると捉えられれば、這い上がる力がない人にとっても、脱出はタイミング次第と考えることもできる。(P231〜232)
彼女たちがここにいる理由は明らかだ。決してあきらめず、自分を信じたからだ。しかし、努力や根性だけの賜物ではないだろう。行間を子細に見ていけば、そこには他者と自己へのたゆまぬ観察と分析があり、鍛えぬいた客観性があり、それ以上の主体性があり、信念を曲げないことと、他者の期待に応えることの両方を叶えるための永遠の微調整がある。自分以外の言いなりにはならないのも、大きな共通点だ。つまり、自分の人生の舵を決して手放さない。
彼女たちは地図と羅針盤を持っている。そのふたつがあるから、信じ続けることも、あきらめないことも叶う。心の中に輝く北極星がある限り、自分を見失うこともない。(「おわりに」より)