
読書記録
@records
2025年4月12日

人生の意味の哲学入門
森岡正博,
蔵田伸雄
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第三章、とても興味深く読んだ。
「広大な宇宙の中でちっぽけな人生に何の意味があるのか」というテーマで、
ベネター(反出生主義で知られる人)と、ガイ・カヘインが取り上げられている。
ベネターによる意味のある人生
「自分の範囲を超えて他者に重要な影響を与える、あるいは自分を超えた重要な目的を果たす」こと。
さらにそれを「宇宙的な意味」(宇宙全体にとって)、「地上的な意味」(地球上の範囲に限定して)という観点で評価する。
「地上的な意味」も、さらに3つの観点に分類して評価される。
「個人的な意味(身近な人々との個人的な関係)」「集団的な意味(国やコミュニティなど大きな集団)」「人類的な意味(人類全体)」
※どのような人の人生も、宇宙的な意味を持つことは決してない、とベネターは考える。
このようにベネターは人生の重要さを、客観的な立場から成果の大きさに基づいて評価する。
これに対して、ガイ・カヘインの議論が紹介されている。
カヘインは価値があることと、重要であることを区別する。
重要さの評価には、ある観点のもとで、他と比較して「注目に値するか」どうかという側面が関わっている(それ単体では価値があるものでも、注目に値しないため重要でないと評価される)
このことから、多くの人々は、広大な宇宙全体という観点で、ちっぽけな自分(の人生)は「注目に値しない」から重要でない、と考えてしまう。
しかし、カヘインは私たちが特別な価値を持っていると指摘する。
私たち人間(あるいは他の生物)は、思考能力や感覚能力をもち、そのことによってさまざまな価値あること(喜びを感じる、他者を愛する、道徳的な行為など)を実現することができる。
それに加え、宇宙には私たちと同じような知的生命体が見つかっていないことに注目し、その「希少」さが私たちに特別な重要さを与えると論じる。
※カヘインが示す私たちの重要さは、地球上の人類(ないし生物)に共通するものであって、個人に固有の人生の重要さを示すものではない。
個人的には、カヘインの議論の方が魅力的に感じる。
でもそれは論として正しいかどうかというよりは、自分が生きているから、結論ありきで、生を肯定したり擁護したりする思想の方が魅力的に感じているだけなのか?と思わなくもない。
