
ザムザ
@zamzy733
2025年4月13日

瞬間に生きる 活動するための哲学
アダム・サンデル
読んでる
哲学
@ 自宅
ソクラテスの頃、ギリシア人の市民男性は神話的な理想に自分を重ねたい欲に駆り立てられていた。それは戦争での誉れであり、後世に英雄的に語られるような人物像である。が、ソクラテスはそうしたありように疑義を呈した。よく生きることは、よく己れの魂を、徳の質へと磨きあげることであるというわけで。
それはさておき、
誉れという点からいえば、ホイジンガが『中世の秋』に報告していたように、中世ヨーロッパの頃に活きていた騎士道精神もまた、おなじ姿を人にさせた。つまり、英雄的であればこそ、汝の生は高貴である。
思うに、ここにはひとつ、閑暇のテーマがある。
ルソーは人が幸福になれないのは暇に耐えられないからだと説いたそうな。暇というのは厄介で、なにかしなくちゃと人に思わせ、ただじっとしているその様子を「役立たず」だの「無為」「無価値」だのと決めつけるよう、人を駆り立てる。だから人はなにかしら模範を欲してしまう。それは(フロイトーラカン風の精神分析を参照せずとも)現代のインフルエンサーが持つ影響力の説明にもなろう。つまり、暇人は自分が同一化する物語を求めてしまうようなのだ。
中世ヨーロッパの騎士たちにせよ、古代ギリシアの戦士たちも、「暇潰し」の消息により、そのような生き方を選択しなければならなかった。そう考えてやることができそうではないか? 人にかかる選択圧が追いやる先にあるのは、人に生きる理想を授けてくれる物語である、というわけで。
【善き生のガイドとしての哲学】より