くにっち "キャメラマン一代: 私の映画..." 2026年10月27日

くにっち
くにっち
@kuni
2026年10月27日
キャメラマン一代: 私の映画人生60年
神保町の古本祭りで入手。めちゃくちゃ良い本でした。 著者の宮川一夫は、黒澤明監督『羅生門』(1950)で雨に墨を混ぜたり、市川崑監督『おとうと』(1960)での "銀残し" 、などの撮影技法で知られる伝説的な映画カメラマン。 ちなみに "銀残し" はそのあと世界中で使われた技法で、例えばデビッド・フィンチャー監督の『セブン』(1995)などでも使われています。錆びたような渋い色合いの映像が作れます。 また、私個人的には、溝口健二監督『近松物語』(1954)を観て、役者の動きにあわせてかなり豪華なカメラワークをしてるのに常に構図が完璧で、どの瞬間を切り取っても1枚の日本画のように見えることに衝撃を受けました。それ以来、映画でカメラマン(今でいうと撮影監督)を気にして観るようになりました。 この本を読んでわかったのは、宮川一夫がカメラでの「撮影」だけでなくフィルムの「現像」まで考えて撮影していたことが、独特の技法や画調を生み出したということです(ラボ時代はビール瓶や醤油を使って撮影・現像するなどの実験もしていました)。 本人も、昭和元年に日活に入社して3年間現像部のラボにいて色々工夫をしていたことが大きかったと回想しています。撮影がソフトだとすれば現像はハードで、その二つを知っていたおかげでずいぶん得をしたし自分自身の撮影術にも大きく影響していると。 最後の文章がとても良いなと思ったので抜粋します。 特に、フィルムに「絵」を、画調に「詩」を、キャメラワークに「リズムと音楽」を、というくだりは忘れがたい一節になりそうです。 もし興味ある方は、デニス・シェファー・著『マスターズ・オブ・ライト』あたりもおすすめです。 ---------- 映画が好きで好きでたまらないので六十年も撮ってきましたが、キャメラマンの仕事は、私がカメラの一部となって、カメラが踊るように、対象を「写し撮る」ことができなくてはなりません。つまり、体力がいる仕事なのです。もちろん、感性だけは若い時以上に研ぎすましているつもりですし、視点も「宮川的」というものを積み重ねてきました。しかし、肉体だけはいかんともしがたいのです。 その意味で、早く若い人がどんどんでてきて、私を乗り越えて欲しいと思っています。といいながら、それを理由にして、まだまだ撮りたいと思い続けるのは、やはり私が「映画バカ」以外のなにものでもないことの証左なのでしょう。 これからも、体力の続く限り、キャメラを通してフィルムに絵を描き、キャメラワークにリズムと音楽を。そして画調に詩を書き続けたいと思います。 ############ 映画人生六十年、長い間にはいろいろありましたが、話すことはいつも同じ、新しいものがないような気がします。映画技術者の視野のせまさは、一つのレンズを通してしかものを見ない、その見つめ方と同じ。キャメラから離れた私には何も無いし、何もできません。 技術者だから技術の本を、といわれても、古い手造り的な、昔の技術のことは書けても、昨今の映像文化の、高度な映像造りの技術には、関心はあっても、もう私の手のとどかないものになっています。 しかし、技術機材の体系は変わっても、映像表現に変わりは無いと思っています。特に映画のイメージは、単に機械的な行為だけでできるものではありません。人間が心をこめて創造するものです。フィルムの一コマ、一コマにスタッフひとりひとりの発想と工夫がこらされ、さらにそのコマに、それぞれの愛情と情熱が注がれています。こうした一コマに打ち込むスタッフのつながりが、今日までの映画の芸術性を支えてきたのだと思います。 本文中で人名の敬称を略したり、勝手気ままな書き振りをお赦しください。 おしまいに、若い人へ一言。 この本を読んでくれた、映画作りの技術に興味をもつ若い人たちには、さしたる糧にはならなかったと思います。 ただ、長く映画に携わった者の経験で、現在はとても大切な時期にあると思います。最近の映像表現は、エレクトロニクス等を利用して、高度な技術がつぎつぎに開発されています。 こうした新しい技術の進歩に適応していく能力を養うため、ぜひ基礎を確実に学んで欲しいと思います。映像はこれから無限に広がっていきますよ。ありがとう。 宮川一夫
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved