ケイ "アクリル" 2026年10月30日

ケイ
ケイ
@flyingkei
2026年10月30日
アクリル
アクリル
井上荒野
自分の限界を越えて推し活へとのめり込む人々について語る小説というと『イン・ザ・メガチャーチ』が記憶に新しいが、運営側の視点を盛り込んで一つの需要/供給システムのありようを俯瞰して描いた『イン・ザ〜』に対し、本作は推し活にのめり込んでいく妻をいかに受け入れるかという夫目線で描かれた作品だ。推し活業界のあり方についてではなく、他者を自分の人生の物語のために都合よく消費する身勝手さに目線を据えながら、夫婦とは何か、人生の幸福とは何かというところに重点が置かれている。 自分の人生を世間的な合格ライン、できれば平均より少し上の「幸福」なものとして周りに提示することを望む主人公・卓郎にとっては結婚もその延長線上でしかなく、妻・美幸も「自分の人生の物語」にほどよくはまるパーツとしてそこに組み込まれたと言える存在だ。しかし、卓郎が無精子症であることが判明し、すべてが狂い始める。強く子どもを望んでいた美幸が一気に推し活へとのめり込み始め、家庭でも仕事先でも推しのアクリルスタンドを肌身離さず持ち歩くようになるのである。 卓郎はまずアクスタに反感を抱き、妻に否定的になり、けれど次第に「推し活によって生き生きと輝く妻を寛容に受容する夫」という立場を取ることで、推し活にのめり込む美幸を再び自分の人生の物語に美しくはめることに成功する。そのはまり方は卓郎にとってとても快適で、美幸が推し活のために明らかに常軌を逸した手段で資金を集め始めても、卓郎は「推し活で輝く妻を受容する夫」という立場を守るため違和感に目を向けずやり過ごす。その果てに待っていた大きな落とし穴の中で、それでもなお幸せな家庭の幸せな夫という物語を生きようとする卓郎の不穏な前向きさの中で、本作は終わる。 アクリルの板を見つめて生きる妻を自分の人生の物語のパーツとして愛しむ卓郎の眼差しも、妻をアクリルに挟んで眺めるかのようだ。アクリルの板に閉じ込められた「推し」を見つめ、「何にもなれない」自分を忘れて生の充実感を得ていた美幸は、現実世界で充実感を得られるようになればアクスタのことは忘れる。しかし卓郎は、妻と同じ行程をたどって現実に返ってくることができない。美幸の選んだ道は、美幸の人生の物語の中に卓郎をはめ込むものではあっても、卓郎にとっては卓郎不在の物語としか思えないものだったからだ。 理解ある夫、愛し合う満ち足りた夫婦というセルフイメージを人生のアクスタとして飾ってきた卓郎は、アクリルに挟まれていたはずの現実がどろりと漏れ出して透明な輝きを失っていく様を直視できない、直視しない。美しい物語を頑なに描き続けることで、彼は救われるのか。生身でぶつかり傷つくことこそが、アクリル越しではないリアルな生とそこにしかない充実感を得る道なのではないか。アクリルの中の世界だけを見つめ続ける卓郎と、自分の人生の物語に打ち込む美幸という歪な夫婦の肩越しに、生きろ、傷つけ、という作者の呼びかけが聞こえてくるようだ。
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