
ザムザ
@zamzy733
2025年4月18日

読み終わった
p31-32 時間の、河のイメージ。
p117 脳科学の発展により、私たちは自由な感じを発電できる自然法則の操り人形に過ぎなくなりえるようになった、という認識が発明された。
p151 時間が空間ではないのは自明でありつつも、時間がかなりの程度「空間のように扱えてしまう」ことに驚くべし。
p153 タイムトラベルにおいて、未来の自分を知るときに、知ろうとする態度ならびに行為、もしくは結果的に知ってしまった事実そのものによって、知られる対象としての未来の自分が、決定する。……これは、檜垣な『ヴィータ・テクニカ』や村田の『技術の哲学』にあった、「技術=テクノロジー」そのものによって変容をこうむる使用者と重なる。タイムトラベルというテクノロジー!
p172 速度の概念。計測対象と無関連に時を刻む時計の存在により、それは成立する。アキレスと亀の世界にはこれがない。……すなわち、アキレスの速度を規定する時間軸があり、亀の速度を規定する時間軸がある。アキレスと亀のパラドクスでは、さっき亀がいた「地点」にアキレスが着いた「時点」という、「運動」の話をしているのであって、第3の時間軸でもって相対的にどちらかの速度に軍配があがる類いの話ではないため、アキレスは亀に追いつけない。
p186 視点の話。視点の同一性が可能であることにより、たとえ未来の自分が消滅したとて、消滅後の世界について語ることができる。
p223 アウグスティヌスのあれ。時間とは人に聞かれるまでは知っている。聞かれて答えようとした途端に、私はそれを知らない。……ここにある時間と言語との不和。人は今とここを示すことしかできないのか?……だがそれはアポリアだろう。今もここも、客観的なものとして言語体系内に位置付けることはできないのだから。
p236 言語に内在する、時制と同一性概念との共存。……あるいは、人に聞かれて語ろうとするその手前において、すでに語り終えているのが時間。私の言語によって。

