きたむら かつまさ
@kkitamura
『人生においても、坐禅においても、一体何が正解なのか、私は未だに分かりません。しかし、「人生とは何か」「坐禅とは何か」というふうに、よそに向かって問うことだけは止めました。一瞬一瞬、この私自身の生きる態度が問われているのだ、ということに気づいたからです』
『この現実を本気になって見つめ、今ここ、本音を生きれば初めて本物の自分になれます』
『「何のために?」「何のためでもない。ただやるのだ」』
『悟りとは損すること。迷いとは得すること。われわれはできるだけ損をせねばならぬ』
『一生懸命に「しあわせ」になろうとしている私は、今ここ、この自分の本当の有りようを見失って、自分をいつも留守にしていたのです。(中略)今この私はすでに「しあわせ」のど真ん中にいるのだという真実も分からなくなってしまいました。』
『苦のカラクリに気づくと、苦の中身が違ってきます。「苦」のなかで「足るを知る」ことができます。いくら「楽」を追い求めて生きていても、足るを知らなければいつも不満がのこり、楽から遠ざかっていく一方です。足るを知れば、どんな逆境の中でも、落ちついていられるはずです。それは「楽」の本当の意味ではないでしょうか。』