やた
@Yatax
無意識下の差別意識が、じわじわと掘り起こされて晒されていくような感覚になった。
啓喜の章を読んでいる時は、気持ちはわかるけどこういうダブルスタンダードな人いるよなあ、どっかで自分は違う、自分は道を踏み外したりしないと思い込んでるんだよなあ、たまたま環境がそうだっただけなのに、と感じた。
夏月の章を読んでいる時は、自分の好きに生きることを許してくれない環境とか人っているよなあ、そこから出るきっかけがないとしんどいよなあ、と感じた。
それまで他人事として読んでいた物語が、八重子の章で自分事になって、背中に変な汗が流れて、もうやめてくれと思いながら最後まで読んだ。
数年前、芸能活動を行うゲイカップルの日常をコンテンツ化する仕事をしたことがあった。
彼らが所属する事務所の意向ももちろんあったと思うけど、彼ら自身が「まだセクシュアルマイノリティは"テレビの中にいる人たち"だと思われているけど、そう思っている人たちと何ら変わらない自分たちの日常を知って、"特別"だと思わないようになってほしい」と言っていた。
自分はそれは大事なメッセージだと思ったし、それを広げる手助けができることは光栄なことだと思って自分なりに尽力した。
その後、知人のバイセクシャル女性に仕事の話をした時、「マイノリティのことは放っておいてほしい」と言われて、すごくショックだったし腹が立った。
自分が抱いた使命感が、仕事がバカにされたような気持ちになった。
だけどどっちの感情もあるよな、と冷静になると理解できる。
でも、放っておかないことで傷つく人を減らせるんじゃないか?という気持ちは変わらない。
紗矢や八重子が、誰かに褒めて欲しかったり、生きづらい人の気持ちを理解できる自分に酔っているとは思えない。きっと本心から、自分が何か役立つことができればと思っていたと思う。
じゃあどうすれば良いのか、ということをずっと考えていかないといけない、その都度考えないといけない、と改めて思わされた作品だった。