
読書猫
@YYG_3
2025年4月26日

エスノグラフィ入門
石岡丈昇
読み終わった
(本文抜粋)
“空気というあまりにも自明なものを思考の対象にすること。自明なものに目を向けることは、社会を別の仕方で考えることにつながります。
たとえば、空気を考えることは、経済格差(マニラでも東京でも居住地によって空気の不平等が顕著であること)、病い(世界と身体の境界は皮膚だけでなく肺にもあること)、さらには戦争や暴力(ガス室や催涙剤は空気をターゲットにしていること)まで考えることにつながっています。
エスノグラフィとは、こうした自明なものに立ち還ることで、社会や世界をこれまでとは別のかたちで問うこと、さらには描くことを探求する実践です。人びとが実際に生きる場面を丁寧に記録し、その現実感から飛翔しないで社会や世界の成り立ちを見つめてみる。そんなエスノグラフィについて、本書では考えています。”
“人間は生活の場でさまざまな工夫をして生きています。「身内」の拡張論理を使いこなして生きるナイロビの都市下層民たちの姿は、まさにそうでしょう。その工夫は、個人レベルだけでなく集合的なレベルで展開されます。厳しい都市生活を生き延びるために、人びとがそれとなく時間をかけて創り出した営みです。
だから、生活には創始者がいません。もっと言えば、みんなが創始者だと言えます。”
“貧困とは何か、失業とは何か。さまざまな定義ができますが、私は時間的予見の剥奪がそのポイントだと考えるようになりました。
仕事や練習など、毎日のルーティンがあれば、人は時間的予見を手にすることができます。ボクサーであれば、一日に何が起こって、一週間がどのような進行をたどり、その先にはどんなボクサーとしてのキャリアの展望が見えてくるのか。あるいは大学に通う学生であれば、今日の授業はどうなっていて、一週間の時間割はいかなる構成で、そして何年経ったら卒業するという展望がある。つまり、規則的な労働や活動に従事するということは、時間的予見を手にすることでもあるのです。
しかし失業するとどうでしょうか。お金がなくなるだけでなく、この時間的予見が剥奪されます。
失業や貧困とはお金をめぐる困難であると同時に、時間をめぐる困難でもあります。”


