
ワタナベサトシ
@mizio_s
2025年5月1日

中動態の世界
國分功一郎
買った
読み終わった
『暇と退屈の倫理学』を読み終えた(とても気に入った!)ので、次はコレを読んでみた。
難解な内容でなにが書いてあるかまったく分からない……、という印象が先にある。同書が小林秀雄賞を受賞したときの選評が、のきなみ「わからない」とあったことが悪い意味で拍車をかけたか https://kangaeruhito.jp/article/1032 。
しかし、新潮文庫として一般の誰もが気軽に手にすることができる本であり、学術論文を読み解かなければならないほどの苦労はない。
哲学の問題を扱っているので少々分かりにくいところがあるのは確かだが、文章は平易で丁寧であり、章ごと冒頭には必ず前章のまとめ(サマリ)があり、ここまでの議論で共通の理解どこまで進んだか逐一確認してくれるし、読者が迷子にならないようとても注意深く配慮されている内容だと思う。
タイトルにある「中動態」とはなんぞや、の説明が入り口になってしまうから致し方ないのだが、この本は別に中動態を解説するためのものではない(言語学的に中動態を定義するものとして書かれているわけではない)。読み進めていけば分かってくることなのだけれど、副題にも含まれている「意思」と「責任」について各々が考え直さなければならないと感じさせる、パワーを持った啓蒙の書だと思う。
そのことに気付かされるのは本書のかなり後半のほう(だと思う)。中動態とはなんぞやをひと言で定義しようなどと足踏みしていては、第8章以降ずいぶん話題が逸れてしまっているように感じられ、置いてきぼりにされたように感じてしまうだろう。また、結論にゆくために端折ったり強引な展開があるように感じられてしまうかもしれない。その意味でも、文庫にある捕逸はとてもありがたい。
厳密さを欠いてしまうのでざっくりとした理解の言葉でしか書けないが、自分なりにまとめてみる。
意思のこと、あるいは責任について考えるときに、これまで自明のものとして保ち続けてきた枠組みでは(矛盾とまでいうのは大げさかもしれないけど)しっくりこないところが出てきてしまう。その感覚をうまく説明するために/違った角度から再考察するために、例えば既に失われてしまった中動態という枠組みを使ってみれば、理解、ないしは考えかたの助けになるのではないか。
そんなことを呼びかけている本だと思う。
個人的には、法律を学ぶ者・法の解釈に興味がある者は、いちど読んで、こういう見方があるということを自らの中に入れておく必要があると思う。けっして言葉遊びのように概念をこねくり回して難解さで読者を煙にまく本ではない。この世界で生きるにあたり、大切な視座を与えてくれる実用書だと思う。
昨今は文庫本もずいぶん値段が高くなったけれど、この内容で500ページ超の文庫本が900円(税別)というのは、とてもありがたいことだ。その意味でも、本書は広く一般の人々に読まれて、拡張した視座のもとで新たな議論が巻き起こったり、より解像度の高い責任“感”を抱くようになる契機となって欲しい。
この本を読んだ人ばかりで話をしてみたい。

