中動態の世界

196件の記録
- 拓洋舎@hallelujah10252025年7月9日読んでる@ 自宅第4章 言語と思考 1 ギリシア世界に意志の概念はなかった 「奇妙な欠落」とは 能動態が中動態に対立している世界には「意志」はない
- とむ@tom_books2025年6月23日まだ読んでる予想外に言語学?なお話が深くて難しくて 行き帰りの電車でゆっくりゆっくり読んでる🚃 全然こっちのバックグラウンドないのに惹かれてしまうのはなぜなのか
- 拓洋舎@hallelujah10252025年6月11日読んでる@ 自宅第1章 能動と受動をめぐる諸問題 5 文法の世界へ 能動/受動の外部 能動態と受動態の対立は普遍的ではない もともと能動態は中動態と対立していた! 「私が自分の手をあげる」から「私の手があがる」を引くと? nothingをなぜ思い描くのか
- 拓洋舎@hallelujah10252025年6月10日読んでる@ 自宅第1章 能動と受動をめぐる諸問題 4 太陽がどうしても近くにあるように感じられる -スピノザ 『行為は意思を原因としない』 『効果としての意思は残る』 スピノザ登場! 少し難解になる。
- torajiro@torajiro2025年5月31日読み終わった@ カフェやはり最高に面白い。単行本を読んでから数年、國分功一郎さんの著作も『暇と退屈の倫理学』『責任の生成』『言語が消滅する前に』『目的への抵抗』などなど読んできていたので本書の議論についても新たな気づきや理解が深まるところが多かった。補遺も國分さん自身が思考を深め、進めてきているからより論旨が明快で素晴らしい。 個人的には最近國分さんとは別の角度からアーレントのことを考えていたので、アーレントが「区別」の人であることに色々と思いを馳せた。 國分さんがアーレントに質問したかったこと、私も私なりの関心から同じことを聞いてみたい。 “一度でよいので実際に会ってお話をしてみたかった。「ビリーもクラッガードもヴィアも我々そのものではないでしょうか?アレント先生には彼らのようなところはありませんか?」ーーーその際におうかがいしたかったことはただ一つこれである”
- torajiro@torajiro2025年5月24日読んでる「動詞は遅れて生じた」 単行本での初読のときには気にならなかったが、今井むつみさんの著作でこどもの言語習得における「動詞の難易度の高さ」について触れられていたのを想起した。動作という抽象度の高いものを捉え概念化するというのはそもそも難しいのだろう。
- semi@hirakegoma2025年5月20日読み終わったタイトルに前々から惹かれていた。文庫版が出たことを知って購入。 出だしの対話を読み、依存症について語られるんだ!と期待しながら読んでいくと、ひたすら古代ギリシア語やラテン語の文法について述べられる…読んでいても文字が横すべりして中身がスッと入っては来なかった。ギリシア語もラテン語もほぼ読めないし… ただ構成としては、細かく区切られていて、章ごとにおさらいしてくれる親切設計なので、何とか耐えながら読み進められた。 個人的には本編よりもラストに収録された文庫版補遺に魅力を感じる。本編で述べられた抽象的な議論が、具体的に像を結ぶ感じ。 当事者研究を免責が引責を可能にするプロセスとしてとらえ、「行為のコミュニズム」として明らかにした点は、印象深い。 依存症や精神病のとき、もしくは日常生活でも、つらい状況の中で自身の行為がうまくいかなかったとき、猛烈に落ち込んで負のループから抜けられなくなる。そんな時に、行為のコミュニズムの視点に立てば、一旦自分の状況(存在)を認めることができて、同時に責任を感じることができる可能性がある(免責から引責)。負のループに陥らず、自分を認めつつ本当の意味で責任を認識することができる気がした。
- ワタナベサトシ@mizio_s2025年5月1日買った読み終わった『暇と退屈の倫理学』を読み終えた(とても気に入った!)ので、次はコレを読んでみた。 難解な内容でなにが書いてあるかまったく分からない……、という印象が先にある。同書が小林秀雄賞を受賞したときの選評が、のきなみ「わからない」とあったことが悪い意味で拍車をかけたか https://kangaeruhito.jp/article/1032 。 しかし、新潮文庫として一般の誰もが気軽に手にすることができる本であり、学術論文を読み解かなければならないほどの苦労はない。 哲学の問題を扱っているので少々分かりにくいところがあるのは確かだが、文章は平易で丁寧であり、章ごと冒頭には必ず前章のまとめ(サマリ)があり、ここまでの議論で共通の理解どこまで進んだか逐一確認してくれるし、読者が迷子にならないようとても注意深く配慮されている内容だと思う。 タイトルにある「中動態」とはなんぞや、の説明が入り口になってしまうから致し方ないのだが、この本は別に中動態を解説するためのものではない(言語学的に中動態を定義するものとして書かれているわけではない)。読み進めていけば分かってくることなのだけれど、副題にも含まれている「意思」と「責任」について各々が考え直さなければならないと感じさせる、パワーを持った啓蒙の書だと思う。 そのことに気付かされるのは本書のかなり後半のほう(だと思う)。中動態とはなんぞやをひと言で定義しようなどと足踏みしていては、第8章以降ずいぶん話題が逸れてしまっているように感じられ、置いてきぼりにされたように感じてしまうだろう。また、結論にゆくために端折ったり強引な展開があるように感じられてしまうかもしれない。その意味でも、文庫にある捕逸はとてもありがたい。 厳密さを欠いてしまうのでざっくりとした理解の言葉でしか書けないが、自分なりにまとめてみる。 意思のこと、あるいは責任について考えるときに、これまで自明のものとして保ち続けてきた枠組みでは(矛盾とまでいうのは大げさかもしれないけど)しっくりこないところが出てきてしまう。その感覚をうまく説明するために/違った角度から再考察するために、例えば既に失われてしまった中動態という枠組みを使ってみれば、理解、ないしは考えかたの助けになるのではないか。 そんなことを呼びかけている本だと思う。 個人的には、法律を学ぶ者・法の解釈に興味がある者は、いちど読んで、こういう見方があるということを自らの中に入れておく必要があると思う。けっして言葉遊びのように概念をこねくり回して難解さで読者を煙にまく本ではない。この世界で生きるにあたり、大切な視座を与えてくれる実用書だと思う。 昨今は文庫本もずいぶん値段が高くなったけれど、この内容で500ページ超の文庫本が900円(税別)というのは、とてもありがたいことだ。その意味でも、本書は広く一般の人々に読まれて、拡張した視座のもとで新たな議論が巻き起こったり、より解像度の高い責任“感”を抱くようになる契機となって欲しい。 この本を読んだ人ばかりで話をしてみたい。
- Matilde@i_griega_20252025年4月29日読み終わった読み返そうと思っていたところ最近文庫化され、しかも補遺が追加されたとのことだったので文庫で読む直すことにした。哲学寄りの内容ではあるんだけど、私の興味は主に文法的な側面の方。 かつて言葉は「する」の能動態と「される」の受領態の対立ではなく、能動態と中動態の対立だったとのこと。 たとえば「惚れる」という動詞。これはむりやり「惚れさせられた」(受動態)わけでもなく、「惚れるぞ」(能動態)という意志で惚れたわけでもない。では「惚れる」の態って何? スペイン語ではこの場合「再帰動詞」を使う。再帰的用法は中動態の働きの一種と言われると、いまは消えてしまった概念ではあるけれど、こんな風に残っているのかと興味深い。
- 北村有(きたむらゆう)@yuu_uu_2025年4月20日読んでる半分ほど読み進め。私にとってはすこぶる難しい、読み通せるか不安だ……。中動態とスピノザ哲学には通じるところがあるらしいけど、まっっっったくわからない!!!
- いるかれもん@reads-dolphin2025年4月18日読み終わったまた読みたい学び!補遺が加筆され文庫化されたということで、早速購入に読み返した。最初に読んだ時は、自分自身が感じている苦しみとか、世界に対する違和感を見事に解き明かされているような気がして、とにかく自分を救ってくれているという衝撃を伴う感動に飲み込まれた。その一方、今回は、前回同様の感動や面白さは感じつつも、前回よりも丁寧に読み進めることができたと思う。一つ一つのトピックを丁寧に自分の中に取り込みながら読み進めることができた。そうやって落ち着いて読んでみると、改めてこの本は素晴らしい一冊だと思った。文庫本になると、参考文献等含め500ページ以上になる結構長い本であるが、一つ一つの話題を丁寧に、しかし飽きさせない書き振りとなっている。おかげで哲学にも言語にも疎い私でも、何が大切なのかちゃんと受け止めながら読み進めることができた。スピノザ、アレント、ハイデッガー、バンウェニストなど名前だけは聞いたこと(もしくは名前も聞いたことがない)ある哲学者の著作を引用して論を展開しているが、実はそこで問題にされていることが、私たちにとても身近で、私たちの中で起きている問題についてであることを、わかりやすく伝えてくれている。 結局私がどうして中動態の世界に魅了されたのかというと、自分が感じている自分の作られ方が中動態では自然に語られているということだと思う。それは、自分自身が周囲の環境や関係性の中で決まっていて、さらには、周囲の環境と自分自身は相互作用しているという感覚である。その時、私自身は、自分が意志しなくても自然と変化しているように感じることがある。その証拠かもしれないが、私は自分自身の考えや気持ちについても、どこか第三者のことのように表現してしまう。自分の考えや、気持ちが、本当に自分が納得していることなのか自信を持てない。一貫してそれを主張し続けられるか自信がない。こうした私の態度は、側から見たら「考えがコロコロ変わる」とか「意志が弱い」みたいに評価されてしまう態度にも見える。自分自身も、自分自身がそうした人物のように思えて蔑んでいた。 おそらく本書を読まれた方であれば、どうして私がこの本に救われたのか、これ以上説明する必要はないと思う。本書で書かれている能動態-中動態の世界、意志という存在が生まれる前の世界は自分の私自身の捉え方を表現する上で非常に都合が良かった。自分を語る世界観が見つかるというのは非常に感動する。それは、自分自身の感じている寂しさは、私一人だけが感じているわけではないこと、そしてそれを救おうとしている人がいることを実感するからだろうか。はたまた、自分が心地よく過ごせる内面世界を手に入れるからだろうか。いずれにしても、やっぱりこの本に私は救われた。 一方、この本を読んでいて、まだまだ理解しきれない部分も多い。特に第8章、9章、補遺。ぜひまた、私が別の環境や関係性に身を置いて、別の私になった時に読み返したい。本を読むという行為もまた、私と相互作用し、私を変容させる環境の一つである。
- ミキ@miki___632025年4月13日読み終わった図書館で借りたときは読み切れなかったけれど文庫版で読了。自分の知識不足ゆえに言葉が難しくて迷路のように感じたパートもありつつ、後半は付箋だらけに。増補された責任についての文章が読めてよかった。
- ブックスエコーロケーション@books-echolocation2025年4月7日新刊入荷@ ブックスエコーロケーションブックスエコーロケーション、4月7日(月)オープンしております。19時まで。ご来店お待ちしております。 國分功一郎『中動態の世界 意思と責任の考古学』新潮文庫 誰かを好きになる。これは能動か受動か。好きになろうとしたのでもなければ、好きになるよう強いられたのでもない。自分で「する」と人に「される」しか認めない言葉は、こんなありふれた日常事を説明することすらできない。その外部を探求すべく、著者は歴史からひっそりと姿を消した“中動態”に注目する。人間の不自由さを見つめ、本当の自由を求める哲学書。 #信州 #長野県松本市 #松本市 #本屋 #書店 #ブックスエコーロケーション
- noripiii@quadspin_norimusubi2025年4月5日買った@ ジュンク堂書店 吉祥寺店誰かを好きになる。これは能動か受動か。好きになろうとしたのでもなければ、好きになるよう強いられたのでもない。自分で「する」と人に「される」しか認めない言葉は、こんなありふれた日常事を説明することすらできない。 と裏に書いてあるその文章がもうすでに面白い。
- はにわ@shimishimi_2282025年4月1日買った読み終わったなかなか読むのに難航したが、なんとか読み切り今の自分にわかるところはわかった気がする。 そんな自分を少し褒めてあげたい。とても興味深い世界だった。