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2025年5月5日

悪魔の涎・追い求める男 他八篇
コルタサル,
木村榮一
深夜から早朝にかけて読んだコルタサルの『追い求める男』がとても良かった。目が覚めてしまった夜明け前の時間帯に読み始める短編が思いがけず素晴らしかった、ということが良くある。これも信じるべき偶然だろうか。
「『これは明日吹いている曲だぜ』その言葉の本当の意味が突然啓示のように閃いた。つまり、ジョニーはいつでも最初の数拍子で今日を楽々と飛び越えて、明日を吹くのだ。そして、他のものはあたふた彼のあとを追いかけているにすぎない。」
ここでいわれている「明日を吹く」ということやサックス・プレイヤーのジョニーが「追い求め」ているものは、「ぼくは誰よりも速くなりたい 寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも」や「俺は季節を超えるスピード感を持ちたい」といった阿部薫の求めたスピード感と同じもののような気がしてくる。
阿部薫の山崎弘とのDUOをかけて読み進めていく。ジョニーと彼の伝記を書いた評論家のブルーノの物語は、阿部薫と間章の関係も思い出す。ブルーノの評論は独立したアートではなく、対象のアートの付随物のように描かれているのだけど。
そこにあるプレイヤーになれない(と諦めている)“評論家”、あるいはスペクテイターの哀しみのようなものを感じて、今度は『孤独の要塞』のディランとミンガスの関係も思い出した。あの物語にもスペクテイターの哀しみがある。そこがとくに染みた。わたしにもある哀しみも湧き上がってくる。今もサックスとドラムの音と一緒に染み込み、その分だけ湧き上がってきている。ああ。
そんな読書、体験には明け方の青い色がよく似合う、とカッコつけて言ってみたくもなる。そんな感じもこの時間帯の特別な効果なのかもしれない。そんなところも含めて、わたしはこの時間帯が好きなのだ。

