
amy
@note_1581
2025年5月15日

読み終わった
感想
クィア・フェミニズム
メンズリブ
男性学
資本主義社会に置かれ、そのなかで生きていく男性について、「弱者男性」や「性差別」などをふまえながら、メンズリブを目指す方向で著書を発表している杉田俊介氏の『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち』を読んだ。
世界的な潮流となった #MeToo 運動や、男性社会への疑義を背景に、性別に伴う差別や不平等への意識は、今、かつてないほどに高まっている。
その一方で、「男性特権」への開き直りは論外としても、多くの男性たちは、時にむき出しの敵意にさらされながら、自分の立ち位置や向き合い方に戸惑っているのではないか。
自らの男性性や既得権、そして異性との向き合い方に迷い、怯えながらも、それでも何とか向き合おうとするすべての男性たちへ。
本書は、そうした彼らに応えると同時に、女性や性的マイノリティに向けても、性差を越えた運動の可能性を提示している一冊だ。
この本は決して「なんか最近いろいろ言われているけど、男もつらいんだよ〜」とのたまうような人たちの溜飲を下げるためのものではない。
むしろ、女性や性的マイノリティ、その他の社会的マイノリティの人たちを傷つけたくない。でも、不見識な発言をしてしまえば、そのこと自体が誰かを傷つけるし、苛烈な批判を受けることもある――それが怖い。
そんな、まっとうで善き人間でありたいと願いながらも、この社会でマジョリティ男性としてどう自覚的に生きるかに悩む人たちへ向けた、思考と行動のためのガイドラインになっている。
『ズートピア』や『ジョーカー』、『パラサイト』や『万引き家族』などの有名な映画を取り上げながら、そこに描かれた社会を掘り下げていく。
現代に蔓延する複合差別と、それにぶつかる資本主義の構造。その中で、マジョリティ男性でありながら社会からはじかれてしまう人々の苦しみを照射し、剥奪感や被害者意識に陥らないための手がかりを紐解いてくれている。
この著作で特徴的なのは、杉田氏が男性の抱える苦しみを否定していない点だ。
本書内でも明確に書かれているが、マジョリティ男性は被差別者とは言えない。しかし彼らもまた、ジェンダー秩序や家父長制的なシステムに順応することを課せられている“犠牲者”である。
差別はされていない、しかし抑圧は受けている。そう、はっきりと書かれている。
多数派である男性たちにも、痛みがある。傷があり、恐怖がある。まずはそれを認めることから始めよう――と、杉田氏は力強く主張している。
私はこの杉田氏の主張に同意する。
私は女性であり、ジェンダー秩序や家父長制的なシステムにおいて差別を被ってきた側だ。
けれど、このシステムがすべての男性にとって心地よいものではないことも理解している。
他者を差別したくない、誰かを加害したくない――そんなふうに思っている男性ほど、昨今のマジョリティ男性の特権性について、迷いや不安を抱えているように思う。
何かがわからないというのは、怖い。不安だ。
ましてや、その「わからなさ」が誰かの権利を侵害し、苦痛を与えていると知れば、その状況をどうにかしたいと願う男性ほど、恐怖や不安で身動きが取れなくなるはずだ。
そんな男性に「自分で学ぶべきものを見つけろ、どうにかしろ」と突き放すのは簡単だし、それを言う権利もあるとは思う。
でも、私はそう突き放したくないし、もうこんな社会の状態にうんざりしている。
だからこそ「さっさと良書を紹介するので、とっとと読んでくれ」というのが本音だ。
この一冊で終わりではなく、大事なのは考え続けることにある。
杉田氏は本書以外にもメンズリブを目指す書籍を執筆しているし、西井開氏や伊藤公雄氏の著作にあたるのもいい。
私は女性で、フェミニストだけど、マジョリティ男性が抱える苦しみを知りたいと思う。
男性の特権性を批判するにしても、その苦しみや状況をふまえたうえで批判したい。
現実味のないことを言うようだけど、私はあらゆる属性も属性に括られたくない人も「みんなで幸せになろうよ」と本気で思っている

