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@note_1581
悲しみなら忘れられるけど 愛はなかなか消えやしないよ 2025.03.05〜
  • 2025年7月3日
    夏日狂想
    夏日狂想
    窪美澄さんの描く女性って、なんでいつも無様で必死で愛おしんだろうなと思うんだけど、それはきっと出てくる女性が自分の意思を持って、自分で選択したという事実を揺るがないものとしているからだろうと思う 選択したことが上手くいってもいかなくても選んだのは自分、それが何より自分の尊厳を守る。モデルは長谷川泰子で中原中也と小林秀雄との関係で知られている 長谷川泰子は二人の男を弄んだ毒婦と言われることが多いが、彼女にも晩年というものがあり、ただ二人の男のあいだにいた女というわけではない。その後の彼女の人生はどんなものだったろうというのを恋愛小説の名手である窪美澄さんが血肉の通った一人の女性として描いてくれた 彼女の懊悩も喜びも、いずれもが鮮明で読んでいておもしろかったし、ラストの場面は想像したら美しくて震えた。最後の最後にああいう場面を持ってこれることの思い切りの良さがかっこいいと思った
  • 2025年6月29日
    わたくし96歳 #戦争反対
    わたくし96歳 #戦争反対
    今年は終戦80年、読まなきゃと思っていた本を読んだ。今も存命中で戦争を経験した人の言葉はもっと広く知られてほしい。 長崎で生まれ育った森田富美子さんと娘の森田京子さんの二人のエッセイ(でいいのか?) 富美子さんの幼少期や戦時中の語りのところは想像しただけで凄惨極まりなく、数ページ読んでは閉じるを繰り返してなかなか読み進めることができなかった 本の一番最初のページに簡単な家系図がある。そのうちの何人が戦争、そして長崎に落ちた原爆で命を落としたのかが読むとわかるのだが、それは実際読んでたしかめてほしいと思う どこがよかったか、とかではなく富美子さんの語りは全編において心に刻むべきで、実際に戦争を経験した人だからこそ抱く感情ややるせなさがある。そして戦争を経験した母について、京子さんからはどう見えているのか、何を感じるのかが書かれている。 富美子さんは街頭演説をした石破茂氏と話したことがあるという。"戦争したがり"な政治家だけは避けなければならないと力強く書かれていた 戦争と原爆を経験した人とその人を間近で見つめ、生活することで戦争と原爆が人間に何をもたらすか。それが克明に綴られていて今、読むべき本だった。そして読んでいるなかで伊兼源太郎による第二次世界大戦を扱った社会派ミステリーの 『戦火のバタフライ』の書評を富美子さんが依頼されていたと知った。私はすでに読んでいる小説だったが、たしかにこの人以上に適した書評者はいないだろうと思う ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルによるガザの虐殺、それを傍観する欧米。この本を読みすすめている最中にイスラエルはイランへの攻撃も行った。日々ニュースを見ていると本当にすぐそこに戦争が迫っていて、私は落ち着かない。怖い 7月には参院選がある。富美子さんが本のなかで言っている"戦争したがり"な政治家が当選しないように私は選挙に行く
  • 2025年6月29日
    エビデンスを嫌う人たち
    エビデンスを嫌う人たち
    読んだ。いや~~~~~~~よかった。読んでよかった。これは保守的な人たちや右派に腹立ててるリベラル左派の人こそ読むべき 陰謀論や科学否定論者に対して正しさは通じない。彼らにとって支持している陰謀論や科学を否定する言説はその人自身のアイデンティティと密接に結びついてるという。今まで生きてきた環境、生育歴、受けてきた教育、人間関係、職場の状況などなど。その人の人生と生活に根ざしたアイデンティティに関わる部分であるから、"正しさ”で説得しようとしても意味がなく、むしろ態度を硬化させてしまうという。こういった人たちにはどういう手立てを講じるべきかというと、何よりも大事なのは信頼関係である。その人の考えや言葉に敬意を払うこと、抱いた感情を尊重すること、そうして対面で会話を重ねて、信頼関係を築くことでしか、その人の主張や信じている説を変えられない 知識がないなんて馬鹿にするのは持ってのほかだという。本書からの引用だが"信念を理由に相手を侮辱したり、恥をかかせたりするのは、あきらかな間違いだ。"と書かれているのだ 都知事選のころなどから一部の左派リベラルの人たちが自分たちとは異なる主義主張の人を揶揄する様子を見てきた 私個人としても人間には感情があり、正しさだけで世の中の差別や偏見が解決できるなら、とっくに世の中は穏やかなものになっているだろと思う そして陰謀論や科学否定に走るのは保守派や右派だけではないともこの本には書かれている。この本を読んでいて気分が悪くなったり、耳に痛いと思うリベラル左派もいるだろうけど、まさにそういうリアクションを催し、自分の支持しない説を差し出されると突っぱねるのは左右や保守やリベラルは関係ない ちょうど先日某SNSで正しい情報だけでは相手の主義主張に変化を起こせない、態度が大切であるという研究結果を見たリベラル左派の人は『こういうファクトベースの話ではなく~』などと言っていたので、まさに『エビデンスを嫌う人たち』だなあと私は思ったんであった
  • 2025年6月22日
    男性学入門
    男性学入門
    おもしろかった。今まで読んだことがある男性学の書籍からの引用が複数あり、あれのことだ!となったので、それだけ有名どころは読んできたのだと思う なかでもおもしろかったのは3つほどある。ひとつは日本が働き方を変えられなかったのは、石油ショックを例外的に持ちこたえてしまったという指摘だった。欧米では石油ショックを機に男性主体の家計モデルを見直すことになったが、まだ脱工業化をできていなかったために長時間労働を頑張れば生産性を保ててしまい、結果として働き方の見直しにつながらなかったという点だった。これは別に日本優れているわけではなく、ただ欧米よりも産業構造の変化などが遅れたためだということがおもしろかった。タイミングの問題なんかい! 2つめは『剥奪感の男性化』だった。社会的な認知がないままで既得権益として無自覚に思い込んでいたものが失われつつあるように思えてくる。漠然とした不安や不調、『奪われている』と感じる剥奪の種類はいくつかある。この『剥奪感』は例えば韓国では20~30代男性が保守的な支持が多いということにも関わっていたり、この『剥奪感』はバックラッシュのひとつの要因ではないかと思う。とはいえアプローチがわからんのだよなー…どうすればいいんや… 3つめは現代日本の教育には『児童中心主義』が定着しており、子どもの主体性や個性を尊重するある意味進歩的なスタイルである。しかし保育者が子どもたちの管理を避けることで、一部の男子に権力が偏るという事象が発生してしまい、それがヘゲモニックな男性性につながるという 今まで男性学の本を何冊か読んでいたが、以上の3点については初めて見た指摘だった。な、なるほど…!と目からうろこだった 男性学の本はすでにいくつも出ているがボリュームがあるものが多いので、まずはこちらの新書から読んでみてもいいと思う 男性学の本を読むたびに思うのだが、女の私から見ても非常に抑圧が男性にもあり、『それ、つらくない?イヤじゃない?やめよう?』と言いたくなる
  • 2025年6月15日
    裸足でかけてくおかしな妻さん
  • 2025年6月8日
    男性学入門
    男性学入門
    伊藤公雄の『男性学入門』を読んだ。なんと初版発行1996年。今から30年ほど前の本である 30年前だから、といえばいいのか30年前なのにといえばいいのかわからないけど、真新しいことが書いていなくてびっくりした このときから今言われているような男性の生き方についての問題点も指摘されているのに、30年間たってもあんまり代わっていなくて、あのさあ…というような気持ちになる 驚いたのは男性のなかで洗濯物を干すことができない人がいるという内容だった。やり方がわからないのではなく、洗濯物を干しているところを他人に見られたくないという心理的なハードルが大きいらしい。自分の感覚ではまったく理解できないことで、一瞬意味がわからなかった 男性は男性が決めた男性とはこうあるべきという規範に縛られていて、それは家庭において配偶者や子どもを巻き込むものである それゆえに負担は偏りやすく、性差別的な構造は温存されたままであるという指摘はこの時点でされていた もう30年のあいだ何をしていたのだ…と言いたくなる。正直家に誰かいるという前提で作られている社会は生活すると可処分時間がガンガンに削られて大変なので、とっとと変えてもらいたい
  • 2025年6月2日
    世界99 上
    世界99 上
    下巻のほうに感想はまとめています
  • 2025年6月2日
    世界99 下
    世界99 下
    村田沙耶香さんの新刊『世界99』読み終わった。読み終わったあとは「あ゛~~~~~~~~……』と天を仰いでしまう。村田沙耶香さんの小説を読んだあとはいつもそうなる。 主人公・如月空子は「性格のない人間」。彼女は所属するコミュニティに合わせて自分の人格を演じ分け、波風立てずに生きている。そんな世界で、人々に愛される謎の生物「ピョコルン」が登場。当初は可愛いペットだったが、やがて人間の子どもを産める、生殖能力を得たことで、社会は大きく変貌していく。 女性が社会で、家庭で担わされている役割をわかりやすく、それでいて決して誇張ではないかたちで描いており、されにその女性すら担っていた役割ができる別の生命体が誕生したら、はたして女性は今まで通りの役割から解放されるのか 自分が今までの人生でしてきたこと、そこはかとなく持っていた感情を丁寧に取り出してこちらに突きつけてくる。自分がいかに傲慢で、残酷で冷たい人間なのか。 そのいたたまれなさ、気まずさに耐えて、耐えて、耐えながら先を読み進めなければならない。それほど人間の、私自身のことを切り刻んで解剖をして"はい、あなたはこんなものでできていますよ"と目の前に突き出してくる。 おもしろいが、決して楽しいものでも愉快なことでもない。私自身も読み終わってすぐの今、考えたことをしっかりと言葉にはできずにいる。考えるべきこと、薄っすらと感じ取っていたのに、見て見ぬふりをしてきたツケが大きすぎる。 恐ろしいと思ったのは、作中の世界は現実とそう変わらず、また作中の未来も現実とそう変わらないということ。その事実にずーんと落ち込む 読んでしまうと、日常のあれこれに世界99で読んだ内容が入り込んでくる。世の中の女、母親という役割、社会的な弱者やマイノリティが求められること、マジョリティがマイノリティに求めるもの。それらが頭のなかにずっとあって、そのたびにぎくりとしてしまう。でも、その気まずさを知らないまま、のうのうとしているよりかはいい。気まずさを抱えて生きていかなくちゃならない。 世界に自分以外の人が存在する以上、他者への気まずさからは逃れられない。腹をくくる覚悟をくれる小説だった
  • 2025年5月24日
    私たちの戦争社会学入門
    戦争はもちろん反対である。起こらないほうがいいし起こるべきではない それでも今なお戦争は起こる。その原因も形も歴史ごとに変わっている。そもそも戦争というものには宣戦布告をするという決まりがあり、それを守らずに開始したものもある。日本もやったことだ また諸外国と日本の事情を比べながら、日本独特の国民の思想やその原因となる社会背景などを紐解いていく 戦争は起こらないほうがいい。じゃあ戦争ではなく平和なときの軍事はどうしていけばよいか。ただイデオロギーに引っ張られるだけではなく、今まで日本が戦前から戦後、現在までどのように戦争に向かい、戦争をし、戦争を終えて今に至るかを知り、いかに"わからない"ままで自分と違う他者の意見を尊重し、そう至った背景を想像するか 戦争や軍事を社会学的に学び、そのうえで自分なりに考えるための材料を増やしていく ちょうど戦後80年、朝ドラではやなせたかしとその妻である小松暢をモデルにした『あんぱん』をやっている。Netflixでは7月に『火垂るの墓』が全世界で配信されることが決定した 反戦を訴えながらも、それでも無くならない戦争や戦争の可能性を考えていくための"戦争社会学"の1冊
  • 2025年5月16日
    潮騒
    潮騒
    今度の読書会の課題本である三島由紀夫の『潮騒』を読んだ。くうう、三島由紀夫って、三島由紀夫って……!嫌い!でも好き!ってなる。マジで 三島由紀夫にしては(三島由紀夫にしてはとは?)きらきらしているというか、爽やかな話。『永すぎた春』とか『夏子の冒険』とか雰囲気が近いかも。 光の三島由紀夫?というか夜明けの三島由紀夫? しっかし三島由紀夫は自分が美しいと思ったことについての描写はすっごい力が入るよなあ……。筆、ノッてるねえ!って言いたくなる。 肉体の美しさ、自然の美しさは本当にすごい。三島由紀夫は彼の美の描写が読みたくて読んでいるところがある 話の内容としては舞台が歌島で、若い漁師と海女の二人が結ばれるまでを描く純愛もの 発生する障害なんかも王道で「俺だって王道ラブストーリー書けるもんね!」とでも言いそうな内容であった とはいえ随所に散りばめられた情景の描写なんかは三島由紀夫文学なのと、個人的には『潮騒』の前に『永すぎた春』とか『夏子の冒険』を読んでいたので、むしろ『潮騒』ってあっちの方向の話なんだ!?と思ったんであった 案外こういうきらきらラブストーリー書くの好きだったんかな…
  • 2025年5月15日
    マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち
    資本主義社会に置かれ、そのなかで生きていく男性について、「弱者男性」や「性差別」などをふまえながら、メンズリブを目指す方向で著書を発表している杉田俊介氏の『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か #MeTooに加われない男たち』を読んだ。 世界的な潮流となった #MeToo 運動や、男性社会への疑義を背景に、性別に伴う差別や不平等への意識は、今、かつてないほどに高まっている。 その一方で、「男性特権」への開き直りは論外としても、多くの男性たちは、時にむき出しの敵意にさらされながら、自分の立ち位置や向き合い方に戸惑っているのではないか。 自らの男性性や既得権、そして異性との向き合い方に迷い、怯えながらも、それでも何とか向き合おうとするすべての男性たちへ。 本書は、そうした彼らに応えると同時に、女性や性的マイノリティに向けても、性差を越えた運動の可能性を提示している一冊だ。 この本は決して「なんか最近いろいろ言われているけど、男もつらいんだよ〜」とのたまうような人たちの溜飲を下げるためのものではない。 むしろ、女性や性的マイノリティ、その他の社会的マイノリティの人たちを傷つけたくない。でも、不見識な発言をしてしまえば、そのこと自体が誰かを傷つけるし、苛烈な批判を受けることもある――それが怖い。 そんな、まっとうで善き人間でありたいと願いながらも、この社会でマジョリティ男性としてどう自覚的に生きるかに悩む人たちへ向けた、思考と行動のためのガイドラインになっている。 『ズートピア』や『ジョーカー』、『パラサイト』や『万引き家族』などの有名な映画を取り上げながら、そこに描かれた社会を掘り下げていく。 現代に蔓延する複合差別と、それにぶつかる資本主義の構造。その中で、マジョリティ男性でありながら社会からはじかれてしまう人々の苦しみを照射し、剥奪感や被害者意識に陥らないための手がかりを紐解いてくれている。 この著作で特徴的なのは、杉田氏が男性の抱える苦しみを否定していない点だ。 本書内でも明確に書かれているが、マジョリティ男性は被差別者とは言えない。しかし彼らもまた、ジェンダー秩序や家父長制的なシステムに順応することを課せられている“犠牲者”である。 差別はされていない、しかし抑圧は受けている。そう、はっきりと書かれている。 多数派である男性たちにも、痛みがある。傷があり、恐怖がある。まずはそれを認めることから始めよう――と、杉田氏は力強く主張している。 私はこの杉田氏の主張に同意する。 私は女性であり、ジェンダー秩序や家父長制的なシステムにおいて差別を被ってきた側だ。 けれど、このシステムがすべての男性にとって心地よいものではないことも理解している。 他者を差別したくない、誰かを加害したくない――そんなふうに思っている男性ほど、昨今のマジョリティ男性の特権性について、迷いや不安を抱えているように思う。 何かがわからないというのは、怖い。不安だ。 ましてや、その「わからなさ」が誰かの権利を侵害し、苦痛を与えていると知れば、その状況をどうにかしたいと願う男性ほど、恐怖や不安で身動きが取れなくなるはずだ。 そんな男性に「自分で学ぶべきものを見つけろ、どうにかしろ」と突き放すのは簡単だし、それを言う権利もあるとは思う。 でも、私はそう突き放したくないし、もうこんな社会の状態にうんざりしている。 だからこそ「さっさと良書を紹介するので、とっとと読んでくれ」というのが本音だ。 この一冊で終わりではなく、大事なのは考え続けることにある。 杉田氏は本書以外にもメンズリブを目指す書籍を執筆しているし、西井開氏や伊藤公雄氏の著作にあたるのもいい。 私は女性で、フェミニストだけど、マジョリティ男性が抱える苦しみを知りたいと思う。 男性の特権性を批判するにしても、その苦しみや状況をふまえたうえで批判したい。 現実味のないことを言うようだけど、私はあらゆる属性も属性に括られたくない人も「みんなで幸せになろうよ」と本気で思っている
  • 2025年5月12日
    クィア
    クィア
    ウィリアム・バロウズ『クィア』を読んだ。メキシコシティに暮らすヤク中でゲイの中年男性リーと、若く美しい恋人アラートンとの短い恋愛の話。 メキシコシティの社会情勢からくる荒廃した治安の悪さの描写と、そのなかに突然現れる美しいアラートン。男女の恋愛話なら、荒んだ日常にいきなり魅力的な人物が登場するのはよくあるフィクションの始まり方だと思う。 作中には、いわゆるゲイバー(文脈的にはハッテン場的な意味合いに近い)で性行為の相手を探す場面がたびたび出てくる。そして、リーがアラートンとの関係を切実なまでに保とうとするのは、当時の同性愛者を取り巻く社会的承認の欠如と出会いの困難さから来るのではないかと思った。 もともと『おかま』というタイトルで1985年に出版されたが、物語としては1953年の小説『ジャンキー』の続編であることを考えると当時としてはかなり先駆的な作品でもある。 リーはヤク中で情緒も不安定だし、かなり口汚くて卑俗な言葉をまくし立てたりもするのだけど、映画『クィア』ではあのダニエル・クレイグが演じるというのだから、どういうリーになるのか楽しみにしている。まだ居住地では公開されていないので、公開されたら絶対に観に行く。
  • 2025年5月10日
    バトラー入門
    バトラー入門
    ジュディス・バトラーの難解な主著『ジェンダー・トラブル』を、社会的背景や思想的文脈とともにわかりやすく解説し、クィア理論やドラァグ論、パフォーマティビティの核心に迫る一冊。 おもしろかった。偏見がなくならないという現実があるからこそ「自己や他者に倫理的に生きることに駆り立てることができる」という一文には痺れた。そうあろうとすることは正直しんどい日もあるけれど、力強く言葉にしてくれることが支えになる。 また、家父長制についてのバトラーの考察には膝を打った。フェミニズムの前に立ちはだかる大きな岩といえば家父長制だが、それについて「家父長制は歴史的に必然でも、絶対的でも、自然なものでもない」という指摘があった。 家父長制を歴史の一部として認め、「家父長制前/後」と分けてしまうことが、むしろその存在を歴史的に必然化してしまう。つまり、解放のための思考が現在ある抑圧を知らず知らずのうちに正当化してしまう危うさについても語られていた。 さらに、連帯と対話の困難さについてもバトラーは論じている。団結の裏にある排除の危険や周縁化される人々へのまなざしも忘れず、フェミニストやリベラルのなかにも環境や意見の相違を受け入れられない人は多いという現実を見ている。SNSでもよく見かけるその構図についてもバトラーは考えを巡らせており、それでもなお「対話を諦めない」という希望を示してくれている。 正直、難しい部分も多かったが、読んでいてバトラーの考えに少しでも触れられたことが嬉しい。もっとバトラーについて知りたいし、途中で挫折する可能性はめちゃめちゃあるけど『ジェンダー・トラブル』も読んでみたい。
  • 2025年5月8日
    マリエ
    マリエ
    千早茜さんの『マリエ』はフランス語の『marié』で結婚を指している。40歳を目前に離婚をした主人公が既存の人間関係や、新たに出会った人たちそれぞれの結婚観・恋愛観に接しながら、恋愛や結婚というものに再び向き合い「自分にとっての幸せとは何か」を模索していく物語。 千早茜さんの小説は『西洋菓子店プティ・フール』を読んだことがあるのだけど、いつも美しい文章だなあと思う。ここぞというときの比喩表現や情景の描写がガラス細工みたいに繊細できらきらしている。だから美しい文章という印象が強いのだと思う。リーダビリティとはちょっと違うのだけど、いつまでも見てられる景色みたいな 内容はタイトルだけあって、結婚と恋愛の話で主人公が離婚するところから始める連作短編集。恋愛ってごくごく個人的なことのくせに結婚するには証人が必要だったり必要な書類を役所に出して、国に"認めてもらう"必要があるのってマジで気持ち悪いなーと思う。なんでいきなりカテゴリが個人から社会になんねん。あほか!と思ってしまう。それはそれとして同性婚はとっとと法制化しろとは思う この恋愛から結婚になると、途端に社会が食い込んできて、だからこそ現状の女性にとっては生存がかかっていて、実質身売りしなきゃいけなくて、1000年前の平安時代から変わってねえじゃん!となるんである 個人的なことと社会的なところがグラデーションになっているのが、規範の内面化につながったり、それぞれで重きを置くところが違っていたりする その複雑さとめんどくささと、だからこそ相手をつなぎとめたいとかもうすべてほっぽりだして陶酔したいということも起こる。矛盾してて一貫性のない考えや行動になってしまう人間を描いているのところが好きだし、それこそが人間でおもしろいと思う こういう恋愛や結婚の描写や捉え方がおもしろい作家のアセクシャルやアロマンティックな人をメインに据えた作品を読んでみたい
  • 2025年5月6日
    ふる
    ふる
    西加奈子さんの『ふる』を読んだ。著者本人が書くことが難しかったと仰っていたが、私にとっても難しかったな~と思う。 生きることのぬくもりと、ままならなさが全編に渡ってぎゅうぎゅうに詰まっているし、今そばにある生は奇跡であることを描いた生きることへの慰めと讃歌的な内容だとは思うのだが、それが私になじまなかったのは私が反出生主義的な考えを持っているからだろうか…。 もしくは最近よく読むような作家さんとは別のチャンネルを西加奈子さんが持っていて、そこに合わせ損なったのか 話自体は少しファンタジックな要素もありつつ、すっきりとした文章とここぞというところで生々しく走る身体描写にぐっとくる。この本をもっと自分に引き寄せて読めたらなあと思う。死ねないから生きてる、というような感覚を持った私みたいな人間では、この本の良さをキャッチできていないのかもしれない…
  • 2025年4月30日
    あらがうドラマ 「わたし」とつながる物語
    『あらがうドラマ』を読んだ。著者の西森さんはドラマに関する記事を中心に様々な媒体で文章を書いていらっしゃるライターさんである。 日本のドラマのみならず、他のアジア圏の作品にも精通している西森さんが「日本のドラマはつまらない」という声を、ドラマ好きな人たちからこそよく聞くという体験から、日本のドラマでもおもしろい作品があることを共有するために書いた本である。 『組織と労働』・『恋愛の現在地』・『生殖』・『性加害』・『たたみゆく暮らし』・『出会いと分岐点』・『虎に翼』という構成になっており、最後のほうには『虎に翼』の脚本家である吉田恵里香さんとの対談も掲載されている 章立てにしたがって複数の作品を取り上げ、それぞれどういったことを描いているかを丁寧に書いてくれている。すでに見ている作品もかなりあったが、『性加害』の章で取り上げられていた『ファーストラヴ』は、映画版とは別にドラマ版があることを本書で初めて知った。 私は映画版を見たことがあったが、個人的にはあまり好みではなかった。その理由は、西森さんが本書で書いているように、主人公である心理士と担当弁護士との人間関係が主にフォーカスされていたからだと、読んでいて気づいた。ドラマ版では、少女を性的に搾取している構造や、いかに女の子(女性)の周りには偽物の神様がいるかという点に焦点が当てられている内容で、私はそこにこそ興味を持ったし、本書を読んですごく見たいと思った。NHKさん、どこかで再放送してくれないだろうか……。 この本に取り上げられていて、まだ見ていない作品も複数あったが、いずれもすごく見たくなった。『問題のあるレストラン』や『一橋桐子の犯罪日記』も見たい。 また『虎に翼』にまるまる1章使っているところは胸が熱くなった。私はSNSで西森さんをフォローしているが、私も西森さんも他のフォローしている人たちも『虎に翼』の放送期間は作中で『はて?』をぶつけ続け、今まで見過ごされてきた事象や、存在することすら認識されていなかっただろう人たちを話の中に登場させ続け、私が知る限りもっともロックなドラマになっていて、盛り上がっていたのだ。それだけあらゆるテーマを内包していたのだと思う。 最後まで読んで、実際に私も楽しく見ていた作品が多かったこともあり、「日本のドラマでもおもしろいものはたくさんある」と胸を張って言える。……とはいえ、今もなお注目を浴びるプライムタイム枠では、マイノリティ属性の人たちが出てくる作品や、ポリティカル色の強い内容は多くはないのも事実だ。 こうした本が出ることで、そうした内容のドラマも「おもしろい」と感じてもらえることが伝わってほしいし、もっとそうした作品が増えてほしいと思う。 ちなみに今クールの私の推しドラマは、『対岸の家事』と『しあわせは食べて寝て待て』と『ソロ活女子のススメ5』である。
  • 2025年4月26日
    桜の下で待っている
    『嵐をこえて会いに行く』が今年の1月に刊行され、とてもよかったので、同じ作家が10年前に、同じく東北新幹線を舞台に描いた『桜の下で待っている』も読んでみることにした。 やっぱり彩瀬まるさん、好きだなあ~~~~…。登場人物の内面の繊細さが、自分とすごく波長が合うというか。 他人は、どれだけ親しい関係でも変えることはできないし、家族や親友、恋人といった親密な関係性でも、知らない部分や見えていない側面があるのは当たり前で、それをうまく受け止めきれないときもある。 そういうやるせなさや、切りたくても切れない縁、密な関係のなかで自分に植え付けられてしまったもの――そうしたものを抱えながら、強制的ではない、ゆるやかな希望を抱かせてくれる作品が多いのが本当に好き。たぶんずっと好きな作家だと思う。
  • 2025年4月24日
    世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか
    映画『教皇選挙』を観た勢いで原作を再読した。映像で流れを掴んでから読むと、以前より理解できる箇所が格段に増えた。なかでも印象的だったのは、教皇が昼夜を問わず業務に追われ、まるで企業のトップのように多忙であるという描写だ。先日逝去されたフランシスコ教皇も、ベニテス(映画で教皇に選出された人物)も、同じように激務なのだろうかと案じてしまう。 しかし教皇は「使徒ペトロの後継者」として霊的指導者である一方、世俗的権力とも切り離せない立場に置かれてきた。この二重性は12世紀以来、教会内部でたびたび問題視されてきたという。シモニア(聖職売買)の横行や、1059年に成立したコンクラーベの前身制度など、本書では映画で耳にした単語の歴史的背景が丁寧に解説されている。映画をきっかけにローマ教皇制の変遷に興味を持った人には、ぜひ併読を勧めたい一冊
  • 2025年4月24日
    車輪の下
    車輪の下
    ヘッセの『車輪の下』が突きつける最大の問題は、教育制度が〈子ども〉を「人格ある一個人」として認めず、都合のよい記号へ還元してしまう点にある。多くの物語が〈従順な優等生〉か〈反抗児〉に子ども像を二分するなか、ヘッセはハンスを欲望と不安、優越感と傷つきやすさを併せ持つ等身大の存在として描いた。川辺で魚を眺める彼は順位や身分を忘れ、五感で世界を確かめるが、神学校合格直後にはまだ机に向かう同級生を見下し、成績表が貼り出されるたび密かに胸を張りながら怯える。この二面性こそ、人が成長過程で抱える本音と矛盾そのものだ。  その揺らぎを歪めたのが寄宿制神学校という装置である。生活の隅々まで統制された環境で、教師は成績を「神の恩寵」、落伍を「怠惰への罰」と説き、子どもに〈点取り競争=生きる価値〉を刷り込む。こうして自己肯定は序列依存となり、ハンスの優越感も傲慢というより制度が植えつけた防衛機制にすぎなくなる。  やがて選ばれたはずの彼は孤立と成績低下で「落伍者」へ転落し、親友ハイルナーの自由さが自分の抑圧を照射する鏡となる。帰郷しても故郷の川は色を失い、安息の場所が機能しなくなる。酒場での放逸や父との沈黙は、静かに積み上がった疲弊が臨界点を越えたサインだった。  最後にハンスは川へ沈む。意図的な自死でも足を滑らせた事故でも、彼を押し流したのは「一律の教育という大河」である。創造性と感受性を守る余地のない仕組みは、弱さを抱える個を受け止められない。ハンスの死は、彼自身の弱さではなく “弱さを許さない制度” の罪を告発する結末だ。父親や教師が「得意=やるべきこと」と混同し、子の価値観を想像できなかったことも悲劇を深めた。メンタルヘルスの治療が拠り所を奪った環境を変えなければ難しいのと同じく、制度が変わらねば第二第三のハンスは生まれ続ける。ヘッセはこの物語で、近代教育が強いる「個人犠牲」を鋭く暴き、私たちに〈その子を、その人を、枠ではなく顔を上げて見る〉ことの必要を突きつけている。
  • 2025年4月15日
    異性愛という悲劇
    異性愛という悲劇
    読んだ。うん。内容は至極まっとうで、正しい。ただ、これは結局、誰に向けて書かれたものなのだろうか、と考えてしまった。おそらく異性愛者の女性、そして男性に向けての本なのだろうけど、語り口があまりにも「異性愛はいかに愚かなものか」「異性愛者の女性はいかに被害者で、いかにかわいそうか」という点を強調しすぎているように感じた。はたして、これを最後まで読み通す異性愛者の女性はどれだけいるのだろう。 「あなたはかわいそう! あなたは被害者! それはあなたが愚かだから!」という語り口は、いくら内容が正しくとも、それを自分のこととして受け止めることに壁を作ってしまうのではないか。異性愛者であることがかわいそうだなんて、そんなふうに言っていいのか、という気持ちも湧いてしまう。 海外の書籍を翻訳したものだから、ということもあるのだろうけど、X(蔑称)に垂れ流されている言説をそのまま書籍として読む必要があるのか、と思ってしまった。特に著者の知人たちへのインタビューのパートは正直ひどいなと感じた。 アメリカで書かれた本でもあるし、そもそも前提となる状況が異なるということもある。日本では異性愛者の女性がクィアの人たちと出会ったり、頻繁にコミュニケーションを取るような環境は、まだそこまで整っていない。 土壌がまるで違う以上、この本の受け取られ方も同じではないと思う。翻訳されたということは日本の読者にも読んでもらいたいという意図があったのだろうけれど、正直なところ異性愛者の女性であっても、すでにフェミニズムやミソジニーに関する知識を持っている人たちに向けて「そうそう、ほんと最悪だよね!」と溜飲を下げるための本にしかなっていないように感じた。 改めて言うが、内容自体はとても正しい。家父長制やミソジニーの弊害を女性がこうむっていることについて、しっかり書かれている。でも、それが読む側にきちんと届くかというと、必ずしもそうではない。そんな、惜しい印象を受けた。
読み込み中...