
DN/HP
@DN_HP
2025年5月27日

カリフォルニア独立戦争
ジェイムズ・バーン
読み終わった
ピンチの「彼女」の前に現れる偶然居合わせた正体不明の「彼」が、「彼女」の問題ももっと大きな国家を揺るがすような問題も、その技術や経験、言うなれば「スーパーパワー」を使って解決しようとする話、と思っていたら確かにそうだったのだけど、同時にこれも「彼女」がクウィーンになる、人生のコントロールを取り戻す話とも読める、と終盤に気がついた。とはいえ「彼女」が人生と同時にコントロールしようとする(ためのある取引も納得できないけど)のは、同族経営の民間軍事会社だったりして。ああ…と上がりきれなかったりもしたけれど、それでもこれは狙い通り“午後ロー”的には楽しめた。
現実でもあるような、解決していないドデカ問題にも関わるような事件を「ヒーロー」たる個人がフィジカルなパワーで解決しようとする、というようなエンタメ作品というのは、リアリティを探したり見出して現実を振り返るよりもファンタジーとして割り切って楽しむ感じか。でも、そういうのを読むことで現実に立ち向かう元気が出ることもあるよね。こういう小説もタイミングで積んでおきたい。
「マルクス・アウレリウスのことばか?」
「『ダイ・ハード』のハンス・グルーバーだ」
という会話はこの小説のリアリティ・ラインを表しているぽい、と穿ってみたりしつつ、ピンチや緊迫した場面でも忘れないユーモアみたいなものも好き。そういう現実で繰り出したらさらにピリついたりしそうな部分もファンタジー的に、お菓子を口に運びつつニヤつきながら楽しみたい。お菓子は最近お豆関係が好き。
あと、登場人物のひとりの「おれはニューヨーク州のロチェスターの出身ですよ。」というセリフを読んで、すぐにその土地出身のラッパー/トラックメイカーのETOの音源を流して続きを読んだ、というのはなかなか気が利いていた気がしている。
翻訳はちょっと危うい気がするんだけど。

