
綿
@shelf_soya
2025年5月27日

オーウェルの薔薇
レベッカ・ソルニット,
ハーン小路恭子,
川端康雄
読み終えた後に考える
オーウェルの『一九八四年』はその発想や設定をとても面白く、かつ恐れながら読みつつも、自然描写に目を向けたことはなかったので、たびたび引かれる「家事日記」からも庭いじりを喜びとする人であるという事実を知り驚いた。
レベッカ・ソルニットは、さまざまな彼のエッセイの引用から彼が自然に見出していた思いを細やかに拾いつつも、同時にオーウェル自身も認識していたと前置きしつつ、そうした行為に安らぎを見出すのは白人やホワイトカラーの専売特許であると指摘している。
「庭いじりをし、田舎に滞在し、鄙びた生活をしたいという欲望ですら、少なくともその形態は文化的に決定され、階級に根ざしたものだと私は知っている」(p.188)
そうしたある一定の階級以上の人々の憩いの場を憩いの場たらしめるために、実際はそこに労働者として関わっていた奴隷が、裕福な人々を描く小説(ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』)、絵画(ジョシュア・レノルズの作品)から存在を消し去られていることも根拠の一つとして、自然の非政治性は政治によって作られたものだ、という指摘は、『一九八四年』のような作品を書いたオーウェルの庭いじりという趣味を多角度から捉えるものでもある。


