

綿
@shelf_soya
しずかなインターネットで書く日記のなかに読書記録を埋め込む
- 2025年7月10日
- 2025年7月9日湖とファルセット田村穂隆読みたい
- 2025年7月9日見晴らし台川野芽生読んでる
- 2025年7月9日義弟全史土井礼一郎読みたい
- 2025年7月9日ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のことアンジェラ・チェン,羽生有希読み終わった訳者あとがきにもあるように、とても砕けた口調と学術的な知識、かための文体と比喩表現が織り混ざった文章なので、翻訳は大変だっただろうなと想像されるし、読むのに立ち止まる箇所がゼロではないんだけど、個人的にはこのようなリズムの文章で書かれたクィア・スタディーズに関する本ってとてもいいなと思う。
- 2025年7月7日ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のことアンジェラ・チェン,羽生有希まだ読んでる強制的性愛社会という視点で自分が生きる社会について考える。自分の属性のステレオタイプとセクシュアリティの関係性を考えてしまい、それが自分の「本当」か判断をつけることが非常にむずかしくなる、という「第5章 ホワイトウォッシュされて」のインターセクショナリティに関する記述の細やかさは、当人にとって○○人(「人種」以外の適当な表現を探している)、ジェンダー、セクシュアリティはいずれも重要なものだが、個別に抜き出すものではなく、その人を構成する全体の一要素であり、それぞれの要素は限定的な仕方で交差しているわけではない、という事実を理解するために非常に助けになった。それは理解のための「事例」ではなく同じ世界に生きている人の現実として提示されていることを忘れてはならないのだが。
- 2025年7月6日ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のことアンジェラ・チェン,羽生有希読んでる
- 2025年7月5日言葉の風景、哲学のレンズ三木那由他読み終わった連載をまとめた3冊で学んだ「コミュニケーションの核は情報の受け渡しではなく、参加者間の今後の振る舞いに関する『約束事』の擦り合わせにある」というアイデアをおぼえておいて、ことあるごとに参照したい。
- 2025年7月3日言葉の風景、哲学のレンズ三木那由他読んでる"自分が何者であるかが先に決まっていて、それに照らして適用可能な言葉が定まっていく、というのではない。そうではなく、まず言葉を使って、それに合わせてだんだんと自分のほうが「その言葉が適用可能な何かに育っていく」ということがときにはあるのではないだろうか。けれどこれをどうやってモデル論的な見方に反映させていけばいいのかがよくわからない。" この「言葉の使用→「自分」の形成」の順序、捉え方に非常に親しみを感じた
- 2025年7月2日言葉の道具箱三木那由他読み終わった
- 2025年7月1日言葉の道具箱三木那由他読んでる読みながら、コミュニケーションに興味があることとコミュニケーションが得意なことはイコールではないということについて考えてしまう。非対称な関係性を弱めるために、学生に「先生」と呼ばないでほしいけれど、それを学生に向かって表明することによって、学生がそのお願いに「従う」のだとしたら、それは先生が持つ権力を学生に行使した結果であり、「先生」と呼ばないことで弱めたい関係性をむしろ積極的に使ってしまうことになりはしないか?(意訳)と考え込む人である筆者は、なめらかなコミュニケーションが得意でないからこそ、そのような着眼点を持つのではないか。もう冒頭から信頼を寄せたくなってしまう、と初めて筆者の文章にふれたように書いているが、連載をまとめたこのシリーズの3冊目をうっかり先に読んでしまい、その3冊目が良かったからこうして1冊目を読んでおり、すでに信頼している状態の人間の言葉。実生活はもちろん、物語におけるキャラクターの会話について考える際にも参考になる。
- 2025年6月28日
- 2025年6月27日
- 2025年6月23日英日バイリンガル 現代ゴシック小説の書き方ブライアン・エヴンソン,柴田元幸気になる
- 2025年6月22日わたしたちが沈黙させられるいくつかの問いソルニット・レベッカ,レベッカ・ソルニット,ハーン小路恭子"女性というカテゴリーは、階級、人種、貧困や富といった多くの別の道路と交差する大通りのようなものだ。この大通りを歩くことはほかの道路にも分け入っていくことであり、沈黙の都市における重要な街路や経路がひとつきりなんてことは決してない。現在、男女のカテゴリーを疑うことは有用だが、ミソジニーの根底にはこれらのカテゴリーが実在するという盲信(あるいは、しかるべき性役割を実践することでカテゴリーを強化しようという試み)があると覚えておくこともまた役に立つ。" p.34
- 2025年6月20日言葉と歩く日記多和田葉子再読中言葉の構造、意味について言葉で考えている日記、いま読むのにぴったりで、これだ、という文章を読めたときのよさがある。多和田葉子のこの言葉に対する感覚が好きという気持ちと、川柳を作りたい動機、作っているとき感じる楽しさはかなり近い。 "ほぐすことのできない単語に矛盾する形容詞を付けてみると、脳の一部がほぐれる感覚がある。 温泉の中でこの遊びをして、マッサージ代わりに楽しんだ。閉鎖的開国、国民無視の民主主義、病的健康、敗け組の勝利、窮屈な自由、できるダメ人間、年とった若者、無駄なお金のかかる節約、贅沢な貧しさ、手間のかかる即席、安物の高級品、危険な安全保障。こうして集めてみると、これは単なる遊びではなく、社会を透かし見るのに必要不可久なレトリックだという気さえしてくる。" p.13
- 2025年6月20日生きづらさの民俗学及川祥平,川松あかり,辻本侑生気になる
- 2025年6月20日
- 2025年6月19日
- 2025年6月18日
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