

socotsu
@shelf_soya
しずかなインターネットで書く日記のなかに読書記録を埋め込む
- 2025年8月26日苦海浄土石牟礼道子感想文字を読める・読む、ということを当たり前のこととして生きている、それは日々を営むためのみならず、文化を受け継ぎ、記録するためにも必要なツールである、ということを疑いもしない人間に対する強烈なカウンターを、製本された分厚い紙の束として、時間も土地も隔てた人間が手に取ることができる・読み続けられることのおかしさ、有難さ、一言では表しがたい感覚が寄せては引いていく作品。 解説で池澤夏樹がチッソ社長室にいたる流れを「コメディー」と称していて、私もその「双六」ぶりや、チッソの人たちとのやりとりを読みながら、ここでこの表現を用いてよいかわからないけれど、悲劇と喜劇は裏表なのかもしれない、と思っていたので、とても納得した。誰が誰を笑っているのか、笑えるのか。思えば御詠歌の練習をちゃんとやらない・歌詞を間違えてしまうくだりや、「運動」の一部であっても、読む側も描かれている側もまじめな顔ができなくなる・していないような、メインの流れからはみだした部分にこそ、あらわれる人のいとなみのようなものも、この本の魅力だと思う。あまりにも長編なので、部分の話をしたくなってしまう。
- 2025年8月25日
- 2025年8月25日
- 2025年8月25日忘却の野に春を想う姜信子,山内明美読みたい
- 2025年8月25日
- 2025年8月23日
- 2025年8月23日
- 2025年8月21日
- 2025年8月20日
- 2025年8月19日
- 2025年8月18日海女たちホ・ヨンソン,姜信子,許榮善,趙倫子読みたい
- 2025年8月18日チャイナタウンの女武者マキシーン・ホン・キングストン,藤本和子かつて読んだ過去の自分の感想を転記する。ずっと復刊してほしいが、国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスで読むことはできる。 https://dl.ndl.go.jp/pid/12224018 --- 中国系アメリカ人2世の娘である筆者が、1世の母や、母がかつて住んでいた国のルールとアメリカで生きのびるためのルールとの間で板挟みになっている自分の体験を生かしたと思しき物語は、単純にルーツのある国の古い因習を乗り越え今いる国に馴染むための物語にはなっていない。あわいで引き裂かれるのを堪えるように、両者の間を揺れながら、たとえばなかったことにされそうになる叔母のエピソードに思いを馳せ、物語として書き起こすといった手段によって、今いる場所に限らない、自分を尊重しないさまざまなものたちに復讐を試みている。 総領娘の話でもあり、「家」や「血族」にしばられている女の話でもあるのに、読み終えてみると、物語の中での父という存在の影が驚くほどに薄い。 マキシーン・ホン・キングストンは中国の古典作品、物語、民話、寓話等を引用、言及、借用に積極的な作家だそうなので、読んでいてここって?と思うところは知識がなくてもちょいちょいあるけど元ネタについてもっと知っていたらおもしろさがさらに多重になりそうだ。
- 2025年8月17日新装版 苦海浄土石牟礼道子読み終わったこれは聞き書きではない、ということの意味を改めて、最近読んでいた社会学の本と照らし合わせて考え込んでしまう。想像はできるけど「あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだ」という境地にいたってあのような文章が書けるということって、と呆然としている。これは否定的な感想ではなくて、早く二部も読みたいと思っている人間の感想。
- 2025年8月15日
- 2025年8月12日新装版 苦海浄土石牟礼道子読んでる
- 2025年8月12日日本人が移民だったころ寺尾紗穂読みたい
- 2025年8月12日読み終わった他の植民地化した土地と違って、パラオの人々から聞く当時の日本や日本人への印象はポジティブなものも多いが、相反するような感情がひとりの人の中に渦巻いている場合もあるし、そもそも話を聞かせてくれときた人に自分の思いをすべて話すわけではないだろう、というのはもっともだと思う。 近代美術館で見て好きだった『猫犬』の土方久功が中島敦と仲良しで「敦ちゃん」呼びしていることを『トンちゃんとの旅』の引用で知った。とんちゃん、と思わず心の中で呼ぶ。中島敦との心の距離が思いがけず縮まる本でもあった。 前作『南洋と私』は尾道の紙片で買って、そこで寺尾紗穂さんというシンガーソングライターのこと自体も知った記憶がある。
- 2025年8月12日
- 2025年8月11日
- 2025年8月11日水平線滝口悠生感想硫黄島に住んでいた世代の人たちと、その人たちが本土に強制疎開させられたあとの現代の世代の人たちの語りのパートが交互に登場するのだけど、戦中戦後のそれぞれの時代の人たちの生活描写と思考の流れ、時に語り手もいつのまにか変わっているようなシームレスな文章の波に気がついたら乗っている。生きている人と死んでいるとおぼしき人が間接的に会話を交わすなかで、あなた、という呼びかけがこちらに向かってくるような心地になる。
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