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@shelf_soya
しずかなインターネットで書く日記のなかに読書記録を埋め込む
  • 2026年4月10日
    私のアメリカ人文紀行
    2人の人間が、互いの全身をつかって抱き合うような表紙の絵がとても印象的だ、と思いながら読み進めて登場したアメリカの社会派の画家であるベン・シャーンの作品だと知った。アーティゾンでいま他の作品が展示しているようなので見てみたい。あとがきの著者の、米政府にとっては人権は普遍的な理念というより国益のための資源、という言葉に呆然としてしまう。
  • 2026年4月7日
    私のアメリカ人文紀行
  • 2026年4月3日
    ディアスポラ紀行: 追放された者のまなざし (岩波新書 新赤版 961)
    いま読まれるべき本ってこのような本のことを言うのだと思う。『言葉と歩く日記』の隣に置きたい。
  • 2026年3月28日
    ディアスポラ紀行: 追放された者のまなざし (岩波新書 新赤版 961)
    在日朝鮮人二世である徐京植が2000年代に『ディアスポラ紀行』でこのように書き記していた内容を2026年のいま知ること。 "ナショナリズムを超えるということは、「先進国」という安楽な場所で、「先進国」人としての既得権を疑いもなく享受しながら、他者をナショナリストと名指していればこと足りるのではない。被抑圧者が抵抗のためにナショナリズムを必要とする状況、被抑圧者をナショナリズムへと結集させている抑圧構造、それを克服するのでなければ、少なくともそれを克服しようという意志と方向性を欠いていては、その言説は、「ナショナリズム」をではなく、「抵抗」を無力化する力としてのみ作用するだろう。" p.67 朴沙羅さんが『ヘルシンキ 生活の練習はつづく』で書いていた、自分のルーツを民族というカテゴリで称揚することへの距離の取り方を思い出す。そのことを自分のような日本に「日本人」として生まれついたマジョリティがどのように言い表せるか、言い表してよいのかと考えあぐねていることまで見透かされ、言い当てられてしまうこと。この批判にある意味気持ちよくならないで、じゃああなたはどのように行動するの、という話でもある。
  • 2026年3月27日
  • 2026年3月27日
  • 2026年3月26日
    わたしからはじまる わたしたちを育む働き方
    「共同労働」というはたらき方、仕組みについて知って、一応会社に所属して社会で生きているふりをしているけど、自分は人とつながって生きていくという方法についてあまりにも無知であったかもしれないと気づいた。
  • 2026年3月25日
    見知らぬ人を認識する
    見知らぬ人を認識する
    物語に何ができるんだ、と思うときにこそ、物語の中を生きる個別のひとたちの生を知ることによって、同じ人間を非人間化する行為に抗うこと。そしてサイードにとってのパレスチナ的実存性の解釈に、梨木香歩のエッセイを貫くエッセンスを、つまり自分が10代の頃からことあるごとに立ち返る考え方を思い出してしまった。そのふたつを結びつけていいのか迷いつつ。 "集団と自身の有機的な絆を尊重しながらも、そこから距離を保ち、孤独と連帯のあわいに存在しつつ、つねにどこかしら「異邦人」であり続けること。ナラティヴが収束に向かい、円環が閉じることに抗いながら探し続けること、自らのホームにあってくつろがないこと。"p.63
  • 2026年3月23日
    見知らぬ人を認識する
    見知らぬ人を認識する
    『記憶/物語』を思い出す箇所がそこここにある。
  • 2026年3月20日
    風に吹きはらわれてしまわないように
    風に吹きはらわれてしまわないように
  • 2026年3月16日
    耳のために書く
  • 2026年3月14日
    立岩真也を読む
    立岩真也を読む
    立岩真也の功績について讃える内容かと思っていたら『人命の特別を言わず/言う』で「?」と思っていた動物倫理に関する記述について、動物の権利を自ら申し立てができないからといって否定するのは、障書者解放思想が根幹にある立岩真也の論の立て方としてちがうのでは、という批判があり、たしかに、と納得。 立岩真と比較される小泉義之の『弔いの哲学』からの引用による「生きることはよい」と「殺すことはない」がなぜ「生きなければならない」「殺すな」ではないのか?についての記述もよかった。生きることの義務化の回避、そして他者を排したい欲望を否定せず、しかし「殺す」以外も道はあると示すことで強い禁止が煽りになる方向性を回避すること。表現が異なるだけで、立岩真也も『人命の特別を言わず/言う』で同じことを言おうとしており、そしてそのためにはやはり「人間の定義」をする必要はないということ。小泉義之『弔いの哲学』も読みます。 去年くらいから読んでいるどの本も自己決定権に関する本なのかもしれない。 「他者の合理性」について理解するために過程を知る。
  • 2026年3月12日
    人命の特別を言わず/言う
    「人の像は空っぽ」でいい、人間が特別である理由を動物にはないけど人間にあるものを探して取り上げない、ということも書きつつ、「人から生まれた存在」である他者が「私から発することなく私から到達し得ない世界がその人に開けている、その人に私を超えてある世界がある」ということを条件に、奪えない存在としての人として提示されていることにぐっときてしまう。とにかく考えたこと全部書く、ちょっと戻ったりもする思考の流れも全部書く、というタイプの文章なので理解できるようで本当に読みづらいし、これまでの立岩真也の考えが濃縮されているのか?という本人の既刊の引用も含めて膨大な注の量に混乱し続けていたけど読めてよかった。
  • 2026年3月12日
    人命の特別を言わず/言う
  • 2026年3月9日
    アメリカ紀行
    アメリカ紀行
    梨木香歩『春になったら苺を摘みに』が人生で一番繰り返し読んだ本、という状態で千葉雅也『アメリカ紀行』を今読むことの意味を強く感じていた。
  • 2026年3月9日
    アメリカ紀行
    アメリカ紀行
    "この年末は、栃木の実家に帰らない代わりに「マイアミの実家」という可能世界に帰っているのだ。そしてそこには故国キューバを懐かしむ人々もいる。僕は、他者のノスタルジーと僕のノスタルジーを取り違える。彼らは分身なのだ。他者の帰巣本能に僕は巻き込まれ、間違った場所に帰り着き、そのことに気づかずに「ただいま」と言う。" p.150 わかる、と思ってしまってから、いやいや、と距離を置く。しかし「違う」のに、これは自分にもあり得た話だ(あり得るはずがない)、とととても惹かれてしまう。
  • 2026年3月9日
    庭のかたちが生まれるとき
  • 2026年3月7日
    庭のかたちが生まれるとき
    「物体相互の揺らぐ関係性の束」が庭の基準という考え方が『異界の歩き方』の「流動的で複合体としての「私」」という考え方と響き合って感じられて、全然違う分野の話のようでつながっている。「石に歩かせる」と表現するやり方が、石を自分、物と者をまたいだひとつの運動体としてみなして石を介助するように石を動かせる方法なのも身体感覚、動作の捉え方としておもしろい。
  • 2026年3月6日
    異界の歩き方
    異界の歩き方
    『斜め論』で取り上げられたガタリの垂直と水平という捉え方も登場したり、やっぱり中井久夫を読まなければと思ったり。こちらの方が理解しやすいので『斜め論』の前に読んだらよかったかも。べてるの家の名前の由来を今更ながらに知る。症状はその状況下で自身を助けようとする自分の苦労であって、治すものではなくいかすもの、という考え方。
  • 2026年3月2日
    シモーヌ 2026年冬号
    シモーヌ 2026年冬号
    特集2も読み終える。特集1の「どの命が生きるに値するか」と特集2の「選択的共感」、それぞれへの抵抗はつながっていると感じる。飯田麻結さんの論考がすごく良い。『フェミニスト・キルジョイ』の翻訳者だった。こちらも読みたい。 セックスワーカーは人身取引の被害者ではないこと。買春者を処罰する北欧モデルは結果としてセックスワーカーの労働環境をさらに過酷に追い込むこと。監獄フェミニズムについて。「象徴暴力」という概念を知った。 "「象徴暴力」とは「社会的行為者に対して、その行為者の共謀を伴って行使される場」を指す。フランスでは、この概念はヒジャブ禁止やセックスワークをめぐる議論に広く用いられ、政策立案者は支配される人々──ここではヴェールを着用する女性やセックスワーカ──が無意識に支配されることを受け入れ、さらには支配される権利を主張しているという。"p.130 他者を自分の意思で語ることができない存在としてみなすこと。選べないんだろうと決めつけることと、自分の意思でえらんだのだから自己責任であるとみなすことは裏表だとも感じる。岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か:第三世界フェミニズムの思想』や丸山里美『女性ホームレスとして生きる〔増補新装版〕』を思い出す。しかし強制的に第三者が選ばせるのではなく、その気になったときに選べる状態を作っておくこともまた必要。
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