Reads
Reads - 読書のSNS&記録アプリ
詳しく見る
綿
綿
綿
@shelf_soya
しずかなインターネットで書く日記のなかに読書記録を埋め込む
  • 2025年5月24日
    ブルーピリオド(17)
    恋愛じゃない激重感情描写が好きだと再確認した
  • 2025年5月23日
  • 2025年5月20日
    オーウェルの薔薇
    オーウェルの薔薇
    1963年にスペインの内戦に加わったオーウェルが聞いた、革命のスローガンを叫ぶかわりにファシストたちに向け、自分たちの陣営で食べられるバタートーストのおいしさを語る兵士の言葉を、ソルニットが「パンと薔薇」の文脈で、パンのみではないなにかをあらわすものとしてとらえる箇所、その後に引用される、ズボンをたくし上げる兵士は「ファシスト」ではなく一個の人間で、だから撃てなかったというオーウェルの語り。二つのエピソードのつなげ方がとても印象的。 人間が生きるために必要とするもの、人間が人間を人間ととらえる条件。
  • 2025年5月18日
    オーウェルの薔薇
    オーウェルの薔薇
  • 2025年5月17日
    断片的なものの社会学
    語り口がかなりしっくりくる。「手のひらのスイッチ」の幸せのイメージとされる規範の暴力、それに縛られて生きること、しかし一体どれだけ「個性的」でそこから規範から離れた「孤独」を選択できるかというエピソードが、自分が考えていることの延長にある話で、ここに読みたいことが書かれている、という気持ちになった。
  • 2025年5月17日
    トラウマ
    トラウマ
    周囲のトラウマを負った人にどのように関わっていくか、ただそばにいることのむずかしさについて想像しつつ、求められていない段階で、相手が望むものを察しようとして能動的に働きかけるわけではなく、傷を負った人のそばにただいることの役目って、いつか開かれるかもしれない本として本棚に置かれておく、みたいなことにも近いのか、と想像する。可能性としての。人間は本じゃないので、全然うまくないたとえかもしれないけど。 読みながら『家の歴史を書く』『私が諸島である』『あらゆることは今起こる』といった学術書、学術書寄りのエッセイで描かれていたことや、実際取り上げられていた作品も含めてトラウマを描いた小説や漫画作品、特に萩尾望都やよしながふみの漫画をいま読んだらまた違う切り口で読めるのではないか、と想像する箇所が多数あった。
  • 2025年5月15日
    トラウマ
    トラウマ
    口語で書かれているため読みやすいけれど、凄い密度の本。2013年刊行だが、ケアの文脈で語られる書籍が複数出版されており、それらに興味がある人間として今読むべき本だった。「ジェンダー・センシティブ」という捉え方は、自分が違和感なく他者に接する態度に非常に役立つと感じた。 "紛争後や災害後の非西洋諸国出身の人たちに、トラウマやPTSD概念を用いるのが適切なのだろうか"といった批判や議論のくだりに、『私が諸島である』や『彼女の正しい名前とは何か』を思い出した。
  • 2025年5月15日
    聖なるズー (集英社文庫)
  • 2025年5月13日
    マイ・ディア
    マイ・ディア
    復刊を知らなくて友人に即連絡した 読みます📕
  • 2025年5月7日
    急に具合が悪くなる
    急に具合が悪くなる
    この本を読んでよい読書体験だったと思う層、この読書アプリを使う層、濱口竜介の映画を好んで観る層は被ると思ってはいるけれど、それらの人たちがこの本の映画化を本当に喜ぶ層なのか、かなり疑問
  • 2025年5月7日
    なぜ人は自分を責めてしまうのか (ちくま新書 1845)
    抱えている自責について、これ一冊だけ読んですっきりするような本ではないが、母の日が近づいているこのタイミングでこの本を読めてよかったとは思う。 まず女親に押し付けられている「母性愛」は明治以降に構築された制度であること、その制度、役割が押し付けられている段階で母もまた被害者ではあるけれど、被害者の立場で、より弱いものへ、物理的に手をあげるなどの暴力を振るう暴力ではなく、ケア、世話、愛情という「無敵の価値を利用して行われる支配」という子どもへの暴力をはたらく存在と化す可能性があること、ケアの支配性が発揮されるしくみを知ることができたのが、個人的には一番よかった。 一方で「ぜんぶ自分のせいだ」という自責は容易に反転する、というくだりもSNSを例に取り上げていたが、自分も陥りがちなシチュエーションであるため注意したい。
  • 2025年5月7日
  • 2025年5月6日
    ヤンキーと地元
    本土に生きる人間がこの本を読んで何を語れるのかと思うのだけど、読めてよかった。筆者が「ホモソーシャルなつながりを用いて沖縄の男性たちについて調べて書くことは、男性たちの価値規範に私も巻き込まれなければなしえなかった」「パシリとしての参与観察、なかでも観察者が調査対象者の生きる世界に巻き込まれることについては、男性たちの世界を理解するという意義がある反面で、男性の見方に拘束されるという限界があり、今述べたように留意しながらすすめる必要があるのだ。」と書いていることへの信頼。 男性/女性、だけではなく本土/沖縄、調査する・書く側/調査される・書かれる側という軸もあって、調査倫理を果たす上での著者の姿勢は個人的にはとても好ましいものだが、そのせいで家族の人はかなり大変な目にあったのではないか、と謝辞から想像するに全肯定はできない立ち位置でもあり…
  • 2025年5月6日
  • 2025年5月5日
    潜水鐘に乗って
    潜水鐘に乗って
  • 2025年5月5日
    ヤンキーと地元
    ヤンキーと地元
  • 2025年5月4日
    ヤンキーと地元
    ヤスダ彩さん展示の関連選書にある『調査する人生』見て、今では?と思い購入
  • 2025年5月2日
    潜水鐘に乗って
    潜水鐘に乗って
    全体的に湿っぽくて、こちらの湿度と合ってていい
  • 2025年5月2日
    トラウマ
    トラウマ
  • 2025年5月1日
    傷のあわい
    傷のあわい
    阪神淡路大震災前、日本でPTSDという概念があまり広まっていなかった頃に筆者がアメリカ在住時、日本におけるPTSDの認識について問われるエピソードが特に印象深い。 "そして医療人類学のすべきことは、人々の心だけでなく、心の捉え方がどう文化的・政治的な力によって変容していくかを注意深く観察することである。" まず人間がいて、その人の状態をどのような表現でとらえるか、それはその人が望む状態に変化するためにどのようにかかわってくるか。
読み込み中...