
中根龍一郎
@ryo_nakane
2025年5月28日

生きることを学ぶ、終に
ジャック・デリダ
かつて読んだ
読み返した
『法律婚って変じゃない?』を読んで、そういえばデリダが結婚について書いていたところがあったな、と思って、読み返した。
インタビュアーの質問に答える形で、デリダは、ヨーロッパ的なものへの自身の複雑な帰属意識について語る。そしてアメリカでもなくアラブ=イスラーム的でもない、「もう一つの世界を求める」ための、(いまだない)ヨーロッパへの期待を、とても限定的で慎重な言い方で示す。そうしたヨーロッパにおいてこそ、ヨーロッパ的遺産がもっともよく思考されうる、とデリダは言う。そして「ここでよろしければ長い括弧を開かせてください」と書き、括弧にはさまれた長い注釈を入れる。ヨーロッパ的遺産として、デリダがこの死の直前のインタビューに挿入した、その括弧の中身が問題にするのは、婚姻の話だ。
2004年、当時のベーグル市市長ノエル・マメールは、市長としてフランス初の同性婚の挙式を行った(日本では書類上で婚姻が処理され、挙式は必須でないけれど、フランスでは居住する市役所での市長が認める挙式によって法律上の婚姻が成立する)が、この婚姻は政府によって違法とされ、停職処分を受けた。デリダはかつてこのマメールの行動を支持する署名をしている。デリダは当時の自身の署名による支持を、あくまで現行の法律的コンテクストにおいて、「よりよい法」を求めるもの、同性愛者の権利にとって法が不正であることに対抗したものであったとする。それは現行の法のなかでの不正や偽善をただそうとするものであって、デリダ自身の婚姻に対する意見は、同性婚の支持を超えて、もっとラディカルなものだ。デリダは続ける。
私が立法者なら、世俗的な民法典から、「婚姻」という言葉と概念を、ただ単に消滅させることを提案するでしょう。
(『生きることを学ぶ、終に』p.50)
『法律婚って変じゃない?』でとりわけ面白く読んだ、大島梨沙「民法から婚姻を削除するとどうなるか」と、アイデアとしてはきわめて近いもので、興味深い(「世俗的な」民法典、という言葉遣いには微妙な留保も感じるけれど)。大島の論考はデリダのこのコンセプトを、より現実的に実現すること(の困難)について切り込んでいったものともいえる。デリダは近現代の婚姻が持つキリスト教的な価値観の嵌入を批判し、その異性愛主義と単婚主義が制度を強く規定していることを批判し、婚姻を「性も数も強制されない」「柔軟で調整された」契約に基づく「市民的結合」に代えることを説く。
その批判は重要なものだ。でも、現に存在するこの社会に、そうした「契約」にもとづく「結合」をどう実装するかという点をかんがえると、言説としてはかなり素朴なものになってしまう。デリダもそうした現実からの遊離はおそらくわかっていて、旧来の婚姻を望む人へのフォローを添えながら、最後に「これはユートピアです」とそっとつけくわえる。
厳密な意味で「婚姻」——それに対する私の敬意は、とはいえ揺るぎないものですが——によって結ばれることを欲する人々については、その人々が選んだ宗教的権威の前でそうすることができるでしょう。[…]宗教的なものか世俗的なものか、どちらかの様式で結ばれる人々もあれば両方の様式で結ばれる人々もあり、また他の人々は、世俗的な法でも宗教的な法でも結ばれなくてよいという具合になるのです。婚姻についての括弧は以上で終わりです。これはユートピアですが、いつかそうなることを私は望みます。
(『生きることを学ぶ、終に』p.50-51)
それにしても長い括弧だ。p.49の後半からp.51の前半まで、3ページにわたっている。まずインタビュー中に話したことではないだろう。確認のためのゲラに別紙で原稿を添付したり、あるいはメールで送ったりしたのだろう。デリダは手紙魔だったという。公的にも私的にも、彼には書いておくべきたくさんの言葉やその補足があったのだろう。でもここでの婚姻の議論は、全体の論旨からはけっこう浮いているし、語っている内容はラディカルだが、詰め方はわりとゆるい話でもある。そもそもその括弧の直前では、どちらかといえばイスラエルの問題や、世界秩序のバランスのなかでヨーロッパがどのような役割を果たしていくべきかといった、かなり国際政治的な問題について語っていた。
ふつうはこんなところでこんなふうに婚姻について、長々と注は入れないか、入れたとしても、この点に関してはこれこれこういった問題があるがここでは立ち入らない、といった注になるような気がする。でもこの、自分が気になったことをふと取り上げて滔々と補足してしまうところには、わりと人間らしさを感じて、親しみが持てたりもする。
校正者がどの段階で入ったかはわからないけれど、もし一度読んだゲラに、デリダからの直しで3ページにわたる長大な括弧が挿入されていたら、どんな気持ちになるだろうか。困る人もいるかもしれない。というか、実務的には困るだろう。でももし私なら、たぶん、これは困ったな、とぼやきながら、その長大な括弧に、むしろ面白さを感じて笑ってしまうような気もしている。もちろん、なるべく直しがないにこしたことはないのだけれど……。



