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中根龍一郎
中根龍一郎
中根龍一郎
@ryo_nakane
校正の仕事をしています。
  • 2025年8月27日
    神秘の人びと
    神秘の人びと
    いや、ほんとうに面白い。あまりにも面白くて、ほんとうに面白い、ということだけ書くために、Readsを開いた。またちゃんと書きたい。 古井由吉が本を読んでいくエッセイと言えば、つづめてそう言えるのだけど、本を読むということの面白さが詰まっている。
  • 2025年8月23日
    人狼伝説
    人狼伝説
    高校生のころ警察で調書をとられたことがある。車にはねられて三日ほど意識をなくし、退院したあとで呼び出された。簡単な調書をとるだけ、という話だったので、親はつかず、ひとりで行った。薄暗い部屋で警官は「事故のときのことを話せる?」と訊いてきた。しかし私は事故の前後の記憶がすっかりなくなっていたので、いえ、覚えていないんですと答えた。「覚えていないじゃ困るんだよなあ」と警官は顔をしかめた。「事故のときに現場にいた人がいて、あなた、まだ信号が赤だったんだけど渡ろうとしたんだって。間違いありませんか?」「わかりません、覚えていないんです」「でも見てる人がいるんだよ」「じゃあ、そうなんだと思います」「なんでそんなことしたの?」「たぶん、バスに乗ろうとしたんじゃないでしょうか」「じゃあこういうことだ。私は信号を横断した先のバスに急いで乗ろうとして、信号がまだ赤であるにもかかわらず、横断しようとしました。これでいいですね?」「はい」 調書は一人称で書かれるんだ、ということにちょっと驚きながら、私は私の記憶していない私の行動が、私の記憶していない動機によって、私の記憶していない責任を負うべく、一人称で書かれていくのを見ていた。警官は終始責めるような口調で、すこし怖かったけれど、字はきれいだった。 昔、むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった、という定型文が失笑をさそうものとしてひとり歩きしていたとき、高校生の私は、私もまたこのような定型文によって自分を一人称化されたのだ、ということを考えていた。そこにはもっと別の語りがあったのかもしれなかった。でも法的・社会的な規範は、逸脱の仕方をある規範に押し込めなくては、その逸脱をうまく処理できない。 証言する能力に欠けているはずの人の証言が記録されるとき、そこにはしばしば疑わしいものがある。とりわけそれがきれいに記録されているときには、そこにどんな因果関係を補足するための物語が差し込まれているのか、警戒しなくてはならない。 ヨーロッパの人狼の伝説にはいくつか種類がある。セイバイン・ベアリング゠グールドが収集している民間の事例は、自分の興奮をおさえられなくなってしまう性向や、人肉食や殺人自体への嗜癖といった性向を、狼への変身と結びつけている。ただ時代が下り、キリスト教の影響が強くなってくるにしたがって、狼への変身のプロセスに「悪魔と契約した」「悪魔がそそのかした」とする物語が忍び込んでくる。とらえられ、裁きにかけられた犯罪者としての人狼や人食いたちは、自分たちが何者であるのかを説明し、そこに悪魔の存在をほのめかす。告白を通して罪人たちは自分の罪に因果関係を肉付けし、その物語に沿って罪と向き合うのだけど、しかしその告白の前にどれだけの社会的な物語が彼らの行為を包囲していたのだろうということを、今日の視点ではつい考えてしまう。 そこにいたのは悪魔ではなく狼でもなかった。しかしそれを悪魔や狼と名づけることは必要だった。ことによると、暴力的行為の当事者である罪人たちにとってさえそうした物語化は必要だった。今、悪魔や狼は疾患になっている。疾患という物語が人を助けるように、悪魔や狼という物語が人を助けることもあるのかもしれない。でもそれはひとつの粗い語りの類型にすぎないし、あるいっときの流行にすぎないのかもしれない。悪魔でも狼でも疾患でもない、私の行為や性向についての私の語りというものを取り戻したい。そのような語りが可能な場はどこかに必要なのだということを、ときどき考える。
  • 2025年7月31日
    伴侶種宣言
    伴侶種宣言
    『チャイニーズ・タイプライター』に頻出していた「リトリーブ」の表現から、ダナ・ハラウェイもレトリーバーについて書いていたな、と思って、読み返した。でも実際にはそれは、レトリーバーについてというより、レトリーバーではないもの、メタ・レトリーバーについての愛に満ちた小文だった。 レトリーバーというのはまるでこの二、三秒に生死がかかっているみたいに、ボールや棒を投げる人をじっと見つめるものですね。ところが、メタ・レトリーバーたちは、そのレトリーバーたちが並外れた感受性でもって投擲物の方向合図やマイクロ秒レベルの跳躍に反応するのを見つめているのです。〔中略〕レトリーバーたちが投擲物を追って走りだすと、メタ・レトリーバーたちはその強靭な視線の外側を走って忍び寄り、いかにも嬉しそうな様子で巧みに頭突きをしたり、かかとに噛みついたり、数珠つなぎになったり、割って入ったりします。上手なメタ・レトリーバーになると、一度に二頭以上のレトリーバーをさばくことさえできます。一方、上手なレトリーバーたちはメタたちをかわしたうえで、それでも目の醒めるような跳躍を決めて投擲物をキャッチしてみせます。 (『伴侶種宣言』p.86、88) ここで言及されているハラウェイの犬、〈メタ・レトリーバー〉のローランドはオーストラリアン・シェパードの遺伝子を持つ雑種で、つまり牧羊犬だ。撃ち落とされた獲物をくわえて人間のもとへ帰ってくるようその系譜に刻み込まれたレトリーバーがいるように、気ままに動こうとする動物へ一定の規律を課して群れへ誘導するようその系譜に刻まれた牧羊犬がいる。犬たちは人間によって使役され、支配され、狩猟や、牧畜や、軍事や、さまざまな役目に動員されてきた。そこには少なからず暴力や非対称性があり、しかしまた、犬たちもそうすることによって生き延び、利得してきたという共犯関係がある。 フェミニズムの理論にサイボーグを重要なタームとして持ち込んだハラウェイが、より現代にマッチしたフェミニズム理論の概念装置として、サイボーグの次に練り上げたものが伴侶動物であり、より限定的な形としては犬だった、というのに、ひとりの犬好きとして興味を惹かれて読んだ。小ぶりな本で、そこまで理論的に詰められている印象はなく、どちらかというと思弁的なエッセイ集に近い。そこには犬への愛があり、他者の存在をどのように承認するかという問題意識がある。 再生産的異性愛にくみすることのない伴侶動物との関係に、ポジティブな意味でのクィアネスを見出そうとするハラウェイは、犬と人とが互いに見つめ合い、互いのあいだで生まれていく諸世界を承認し、目の前にある他者性に反応することを愛の行為として肯定する。そのような愛の行為のチャンスはきわめて短い。目の前でじかに生成する、今・ここにいる他者への注意深く瞬間的な応答だ。ハラウェイはそうした愛の行為を〈存在論的コレオグラフィー〉と呼び、ダンスの比喩で表現する。犬と踊ること。犬のステップに対してそのステップを生かし、そのステップとともに生きる、適切なステップを踏むこと。互いにそれぞれの個体として存在しながら、ともにコレオをなすこと。 犬と人との間には歴史的・社会的に無数の問題がある。殺処分の問題や生体販売の問題、人を咬む犬の問題、人為的につくられた犬の本能の問題、交配によって生まれた健康上の問題をかかえる品種の問題、いくらでも出てくる。そうした問題について、ハラウェイはたびたび言及する。ある個体の犬と触れ合うとき、「わたしたちは、肉体のなかに、わたしたちを可能にしてくれた犬たちと人びととのつながりをすべて体現する」と彼女は書く。話は犬と人に限らない。現在の犬たちを構成する歴史的存在としてハラウェイが持ち出すのは、絶滅から種を保護するためという触れ込みでアメリカの国立公園に放たれたハイイロオオカミ(2002年の統計によればワイオミング州でそうしたオオカミによって42頭の犬が殺されたという)や、観光資源としてスロヴァキアやピレネー山脈に迎えられたヒグマ(家畜護衛犬が戦わなくてはならない相手だが、捕食動物の犠牲になった犬は保険によって補償されるため、その保険金が魅力的になってしまう——犬は「クマを追い払うよりも保険装置と戦わなければならない」とハラウェイは書く——)のような、犬にまつわる人が責任を持つすべての動物であり、それは結局ほとんど全生態系につながっていく。「わたしたちにはまるごと全部の遺産が必要だ」とハラウェイは書く。「わたしたちは、無垢なふりをせずにその遺産のなかに棲まうことで、あそびがもつ創造的な優雅さを望むことができるかもしれないのだ」 コーヒー一杯のエシカリティを考えることはむずかしい。服一着のエシカリティを考えることもむずかしい。リベラルな倫理観というのは、私たちの個体の世界観に対してすこし無理のあるスケールを要求している。でも私たちは膨大な関係性の編み目のなかで、その来歴を「実際は」知りうる環境にいて、知ることが望ましいとされる世界に生きている。目の前にいる一頭の犬は、犬好きにとって、愛さずにはいられないある切迫した存在として、意識に現象する。 そのようにして差し迫ってくる存在は、もしかするとふるくは恋人や子供の比喩で語られたのかもしれない。でも恋人や子供の比喩には、家族、子供、女、男、再生産といったまた別の問題がついてまわる。もちろんそうした比喩が有効性を持つ人や場合もあるだろうし、犬を比喩装置として使うことの、また別の問題もあるだろう。大事なのはたぶん、旧来の家族カテゴリーを離れた伴侶動物というカテゴリーの可能性をとっておくこと、その迂回路を、いわば「確保しておく」ことだ。その道が必要となる人や、その道が必要となるときのために。 わたしが犬の「ママ」と呼ばれるのが耐えられないのは、すでに成長した犬を幼児化したくないからだし、それにわたしが欲しかったのは赤ん坊ではなくて犬だったという重要な事実を誤認したくないからである。わたしの多種から成る家族は何かの代理や代替ではない。 (『伴侶種宣言』p.147)
  • 2025年7月29日
    チャイニーズ・タイプライター
    チャイニーズ・タイプライター
    日々仕事のための連絡を打鍵する。「おつ」と打ち始めると「お疲れ様です」が予測変換にあらわれる。よろ」と打ち始めると「よろしくお願いします」があらわれる。「こち」なら「こちらで進行いたします」だし、「しょ」なら「承知いたしました」。予測変換にあらわれたらもうひとつながりの言葉を打ち切る必要はない。Tabキーを押して入力を終わらせる。業務は効率化され、メールは速くなり、文面は定型文だらけになる。 中国語タイプライターの入力効率化を大幅に推し進めたのが「頻繁に使われる熟語を構成する文字を近い場所に置く」という活字配置の実務的な改造であり、毛沢東時代の共産党当局が発する文書量の肥大化であり、そして共産党のレトリックがきわめて定番化し、語彙が限定されていったことなのだというマラニーの分析はとても面白い。 タイプライターの文字配置の法則を画数や部首といった理念的な側面から定めようとしていた理論家たちの苦労や、しかしそうしてつくられたタイプライターが実際は(初期の中国語タイプライターはキリスト教の中国語圏布教の文書作成を目的としていたため)キリスト教的語彙を構成するための文字が近接して配置されていたりする、いわば実務に「汚染」されていたことを思うと、ひとつの(非アルファベット圏の)文字が、「自分たちの文字はどのようなものであるのか」をめぐる理論と実践の引き裂かれが見えてくるようだ。理念的には、漢字はその構成要素によって秩序づけられる。しかし実務的には、それが要素として構成する文によって分布する。分布は理念によって秩序づけられるものではなく、観測によって整理されるものだ。そこには言語が「何であるか」と「いかにあるか」の緊張関係が立ち上がる。 無数の漢字を実際の空間に配置した中国語タイプライターというのは、もちろん過渡期のものであって、やがてコンピューター時代になり、中国語の入力システムはわれわれ日本人にも親しい(しかしもちろん日本語入力のものとはちがう)「変換」へと移行する。『チャイニーズ・タイプライター』はその現代的な入力システムの前史であり、コンピューター時代の入力システムについては続刊で扱うことが予告される。ちょっと気になるのは、マラニーが中国語の文字システムのうち、入力機械とは別の理念的な位相にあるものを、入力をコマンドとして再配置するシステム、つまりいわゆる「変換」のシステムについて、しばしば「リトリーブ」という表現を使うことだ。文面では「検索゠復元」と書かれ、「リトリーブ」とルビが振られる。 リトリーブという言葉を見て、一番に思い浮かぶのは、どうしてもレトリーバーだ。レトリーバーは賢い犬で、撃ち落とされた獲物や、投げられた棒やボールを、コマンド通りにとってくる。うれしそうに駆けていって得意げに戻ってくる。QWERTYキーの入力からひらがなや漢字を特定のプロトコルで出力する私たちの無茶なシステムが成り立つのは、そうした入力から私たちの求める文言を検索゠復元(リトリーブ)するレトリーバーたちがコンピューターのなかを駆けているからだ。その検索゠復元は通常の入力や変換を拡張し、やがて現在の予測変換へつながっていく。「よろ」と入力するや否や「よろしくお願いします」に飛びかかり、得意そうにくわえて戻ってくる犬。マラニーによれば、中国の代表的なIMEのひとつは「捜狗」というそうだ。 リトリーブの比喩と捜狗の関係が明示的に書かれるわけではない。でも『チャイニーズ・タイプライター』のそこここにときおり見え隠れする犬の比喩に、コンピューターを使う犬好きとして、そして子供のころレトリーバーと一緒に暮らしたものとして、なんだかしんみりしてしまうものがある。この小さな機械のなかにも犬がいる。
  • 2025年7月14日
    チャイニーズ・タイプライター
    チャイニーズ・タイプライター
    検索のためにハングルやタイ文字を入力することがある(といっても韓国語やタイ語がわかるわけではないけれど)。ハングルはあるていど指も慣れていてなんとなく打てるのだけど、タイ文字はキーボードビューアを見ながらでないと打てない。キーボードビューアは、シフトキーを押すと、シフト後の各キーに表示が切り替わる。そして、シフトキーを押した時のタイ文字の「シフトっぷり」にはしばしばびっくりしてしまう。タイ文字は種類が多い。 タイプライターという有限の空間にあまりにも多すぎる中国語の漢字をどう配置しうるか、という問題が『チャイニーズ・タイプライター』の出発点であり、タイ文字の話はその道すがらに少し触れられるだけだ。1892年にエドウィン・マクファーランドによって発明されたシャム語タイプライター(シャムはタイの旧称)の話が、この本の頭に少しだけ紹介される。初期のタイプライターのさまざまな姿のうち、ダブル・キーボードという84のキーによってアルファベットの大文字小文字や各種の記号を打ち分ける形式が、シャム語タイプライターに採用された。44の子音と32の母音、5つの声調、10の数字、8つの句読点を持つシャム語の表記にとって、そのキー数はどうしても必要で、のみならず、それでもなお足りなかった。 シャム語の文字体系も変わる必要があった。技術言語学的交渉にあたっては、無傷で済まされることはないのだ。エドウィンの弟のジョージの回想によれば、八四ものキーがあっても、スミス・プレミア機は「シャム語アルファベットを全て書くためには二つ足りなかった。[エドウィンは]どう頑張っても、全てのアルファベットと声調符号を機械に組み込むことはできなかった。そこで彼は非常に大胆なことをした。シャム語アルファベットから二文字を削ってしまったのだ」。そして、こう書き加えている。「〔その二文字は〕今日、完全に廃れてしまった」。 (『チャイニーズ・タイプライター』p.65) なかなか手に汗握る話だ。でも日本語の字体がJIS規格の変動に伴って被った混乱や、戸籍電子化の際の文字整理の問題、住基ネット統一文字コードが一部Unicodeと衝突している問題などなど、テクノロジー化のプロセスのなかで消えていった、ないし消えていこうとしているたくさんの文字を思えば、非アルファベット文字体系の技術的なきしみは、対岸の火事とも思えない。 少しずつ読み進めていて、今は中国語タイプライターが日中戦争によって日本製のものにシェアを奪われていくあたりに入っている。不可能と思われた中国語タイプライターは、入力できる漢字数を縮減することで可能になった。とはいえそれでもアルファベットに比べれば膨大な数のキーを、中国語のタイピストたち、日本の(つまり漢字文化圏の)タイピストたちは、身体化することによってコントロールする。訓練が膨大なキーを打つことを可能にする。それはハングルのキーボードを打ち、タイ文字のキーボードを打っているときに、次第に、どこになにがあるかを指が覚えていくプロセスに似ている。ブラインドタッチがだんだん速くなっていくときのような懐かしい修練の快感がそこにはある。
  • 2025年6月26日
    大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる改訂
    ザワークラウトという食べ物をはじめて知ったのは小学生のころに読んだこの本だった。カスパールのおばあさんが毎週木曜日につくる、なべいっぱいのほかほかのザワークラウトと、じゅうじゅう音をたてる焼きソーセージ……子供の私はもちろんザワークラウトを食べたい、ということを母にリクエストした。ザワークラウトって酸っぱいキャベツだよ、と母は困惑しながらも用意してくれた。でもそれは瓶詰めのしんなりしたキャベツで、ホッツェンプロッツで読んだような、なべでほかほかのゆげをたちのぼらせる食べ物ではなかった。なにかへんだな、もしかするといろいろなザワークラウトがあるのだろうか、といぶかしみながら、母のつくってくれた焼きソーセージとザワークラウトを食べた。そのあとザワークラウトが食卓に並ぶことはなかったのを思うと、あまり私の反応はかんばしくなかったのかもしれない(母は私が喜んだ食事は定番にしてくれるのが常だった)。 大きくなってから、東欧にビゴスというザワークラウトの煮込みがあることを知った。でもビゴスはザワークラウトとソーセージを一緒に煮込むものだそうだから、ザワークラウトだけをなべいっぱいに煮ているカスパールのおばあさんの料理とはすこし違う。木曜日だけザワークラウトとソーセージの料理をするというのは、なにかの宗教性を感じさせもするけれど、しっくりくるものは見当たらない。プロイセン、ハンガリー、ポーランドといった大きな文化圏にまたがり、近接していた、ドイツ語圏のどこかに由来を持ち、どこかで変形していった家庭料理ということなのかもしれない。 ホッツェンプロッツのシリーズは好きで、3冊読んだけれど、とりわけ思い出深いのが『ふたたびあらわる』で、それはザワークラウトによるところと、ホッツェンプロッツが変装をする話だというのが大きい(子供のころから、「変装」はとても好きなモチーフだった)。でもいま改めて読み返すと、当時は素通りしていた、ホッツェンプロッツの大きな鼻とひげもじゃの風貌がとても気になってくる。 ホッツェンプロッツは典型的な「悪人の顔」だ。なるほど、これは悪いやつだな、と子供心に思わせる人相をしている。でもそこで強調されている特徴は、実は、ユダヤ人的なものでもある。ただ、そこには積極的なユダヤ人差別というより、素朴な文化的図像の継承があるのかなということも思わせる。悪人として表象されるものが典型的にはどんな人相をしているのか。そしてその人相はどんな人種を代表しているのか。 読み返しているうちに、もうひとつ、子供のころ印象深かったシーンを思い出した。ホッツェンプロッツはカスパールとゼッペルへの復讐心を胸に独白する。 まず、カスパールとゼッペルだ。やつらがおれをぶちこみゃあがったのだから、ただですませるものか! あしたにでも、さっそくまちぶせしてやろう。そして、つかまえたらさいご、やつら二ひきでシチュー用の肉をつくってやる! そうだ——シチュー肉だぞ、へ、へ、へ、へへへ…… (『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』p.67) 邪悪な存在が人肉食をするという見方、つまり共同体の外部の存在を「人食い」として名指す文化はどこにでもある。でもホッツェンプロッツはそうした共同体の外部の、理解不能な怪物のようなものというより、子供としても感情移入できるようなキャラクターだった。そのホッツェンプロッツがとつぜん人肉食への欲望を口にするというのは、なかなかショッキングだった。 トカゲ人間が子供の生き血を飲んでいるという陰謀論でも、ユダヤ人の血の中傷でも、「コミュニケーション可能な存在が実は人間を食べている」というストーリーの類型がこの世にはある。そのフォークロア的な偏見がたまたま子供向けの作品にあらわれたのだろう。でも児童文学にはそうした「悪の典型」についての偏見が、しばしば素朴な形であらわれてしまう。すこし考えさせられた。 物語はホッツェンプロッツがきのこのスープを食べることによって終わる。ザワークラウトのなべ、人肉のシチュー、きのこのスープ、汁物をめぐるストーリーだ。読んでいるうちになにかなべでつくりたくなってくる。
  • 2025年6月25日
    ハイデガーとナチズム
    『ヒトラーと哲学者』が人間としての哲学者を描写し、個々の思想の内容についてはわりと軽めの記述だったので、ハイデガーの哲学とナチズムの関係をもうすこし読みたいなと思っていたら、よさそうな本が7月30日に出るようだ。8,250円はなかなか思い切りが必要な価格だけど……。
  • 2025年6月24日
    人殺しの花
    人殺しの花
    むかし日比谷公園に薔薇を見に行ったことがある。柵に囲われた花壇のなかに「プライムミニスターナカソネ」という白薔薇を見つけてちょっと驚いた。初めて見た名前だった。中曽根康弘は長いこと日本ばら会の会長を務めていたから、そういう薔薇があっても不思議ではない。でも薔薇が持っている花のイメージと、強い政治家、強い権力者のイメージはなかなか結びつかない(とはいえシャルル・ド・ゴールやリシュリューの名を冠した薔薇には特に違和感を覚えないわけで、それはそれでへんな話ではある)。 日比谷公園の花壇には「プリンセスミチコ」という薔薇もあった。皇族の名を冠した薔薇はけっこうある。でも知っている限り、女性皇族に限られるし、天皇の名前がつけられることはない。ヒロヒトやアキヒトという名前の薔薇は見たことがない。天皇はそういう形で表象されることはない。それは大貫恵美子の書く〈無のシニフィアン〉と近接しているような気がする。天皇の写真や肖像画を明治政府が避けようとしたような、迂回されることによって生まれる統治の形。 薔薇や桜が担わされてきた象徴性について、その象徴性(象徴するものと象徴されるものとの結びつき)が実は曖昧なものであるために多義的になり、それによって権力の支配が見えにくくなるという大貫の分析は明快だ。桜や薔薇の花には、花それ自体を超えて、桜や薔薇についてまわる無数のイメージが含まれている。そして私たちの花に対する素朴な好みが、時に抵抗であり時に抑圧でもあるイデオロギーを立ち上がらせてしまう。大貫の記述が興味深いのは、日本人のなかで桜が特別な花になっていくプロセスをさまざまな歴史的事例や文化的事例(能や狂言や花見)を引きながら調べていくところだ。稲と桜の関係は特に面白い。日本人がいかに桜を特別視してきたか、そして稲をいかに特別視してきたか。1993年の外国米輸入に伴う大変な騒動は、子供心になんとなく覚えている。タイ米は周りで不評だったが、私はそれなりにおいしく食べた覚えがある。 桜が支えるイデオロギーがあるように、稲が支えるイデオロギーもある。いまファミリーマートの店先には大谷翔平の大きな広告があって、「僕はおむすびのおいしい国に生まれた」と巨大な明朝体で書かれている。それをナショナリズム的だと言うのは言いすぎだけど、国家的な帰属意識を米によって代表させているところにはすこしどきりとさせられる。きわめて素朴な感覚として、米を食べるのは好きだ。でも稲には日本という国家のイデオロギーがどうしても忍び込んでいる。花と国家の関係に興味があって読み始めた本ながら、はじめの期待と違った面白い視点に出会えたのはとてもよかった。
  • 2025年6月20日
    ヒトラーと哲学者
    ヒトラーと哲学者
    石川県にある西田幾多郎記念哲学館に行ったことがある。コンクリートと光と経年でつくられる、硬質でどこか神さびた詩情のある安藤忠雄建築が、町を見下ろす小高い丘で静かに佇んでいる。展示は西田幾多郎の哲学というより人生録にフォーカスが当たり、手紙や日記が面白い。レコードに吹き込まれた西田幾多郎の声も聴ける。ミーハーなのでミュージアムショップで「無」と書かれたTシャツを買った。 西田幾多郎は太平洋戦争中、軍部からの要請に応えて大東亜共栄圏を理論的に補強する「世界新秩序の原理」を書いている。京都学派の弟子にあたる田辺元、三木清らもまた軍に協力し、日本の戦争を思想的に後押しした。そしてこうした戦争協力にもかかわらず、京都学派は読まれ、研究の対象になり、Tシャツが買われている。 もちろん京都学派の戦争協力は一貫して批判の対象になっている。ハイデガーやシュミットのナチス協力もずっと問題になっている。彼らが講義や一般書に現れるときにはしばしば〈彼らにはナチス協力という問題があるが〉というような留保がついてまわる。しかし、だからといってハイデガーやシュミットを消去することもまたできない。大きなものはその追放がむずかしい。 (イヴォンヌ・シェラットの本のなかではフレーゲの反ユダヤ的言説やヒトラーへ示した崇敬も批判の対象になっていたが、分析哲学や数理論理学の世界でフレーゲのそうした面が問題にされるのかはよく知らない。でもナチスへの公的な協力と、個人的な偏見を持ってそれを仲間内で披露することは、すこし性質が違うようにも思われる) この本の最終部でニュルンベルク裁判後の哲学者たちが次々に表舞台に帰っていくさまが描かれる。そしてまた追放されたユダヤ系の学者たちが結局帰っていく場所を持つことをできなかったことも描かれる。それは哲学がうまく有罪になることができなかったということでもある。ナチスの行動は哲学と哲学者に支えられていたが、哲学者はその責任を引き受けることができなかった。 責任というのはかなりフィクショナルなもので、本質的には見なしの問題だ。ある事柄の有責性について、どのような見なしを責任の関係者と共有できるかという物語の生成の問題だ。そこには複数の観点があり、時には観点同士の闘争がある。だから観点を言語操作のテクニックによって統御する哲学は、責任をずらし、逃れていくことについて、とても相性がいい面を持っている。 本の終盤に登場するアイヒマン裁判の話がある。アーレントのよく知られた「悪の凡庸さ」のストーリーが、アイヒマンの供述にある定言命法の我流の解釈を黙殺することで成立している、という話は興味深かった。職場風の書類システムが悪の実行を軽くさせ、凡庸な仕事人が大きな悪を動かすことに加担してしまうというアーレントの議論に対し、シェラットはアイヒマンがカントの定言命法に基づいて、つまりドイツ観念論伝統の道徳哲学に従って(悪の)行為をした、と供述している点を重視する。アイヒマンの供述をそのまま受け取るなら、そこに思想は不在だったのではなく、むしろ思想が行為を基礎づけたということになる。 シェラットは一貫して、たとえ誤読や無理筋の解釈であったとしても、悪の背景に〈哲学〉があり、〈哲学〉が悪を後押ししてしまったことを問題にしている。人は何も考えないのではなく、何かを考えている。あるいは、あとから自分の行為を、なんらかの考えに基づいたものだったのだと物語化する。その物語化のなかで、責任や責任の不在が、時には事後的に生成する。それは悪が知性の不在からやってくる、というような立場とはすこし違うものだ。シェラットはヒトラーやローゼンベルク、ボイムラーらの知的素養を明らかに劣ったものないし邪悪なものとして描写しているけれど、一方で、彼らの行動がある種の知的伝統の継承に基づいていることも描いている。 自分が容認できないものにも、時に自分が愛するものが紛れ込んでいる。愛するものに、時に容認できないものが紛れ込んでいるように。私はその紛れ込みにむしろ目をひかれてしまう。
  • 2025年6月13日
    ヒトラーと哲学者
    ヒトラーと哲学者
    大学で倫理学の講義を受けていたとき、雑談のなかである倫理学者のエピソードを聞いた。細部はうろ覚えなのだけど、たしかその倫理学者は、私生活においてけっこう倫理にもとる、のみならず法的にさえ問題がある振る舞いを繰り返し、人に、倫理学者であるあなたがなぜそのような行為をするのかと問われた。倫理学者は答えた。「いいですか、自分の示した方向に進む道路標識というものはありません」…… 単なる開き直りを多少のユーモアで粉飾したといえばそれだけなのだけど、好きな話だった。この倫理学者の名前は講義のなかでたしかに挙げられた。でも残念なことに覚えていない。本を読んでいたらいつかこのエピソードにまたどこかで出会えるかもしれない、という期待がすこしある。 ともかく、真実や善を研究するからといって、べつに哲学者が善人であるわけではない、というのは、哲学者の伝記を多少読めばわりとわかることだ。だいたいの哲学者には利己的だったり、子供じみていたり、狭量だったり、問題のある振る舞いをしていたりするエピソードがある。哲学者は真理や道徳や、存在や認識についてのテクニカルな概念操作には長けているにせよ、そうした知的能力と一個人としての振る舞いはあるていど別のものだ(もちろん、哲学者は一般的に悪人である、というわけでもない)。 「哲学者は普通、別世界の人間、天上の霊気(エーテル)のようなものに夢中になっている僧侶のような存在だと思われている」とイヴォンヌ・シェラットは書く。そして「抽象的な思考に我を忘れ、象牙の塔に暮らすように見え、あたりまえの、利己的関心など超越しているとみられている」と続ける。 それが偏見であることを私は知っている。でも、哲学者は、自分の哲学と自分の実存に、あるていどの整合性をつけようとすることも知っている(というよりも、自分の実存から染み出てくるようなものとしてしか〈自分の哲学〉はできない、というほうが近いかもしれない)。だから哲学者のナチス協力については興味があった。 ヒトラー自身の哲学への愛好を含む、ナチスに協力した哲学者たちを扱う第一部をひとまず読み終わって、これからナチスの敵となった哲学者たち(ベンヤミン、アドルノ、アーレント)を扱う第二部に入る。文体は思っていたよりもずいぶん小説的で、19世紀末から20世紀前半のドイツの情景描写に満ちている。でも学者流の対象への冷静な距離感があって、日記や手紙のような客観的な資料がある場合を除いて、人物の内面にはほとんど立ち入らないし、分析もしない。 だからハイデガーのナチス協力が彼の哲学の必然的な帰結だったとか、シュミットによるナチスの法哲学の整備にはこんな動機があっただろうとか、そういった話への踏み込みは、豊富な情景描写と裏腹にとても淡泊だ。ナチスと哲学の共犯関係の理由は、結局のところ大きくて重々しい謎が解かれるような形では明らかにならない。むしろそこにあるのはきわめて俗に解釈されたダーウィニズムの流行、類比によって拡張されてしまった進化論、フィヒテやカントの平凡なユダヤ人嫌悪、大学のポストをめぐる出世争いといった、人間存在の凡庸な矮小さだ。それはどこか肩透かしではあるし、一方である種の真実味がある。 本文のスタイルを「ドキュメンタリー・ドラマ」仕立てだとシェラットが言うように、登場する人物たちの経歴や振る舞いはドラマティックだ。そしてドキュメンタリーフィルムに写しきれないものがあるように、それなりの謎もまた残る。するとその謎を、読者はなんとなく補完しようとしてしまう。補完は想像による。でもその想像を補強するのは、読者自身の来歴や出会ってきた人との思い出だ。そしてドラマの登場人物は、本来知らないはずなのに、どこかで読者自身の過去と響き合う、奇妙に思い入れのあるものになってしまう。 人は悪にも共感してしまう。人には悪の思い出があるからだ。権力争いで上位に立つために人種差別に加担して同僚や師を追放したと聞けば、それはきわめて悪いことだと言えるし、醜いこと、すべきでないことだと言える。でも一方で、大学にポストを持ち、自分の研究に打ち込み、そのうえで暮らしを安定させることがどれだけ困難で、どれだけ憧れることかを聞いたことがあれば、自分の欲するポストにたどりつくまでの長い順番待ちの列を飛び越えられる魅惑について、その引力に共感しないことは難しいだろう(もちろん、悪に共感することと、実際に悪をなすのは別のことだとしても)。 その共感は空想にすぎない。でもあきらかにナチスの行為を告発し、哲学者たちの協力を咎めようとしているこの本で、その当の哲学者たちへの共感が生まれてしまう。ドキュメンタリー・ドラマというスタイルが、むしろ邪悪さを描くことをむずかしくしていることは、とても興味深い。 ヒトラーのにわか哲学趣味を、シェラットはわりと嘲弄的に描く。その誤読や、稚拙な哲学的能力や、引用の失敗を描く。でもその嘲弄は、自分のような、にわか哲学趣味を持っている人間にとってそれなりにこたえるものだ。私はヒトラーではない。だれもヒトラーになってはいけない。にもかかわらず、ヒトラーの愚かさが私のなかにもあるのだということを感じて、かなりのところ苦しく思う第一部だった。 軽く目を通した感じでは、第二部はかなり読みやすい。それは第二部が犠牲者、被害者の話だからだろう。被害者のドキュメンタリーは加害者のドキュメンタリーよりも読みやすい。でもその読みやすさには、すこし警戒しなくてはならないものがあるだろう。
  • 2025年5月28日
    生きることを学ぶ、終に
    生きることを学ぶ、終に
    『法律婚って変じゃない?』を読んで、そういえばデリダが結婚について書いていたところがあったな、と思って、読み返した。 インタビュアーの質問に答える形で、デリダは、ヨーロッパ的なものへの自身の複雑な帰属意識について語る。そしてアメリカでもなくアラブ=イスラーム的でもない、「もう一つの世界を求める」ための、(いまだない)ヨーロッパへの期待を、とても限定的で慎重な言い方で示す。そうしたヨーロッパにおいてこそ、ヨーロッパ的遺産がもっともよく思考されうる、とデリダは言う。そして「ここでよろしければ長い括弧を開かせてください」と書き、括弧にはさまれた長い注釈を入れる。ヨーロッパ的遺産として、デリダがこの死の直前のインタビューに挿入した、その括弧の中身が問題にするのは、婚姻の話だ。 2004年、当時のベーグル市市長ノエル・マメールは、市長としてフランス初の同性婚の挙式を行った(日本では書類上で婚姻が処理され、挙式は必須でないけれど、フランスでは居住する市役所での市長が認める挙式によって法律上の婚姻が成立する)が、この婚姻は政府によって違法とされ、停職処分を受けた。デリダはかつてこのマメールの行動を支持する署名をしている。デリダは当時の自身の署名による支持を、あくまで現行の法律的コンテクストにおいて、「よりよい法」を求めるもの、同性愛者の権利にとって法が不正であることに対抗したものであったとする。それは現行の法のなかでの不正や偽善をただそうとするものであって、デリダ自身の婚姻に対する意見は、同性婚の支持を超えて、もっとラディカルなものだ。デリダは続ける。 私が立法者なら、世俗的な民法典から、「婚姻」という言葉と概念を、ただ単に消滅させることを提案するでしょう。 (『生きることを学ぶ、終に』p.50) 『法律婚って変じゃない?』でとりわけ面白く読んだ、大島梨沙「民法から婚姻を削除するとどうなるか」と、アイデアとしてはきわめて近いもので、興味深い(「世俗的な」民法典、という言葉遣いには微妙な留保も感じるけれど)。大島の論考はデリダのこのコンセプトを、より現実的に実現すること(の困難)について切り込んでいったものともいえる。デリダは近現代の婚姻が持つキリスト教的な価値観の嵌入を批判し、その異性愛主義と単婚主義が制度を強く規定していることを批判し、婚姻を「性も数も強制されない」「柔軟で調整された」契約に基づく「市民的結合」に代えることを説く。 その批判は重要なものだ。でも、現に存在するこの社会に、そうした「契約」にもとづく「結合」をどう実装するかという点をかんがえると、言説としてはかなり素朴なものになってしまう。デリダもそうした現実からの遊離はおそらくわかっていて、旧来の婚姻を望む人へのフォローを添えながら、最後に「これはユートピアです」とそっとつけくわえる。 厳密な意味で「婚姻」——それに対する私の敬意は、とはいえ揺るぎないものですが——によって結ばれることを欲する人々については、その人々が選んだ宗教的権威の前でそうすることができるでしょう。[…]宗教的なものか世俗的なものか、どちらかの様式で結ばれる人々もあれば両方の様式で結ばれる人々もあり、また他の人々は、世俗的な法でも宗教的な法でも結ばれなくてよいという具合になるのです。婚姻についての括弧は以上で終わりです。これはユートピアですが、いつかそうなることを私は望みます。 (『生きることを学ぶ、終に』p.50-51) それにしても長い括弧だ。p.49の後半からp.51の前半まで、3ページにわたっている。まずインタビュー中に話したことではないだろう。確認のためのゲラに別紙で原稿を添付したり、あるいはメールで送ったりしたのだろう。デリダは手紙魔だったという。公的にも私的にも、彼には書いておくべきたくさんの言葉やその補足があったのだろう。でもここでの婚姻の議論は、全体の論旨からはけっこう浮いているし、語っている内容はラディカルだが、詰め方はわりとゆるい話でもある。そもそもその括弧の直前では、どちらかといえばイスラエルの問題や、世界秩序のバランスのなかでヨーロッパがどのような役割を果たしていくべきかといった、かなり国際政治的な問題について語っていた。 ふつうはこんなところでこんなふうに婚姻について、長々と注は入れないか、入れたとしても、この点に関してはこれこれこういった問題があるがここでは立ち入らない、といった注になるような気がする。でもこの、自分が気になったことをふと取り上げて滔々と補足してしまうところには、わりと人間らしさを感じて、親しみが持てたりもする。 校正者がどの段階で入ったかはわからないけれど、もし一度読んだゲラに、デリダからの直しで3ページにわたる長大な括弧が挿入されていたら、どんな気持ちになるだろうか。困る人もいるかもしれない。というか、実務的には困るだろう。でももし私なら、たぶん、これは困ったな、とぼやきながら、その長大な括弧に、むしろ面白さを感じて笑ってしまうような気もしている。もちろん、なるべく直しがないにこしたことはないのだけれど……。
  • 2025年5月27日
    法律婚って変じゃない?
    法律婚って変じゃない?
    大きくなったらだれだれくん/だれだれちゃんと結婚する、というのは、私が小さかったころまだ身近な言い方だった。今の子供たちも言うのかはわからない。 もちろん子供たちは〈結婚〉がなにを意味するのかよくわかっていなかった。それがどのようなものであり、どのように進み、どのように終わり、あるいは終わらないのかを知らなかった。 しかし大人になった今も、私たちが〈結婚〉とはなんであるのかをわかっているかというと、それなりに疑わしい。社会にはひとつの類型的な目的地としての〈結婚〉があって、私たちはしばしばそこへ類型的に吸い込まれていく。そして結婚が国家にとって何であり、社会にとって何であり、法的に何であり、哲学的に何であるのかを、筋道立てて考えなくても、結婚することはでき、婚姻状態を継続することもできる。 そうした結婚について、できる限り明晰な言葉で語ろうとするとき、その試みにもかかわらず、その明晰になりきらない部分や合理的に切り分けることのできない部分、すっきり処理できない部分がどうしても残る。法と哲学の話はそういうところが面白い。 近年の法律婚をめぐるイシューは、同性婚と選択的夫婦別姓に偏った関心が寄せられる。でも同性婚にせよ選択的夫婦別姓にせよ、それは既存の法律婚を「より望ましい法律婚」に変えていこうとする試みであって、法律婚という制度自体は温存しようとする。しかしこの本の論考は全体的に、そもそも法律婚の存立自体を疑問に付すものだ。 法律婚は変ではないのか。では変だとしたら、変であるにもかかわらず、なぜ社会は法律婚を維持するのか。なぜ法律婚はいまだ解体されていないのか。法律を問題にするだけに、議論はしばしば現実の法制度の運用や、法を実際に変更することの実務的な難しさといったところでしばしばつまずき、すっきりしない形になる。でもその、現実の法の対象であるカップルたちの問題の前で戸惑い、うまく処理できないところに、むしろ好感が持てた。 大島梨沙の論考「民法から婚姻を削除するとどうなるか」は、サイエンティフィックな思考実験としてとりわけ面白い。民法における婚姻に関する条文を削除してみることで、民法上の婚姻の諸規定が具体的にどのような社会的機能を果たしているのかを分析していき、そのプロセスで婚姻制度のさまざまな問題や改善点が見えてくる。婚姻を削除するとどうなるか、という手法はきわめてドラスティックだが、導かれる結論はかなり穏当なものだ。というより、現に存在する社会のなかの諸個人を考えるなら、穏当なものにならざるを得ないのだろう。 結婚にはさまざまな問題があり、結婚を選択しない人や結婚を忌避する人ももちろんいる。でも一方で、結婚を求め、結婚による保護を受ける人、その保護を必要とする人もまたたくさんいる。法制度に関する議論は、現に存在する結婚というものの扱いにくさの前で戸惑ってしまう。 論者はおそらくみんな法律婚というものに一定の距離を持とうとしているにもかかわらず、実際の制度の前で誠実に学術的見識を働かせようとすると、歯切れの良いことが言えなくなる、その言い切れなさ、あいまいさの手触りを、私は好ましく思う。そういう知性の姿が好きなのだろう。
  • 2025年5月14日
    やがて哀しき外国語
    プリンストン大学の名前をはじめて意識したのは村上春樹の赴任先としてだった。その村上はプリンストン大学訪問のきっかけを、F・スコット・フィッツジェラルドの母校だったからと書く。異郷の地名はそのように、しばしば、自分が思い入れを持っているだれだれゆかりの地だ、という形で記憶される。村上春樹がエッセイに書いていたな、というふうにプリンストンを記憶しているように。 きのう読み終わった『知られざるコンピューターの思想史』は、プリンストン大学創立200周年の会議、『The Problems of Mathematics(数学の諸問題)』に集まった数学者たちの写真からはじまる。そこにはフォン・ノイマン、ゲーデル、クワイン、タルスキをはじめ、現代史に重要人物として名を残す学者たちがならんでいて、当時のプリンストンにおける数理論理学の隆興を思わせる。でも『やがて哀しき外国語』のなかで、そうした数学者、論理学者たちの名前が語られることはない。もちろん人には興味関心や好む分野の違いというものがあるからで、その「不記載」はべつに大きな問題ではない。ただ、プリンストンの歴史をすこし知ってから改めてこの村上のプリンストン記を読み返すと、意外と以前は気づかなかったところで立ち止まる。 「ラトガーズという州立大学(ここはもっと庶民的な大学である)の学生と話していたら」という感じで、さらりと村上に記される、プリンストンの近くの大学がある。一見まるで印象に残らない(私も忘れていた)。でもそんなラトガーズ(ラトガース)大学は、『知られざるコンピューターの思想史』の掉尾をかざる、分析哲学のはじまりにはずみをつけた、デイヴィドソン会議の舞台だ。 『知られざるコンピューターの思想史』によると、ラトガーズ大学の哲学科は、ハーヴァードやプリンストンをおさえて全米2位に位置づけられることもあるという。そのランクインは哲学科に限った話で、ラトガーズにおいてはただ哲学科だけが、デイヴィドソン会議をきっかけに、学科としてぬきんでたのだという。 村上がプリンストンに赴任したのは1990年だから、1984年のデイヴィドソン会議から6年後だ。そのインパクトは村上にいまひとつ届いていないようにみえる。ラトガーズ大学はプリンストン大学より「もっと庶民的な大学」だ。そういうふうにして見過ごされる地名、だれかの思い入れと結びついた、けれど筆者にはとくに関係のない地名が、たぶん旅行記にはたくさんある。そして旅行者もそういうふうにしてたくさんの地名を通り過ぎている。 もうひとつ、1990年代当時のプリンストン大学のインテリたちのスノッブな感じについて、村上がすこし冗談めかして、コレクトなビールとコレクトでないビール、という形で語る一幕がある。ここでいうコレクトは、もちろんビール生産における倫理性といったような問題ではなくて、インテリとして飲んでいて恥ずかしくないビール、というくらいのニュアンスだ。 僕が見たところでは、プリンストン大学の関係者はだいたいにおいて輸入ビールを好んで飲むようである。ハイネケンか、ギネスか、ベックか、そのあたりを飲んでおけば「正しきこと」とみなされる。アメリカン・ビールでもボストンの「サミュエル・アダムズ」やらサンフランシスコの「アンカー・スティーム」あたりだと、あまり一般的なブランドではないから許される。 (『やがて哀しき外国語』文庫版p.42) はじめて読んだときは、そういうものなんだ、まあ感覚としてはわからなくはない、大手の、誰もが知っているビールより、マイナーな地ビールを飲んでいるほうが、「わかってる」感じが出るという話かな、と思った。でもニュージャージーやアメリカの歴史を知ってくると、すこし受け取り方がちがってくる。 ニュージャージー州は、隣のニューヨーク州がかつてオランダ領だったことで、オランダ移民が多かった。プリンストンという地名も、オランダ王家がオラニエ公だったため、公(prince)のタウン、として呼ばれていたためだという。プリンストン大学はそんなニュージャージー州に生まれた大学で、1920年代以降の発展のなかで、ドイツやオーストリアから優れた数学者を招聘した。ハイネケンはオランダのビールだ。ベックはドイツビール。ギネスはアイルランドビールだが、これはアイルランド系移民がアメリカの北東部に多く住んだことに由来するのかもしれない。『知られざるコンピューターの思想史』でアイルランドについて語られることはなかったので、これは想像になるけれど、まず歴史的事実として、19世紀にアメリカへ流入していくアイルランド系移民は基本的にカトリックだ。そうしてプロテスタント国家のアメリカでかれらを受け入れたのは、宗教的に寛容なオランダの風土を残す北東部だったのかもしれない。そういうニュージャージー州の歴史を考えると、プリンストン大学のインテリたちの、ヨーロッパとの結びつきは、単に気取りのようなものとしてとらえるよりも、もうすこし地縁的なものを想像させる。かれらに教える先生たちの故郷や、親たちの祖国や、友達の家族のルーツや、そうした郷愁と共感から生まれる愛着のようなものを連想する。 固有名詞の知識が変わっていくと、その固有名詞の位置づけが変わってくる。位置づけが変わってくると、むかし接した固有名詞の見え方が変わってくる。それはとても楽しいものだ。 でも一方で、ある文化のつくりについて、きれいな原因と結果を想像して、その起源を再構築しようとする態度は、けっこう危険なものだということも忘れてはいけない。歴史的な整理というのはものごとを関係の総体に還元してしまう。そのようにしてきれいに整理された関係というのは、かならずたくさんの余剰物を見落としてしまうだろう。プリンストン大学のインテリたちのビールの趣味だって、ほんとうに、村上が報告しているように、マイナー趣味を尊ぶ文化だったり、あるいはアメリカナイゼーションを内省する左翼っぽい行動原理かもしれない。そこには複数の物語を想像できる。 大切なのはたぶん、そのように想像できる物語の数を増やしていくことであり、その複数性をたわむれながら、単一性にからめとられないようにすることだ。
  • 2025年5月13日
    知られざるコンピューターの思想史
    思想は人によって育まれ、共同体によって制限される。共同体にはそれぞれの継承してきた歴史があり、大切にするものがあり、敵視するものがあり、重んじるものがあり、軽んじるものがある。そして共同体はしばしば、近隣の共同体の干渉や変動によって、おびやかされ、ときに変容を余儀なくされる。思想史は、そのような共同体と人の関係を記し、共同体の変容に伴う人の隆興没落や、流出や流入を記すことになる。 分析哲学とコンピューターの歴史を、数理論理学の発展とそのヨーロッパからアメリカへの流入という同じ根を持つものとしてとらえていくこの本は、数理論理学がなぜヨーロッパの一地域で発展したのか、その担い手はなぜヨーロッパからアメリカの一地域へ移っていったのかを、ヨーロッパとアメリカ、それぞれの一地域における地理的・歴史的条件から読み解き、理由づけていく。そこに見えてくるのは思想を条件づける宗教と民族、そして戦争の歴史だ。 オーストリア、ハンガリー、チェコ、ポーランド、ドイツといった中欧・東欧の、近代における歴史的な事件で(ポーランド分割やナポレオン戦争、普墺戦争や世界大戦、そしてナチスドイツ)、影響を受けていくそれぞれの国の大学制度や、それらの国に暮らす個々の学者たちが自分の民族と属する国家との軋轢やコミットメントのなかで、どのように国ごとの思想潮流がつくられていったのかの記述はとても面白い。特に宗教的寛容の問題として、プロテスタントの哲学者であるカントがカトリック国のオーストリアで受け入れられにくかったという点はおもしろかった。それによってオーストリアでは(カトリックと思想的にも結びつきが強い)アリストテレスの論理学に基づいた哲学が流行し、カントの数学観を批判する点から数理論理学が受け入れられ発展していくことになったのだそうだ(もちろん、あくまでこの本の歴史観に従うなら)。 いわゆる大陸の哲学(ポストモダン系)と英米系の哲学(分析哲学系)の対立は知っているつもりだったけれど、その対立の根はけっこう歴史的な宗教観の違いに根ざすところもあるのかもしれない。分析哲学はアメリカが本場だが、それを準備したものはアメリカに移住したオーストリア系の数学者や哲学者であり、そのオーストリア系の思想の根には、プロテスタントのカントと対立する形での、カトリック的アリストテレス思想があったということになるのだから。 宗教的対立といえば、ユダヤ人もこの本にたくさん出てくる。ユダヤ人の学者たちは、カトリック国でその宗教的理由から出世が望めなかったという(改宗する人もいる)。また、彼らが新天地を求めたアメリカでも、しばしば差別にさらされた。オーストリア帝国が揺らいでいくなかで国民国家の独立の機運が高まり、その機運において、国家をもたないユダヤ人がむしろ属する場所を失っていくというプロセスもずいぶん考えさせられた。「大きな国家」がひとつあって大きな地域を支配しているということは、一見とても暴力的なことのように見える。でも実のところその大きな国家の内部では、「同じ国家に属する多民族性」というものが前提されていたりすることがある。もちろん国家内で民族同士の対立や、少数民族への差別はあるだろう。しかし「同じ大きな国家」という枠組みは、対立や差別をある程度のレベルへ押しとどめている面もあるのかもしれない。「同じ大きな国家」がこわれて、無数の小さな集団にわかれていくとき、しばしば集団同士の対立は激しくなっていく。 人にはそこにいやすい場所といづらい場所がある。過ごしやすい場所と過ごしにくい場所がある。その人の出自や興味、趣味嗜好、信条、信仰、言語や民族といったアイデンティティをつくる諸要素が、属する集団や土地の気風や歴史的文脈、政治制度とすれ違ってしまったり、相容れなかったりするとき、人はしばしばそこから出ていくことになる。あるときは自発的に、あるいはやむをえず、ことによると強制されて。そして出ていった先で、人は新しい場所を見つけだすことがあり、その新しい場所で、新しい思想を育むことがある。 でもそれには場所が必要だ。多くの人が集まる場所、別のところでは生きていくことができなかった人たちが、そこでなら自分のアイデンティティを維持できるという場所。 コンピューターを生み出し、分析哲学が大きくなっていったアメリカで、そうした場所をつくったのは大学だった。ヨーロッパにいつづけることが難しくなった人々や、より豊かな研究環境を求める人々が、大学に居場所を見つけ、仲間や友人と出会い、研究を進めていった。 この本にはふたりのゲイが出てくる。数学者・論理学者のJ. C. C. マッキンゼーと、チューリング・マシンで知られるアラン・チューリングだ。ふたりはコンピューターの発展にとって欠かせない人物で、ともに同性愛者で、どちらもそれを問題視されやがて自殺した、と記される。 それぞれに苦労しながら、自分たちの思想のための場所を見つけ、築いていった学者たちのなかで、そのふたりの行き着いた自殺という地点は、ずいぶん苦しいものとして、読んだあとにも影を落としている。
  • 2025年4月30日
    スマホは辞書になりうるか
    スマホは辞書になりうるか
    問題設定としては、スマホは辞書になりうるかというより、デジタルデバイスが現に辞書になっている状況下で、どのように学習をサポートできるか、という話に近い。だから議論は「学んでいる途中の外国語を検索する困難」にフォーカスする。スマホが辞書になるか、ならないかという議論ではなくて、もう検索行動自体が人間に不可欠なものになっており、この変化は不可逆的なので、その検索をどうすればより豊かなものにできるのかということに注目して進められる現実的な立場にはとても好感を覚えた。 ドイツ語話者が日本語学習のプロセスで英語を経由して検索することがある、という話の中で、日本語とドイツ語のあいだの辞書は精度が低すぎるので、という話が出てきた。ドイツ語の話はわからないけれど、フランス語と日本語のあいだの翻訳は、機械翻訳の場合、かなりあやしいところがある。一方で英仏や仏英はそれなりにきちんとした訳が出るので、英語が他言語と日本語のあいだを架橋する言葉になるというのは実感としてよくわかる。 仕事でも日常でも外国語を検索しなくてはならないことはしばしばある。よく知らない言語を検索するとき、既知の要素をつかって、検索ワードをすこしずつ集めていくことになる。英語で検索したり、英語版があるサイトを該当の言語の表示モードにしてそれらしい単語や言い回しを見つけてコピーしたりする。それらの検索はもちろんうまくいったりいかなかったりする。でも難しいのは、未知の言語や不慣れな言語は、その意味を把握しようとしたとき、たどりついた答えがどれくらい間違っているのか把握するすべがないことだ。人には自分で調べて見つけ出したことを正しいと思ってしまう(苦労を評価してしまう)バイアスがある。だから生成AIのハルシネーションのような形でなくても、人間も普通に過誤にたどりついてしまう。その誤り方は、ひとりで言葉にたどりつく検索の時代だから生まれるものでもあるだろう。 検索がどんな成功と失敗の体験を導くかという話は、新しいテクノロジーが新しい事故を生み出すというヴィリリオの議論を思い出す。そして私たちは常に新しいテクノロジーにからめとられ、新しいテクノロジーとともに生きてしまう。そのとき言葉には新しい間違い方が生まれていく。 「せいみあつみあいた過ぎる」が検索できない問題や、「甲乙」を調べたかったのに「かるめる」の読みが先に出てきてしまう問題、「taoreru」を検索しようとしたときベトナム語キーボードでは「taor」が声調記号の入力に解釈されて「tảo」になってしまう問題は、あたらしいデバイスならではのもので、とても面白かった。
  • 2025年4月23日
    文字移植
    文字移植
    4月23日は聖ゲオルギウスがドラゴンを退治した日で、サン・ジョルディの日とも、ドラゴンの日とも言われる。聖ゲオルクといえば『文字移植』だなと思って、すこし開いた。 カナリア諸島で、聖ゲオルクのドラゴン殺しに関する何かのテキストを翻訳しているという翻訳家の話で、彼女はゲオルクという、恋人のような支配的な人物から離れて、仕事をしている。でもゲオルクは彼女を追って遠からず島に来てしまう。ゲオルクは彼女の翻訳の仕事を嫌っている。だから、翻訳家は、ゲオルクが来る前に翻訳を終えてしまいたいのに、仕事は思うように進まない。実在するゲオルクとドラゴンを殺す聖ゲオルクが、翻訳する文章と現実が混じり合いながら小説は進む。 自分の名前に龍と入っているせいで、子供のころからドラゴンに気持ちをひかれて、ドラゴンのほうに感情移入してきた。ドラゴンが殺される話は、自分が殺される話だった。『文字移植』のなかで(聖)ゲオルクは支配的で魅力的な他者として現れる。ゲオルクは翻訳家の仕事を否定的に評価し、聖ゲオルクは剣で〈何か〉をいたぶっている。翻訳家はゲオルクに立ち向かうことはできず、ゲオルクから逃れようとするが、ゲオルクはどこまでも追いついてくる。それは聖ゲオルギウスに敗北するドラゴンを思わせる。 小説に実際にドラゴンが出てくることはない。でもそういう形でドラゴンのようなものに自分をかさねることがある。 その〈何か〉は赤茶けた色をして猫のように小さかった。汚水をはね上がらせながらそれは抵抗しているのか逃げようとしているのか敷物の切れ端のように形も定まらずあるいは生き物ではないのかもしれなかった。聖ゲオルクは退屈そうにいい加減に剣を動かしていたかと思うと急に歯を剥き出して夢中でつついたりした。 (『文字移植』p.136) 多和田葉子のこの短い小説が好きで、ときどき読み返している。翻訳家の小説であり、翻訳をうまくできないことの小説でもある。実際にあるひとつのテキストに沿った翻訳が、物語と並走しながら、しかし、その翻訳は意味をなさない。その意味をなさない翻訳に、一人称視点の翻訳家は、とても真剣に向き合っている。そして真剣に向き合っているにもかかわらず、翻訳は失敗してしまう。その翻訳は単語の意味がとれているのに、文法の統御を失っている。「において、約、九割、犠牲者の、ほとんど、いつも、地面に、横たわる者、としての、必死で持ち上げる、」……ほとんど意味をなさない翻訳に、しかし、翻訳家は単語単位で訳語の検討をしたりする。もう翻訳かどうかもわからない、そのような原稿に向き合う試みが、翻訳家にとって誠実さや真剣さを求められることだからだ。 わたしなどはひとつの単語を読んだだけでもう息が苦しくなってきて苦しいと思いながらいろいろ考えていると次の単語にはなかなかたどり着けなかった。それでも少なくともわたしはひとつひとつの単語の馴染みにくい手触りには忠実なのだと思うとそのことの方が今は大切かもしれないという気はしてきた。 (『文字移植』p.29-30) 自分のものではない言葉、自分のものではない文字に向き合い、文字の馴染みにくい手触りに向き合うこの感覚は、校正にも親しい。校正はどこかでゲラに没入するが、どこかでゲラから離れる自分を持ってもいる。 ゲラに対して他者であると、ゲラに書いてあることがわからない。ゲラと同化しすぎると、ゲラに書いてあることのわからなさがわからない。言葉が通じる世界と通じない世界を行き来するのが校正の仕事だと私は思っていて、そのオペレーションのさなかで、見知っているはずの言葉はときどきとても遠ざかる。 エイさんは読者の身になって何度も読み返すようにと忠告してくれたけれどわたしは読者の身になどなれそうにない。わたしは他人の身になんかなれない。もちろんだからと言ってわたしは自分の中に閉じこもって何も受け止めていないわけではなくて少なくとも作者から何かを受け止めているという実感があった。それに受け止めたものを投げ返していないわけでもなかった。ただどこへ向かって何を投げているのかがよく分からないだけだった。 (『文字移植』p.76) 電気をつけるわけにもいかず声も出せずおまけに自分のしていることがよく分からなくなりながらわたしは作業を続けていた。言葉はどれも穴になっていった。でもわたしは無感覚になっているわけではなかった。無気力になってしまったわけでもなかった。それどころかわたしは穴を見つける度にわざわざ手を差し入れてみるほど好奇心に満ちていた。 (『文字移植』p.91-92) アラビア文学の文人アル=ジャーヒズは『動物の書』のなかで、人間の能力の特徴を、「より少なく為す」ことができること、つまり、歌を歌うとき、簡単にも、下手にも歌えること、人間の行動の本質は、そのような「減少の可能性」にあると書いたそうだ。つまり人間は、読むことに成功することもできれば、失敗することもできる。成し遂げることができるとき、より少なく成し遂げることができる。ある行為を失敗で包み、失敗によって試みることができる。そしてその失敗は、ことによると、成功よりも大きなものに触れようとしていることがある。『文字移植』の、読者やゲオルクによって嫌われる「下手な翻訳」の試み、遠ざけられようとする「より少ない成功」の試みには、追い立てられ、遠ざけられ、殺されようとしながら、しかし実はそうした成功裏の世界にはとうに消えてしまったドラゴンの影が、わずかに見え隠れしている。
  • 2025年4月21日
    星に仄めかされて
    たくさんの一人称で書かれた群像劇はしばしば、語り手を交代させることで、得体の知れない他者の行為の動機や必然性を明るみに出す。あるいは前の場面ではその必然性がわかっていたなんらかの行為を、他者の目を通じて不気味なものとして描き直す。そして謎を解き明かすにせよ、自明さを不思議さに差し戻すにせよ、そこには、視点さえ変われば謎が解かれうるという前提がある。他者というのは個別の、しかしよく似た自意識を持っていて、われわれ読者は服を着替えるようにそれぞれの視点を行き交い、それぞれの意識に乗り移ることができ、そこにおいて、他者という謎はコミュニケーションの失敗によって起こっているという前提がある。 前巻まではこの小説もそういうふうに進んでいた。謎は次の語り手によって無化され、誤解はほぐされ、行為を動機づける一貫した個人史が補強されていった。でも『星に仄めかされて』では、解決されない謎が次々に出てくる。固有名を持った、Hirukoたちの旅を助けるたくさんの人々が出てきて、それぞれにおそらくなにか事情や作為を持っている。中には物語全体の背景にある大きな存在との接点をにおわせるものもある。しかし彼ら彼女らに語り手のバトンが渡されることはない。謎は取り残される。 のみならず、最終的には語り手が説明をやめてしまう。自分は何者で、どういう経緯で何をしているのかという自己紹介を欠かさなかった『地球にちりばめられて』の行儀の良さはもうない。動機の説明なしに、目の前の状況に反応し、応戦し、場を支配しようとして、話の流れを支配しきれず、単に失敗する。その失敗は複数の他者によるコミュニケーションがきわめて流動的だったことによる。言葉も他者も謎のままにとどまり、コントロール不能になり、次の大きな謎とともに物語は終わる、というか、次巻に続いていく。そこでは登場人物が読者に対して説明する、一人称小説という視点におけるコミュニケーションが挫折している。 にもかかわらず、Susanooもムンンも魅力的だ。彼らはこの小説の語り手の語り方に対して、あまりにも少なく語る(それはほかの語り手に比べてあまりに多くを語っていた『地球にちりばめられて』のSusanooと対照的だ)。ふたりとも読者が必要としている言葉を手渡さない。しかし、本来だれかがだれかに手渡す言葉は、受け取り手の欲望によってではなく、送り手の欲望によって定まるはずだ。きわめて少なく語るSusanooが、謎を無化するなにか決定的な発話をなすことを期待して、欲望して、聞き取ろうとして小説を読んでいた私は、実は私自身が小説という装置への期待から、Susanooの欲望を無化していたことに気づかされる。というよりも、語り手の語ろうとする内容と聞き手の聞こうとする内容が奇妙に一致する、小説特有の共犯者的な場所に、無批判に立っていたことに気づかされる。それはとても居心地の悪い場所だ。でも他者というのは往々にして居心地の悪いものだ。その不明さや秘密さ抜きに、他者とコミュニケーションをとることはできない。 HirukoとSusanooが対話をすることで果たされるはずだった物語は、なぜか終わらず、旅に出ることになる。それは表向きは、旅の次の目的地ができたということになる。でも実のところ、重要なのは旅ではないのかもしれない。旅というよりも、旅によって対話が続くということが重要なのかもしれない。対話というのはもちろん、だれかと対話をすることによって完結するものではない。話は次の話を導き、コミュニケーションの挫折はコミュニケーションの成立を夢見て、話すことがなくなったはずの場所に話すことが生まれる。そしてそこには複数の人間を横断するいくつかの言語がある。話すことを目指した旅が、旅しながら話すことに変わる。であるなら、小説はもう他者という謎が解かれることを求めない。他者と他者とのあいだにある通交が、その謎が、居心地の悪さが、そもそも小説になるからだ。他者は仄めかしにとどまる。そして仄めかしを共有するために、複数の人生が、仮にひとつの目的をともにする。そのときもう、目的もドラマツルギーもさして重要ではないのだろう。複数性が交差するための仮の通路として、彼らには物語があることになる。
  • 2025年4月18日
    救われた舌
    救われた舌
    エリアス・カネッティはブルガリアのユダヤ系の家に生まれ、母語をラディーノ語(古いスペイン語方言)とした。彼の両親はいつもドイツ語で会話をしていて、その両親が話す秘密の言葉を、少年の彼は覚えようとした。やがて彼はスイスで母親の指導のもとドイツ語を(きわめて苦労しながら)学んだ。そして彼が子供のころ(6歳までのあいだ)、ラディーノ語もドイツ語も解さない家のメイドたちと話すのに使っていた言葉はブルガリア語だった。けれど青年期にドイツ語を習得し、ドイツ語で作品を発表するようになっていった彼は、やがてブルガリア語をすっかり忘れてしまい、そのメイドたちとブルガリア語で交わしたはずの会話の思い出もまた、ドイツ語となって記憶されている……そういうカネッティの前半生ついてのおおまかな話を読んで、自伝三部作の第一作が気になっている。いま手に入れるなら古書になるだろう。 七か国語、八か国語が話される当時のブルガリアの言語の混乱、母からの厳しいドイツ語の指導のなかで、カネッティの言語がどのようにして「救われた舌(救われた言葉?)」となろうとするのか。そして救われた舌があるとするなら、その以前の、〈救われていない舌〉とはどのような場所は追い込まれてしまった舌なのか、それが気になっている。 海外に行ったり、大学でフランス人の先生と話したりして、たどたどしく英語やフランス語を話した記憶はある。そのとき話した内容は覚えている。しかしそこで「私がどんな英語やフランス語を話したか」を思い出そうとすると、それは日本語での記憶にすり替わってしまう。母語の記憶は不思議な体験だ。記憶は言語によって構成されている。そして自分のなかでいま生きている言語、もっともみずみずしい言語によって、記憶が思い出されるそのたびごとに、おそらく過去が再構成されている。
  • 2025年4月17日
    NI44 聖書 新共同訳 小型(A6判) ビニールクロス装
    『地球にちりばめられて』という多和田葉子の小説の題は、バベルの塔から引かれているのだろう。でもよく知られたエピソードであるにもかかわらず、創世記のバベルについての話はとても短い。 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。 ‭‭(創世記‬ ‭11‬:‭4‬ 新共同訳‬) 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。 ‭‭(創世記‬ ‭11‬:‭8‬-‭9‬ 新共同訳‬) 「ちりばめる」という言葉に、校正者はどうしても反応してしまう。漢字では「鏤める」と書くのが〈一般的〉であり、しかしそれは難読なので「ちりばめる」とする、というのが、多くの現場にあるルールだろう。そしてそのルールがある現場では、「散りばめる」は「一般的ではない用法」として、ひらがなにしていくことが多いだろう。けれど「ちりばめる」という言葉を、その語感の類似から、私たちはどうしても「ぱらぱらと散っている」というような、「散り」のイメージでとらえてしまうところがある。どれだけ「ちりばめる」をひらがなにしても、現代の日本語について回るそのイメージは拭いがたい。 「鏤める」は金銀や宝石をはめこむニュアンスのある言葉だ。この難読な漢字のほうが、実のところまだしもその工芸的なイメージをとどめているかもしれない。それは装飾であり、美的なものであり、ばらばらでありながら、ある図像的意図のもとに配置され、少なからず固定されている。 「ちりばめる」をそのような辞書的な語法で捉えなおしたとき、バベルによる混乱、バベルによる離散は、「ちりばめる」というニュアンスからはずれてしまう。「鏤める」には、どこか秩序、コスモスの印象がある。けれどバベルの離散はもっとカオスなもののように見える。そして人は言葉がばらばらになり、民族がばらばらになったあとも、ばらばらの言葉を横断して、溶け合い混ざり合うことをやめなかった。 でも人の目には混乱と見えるものが、主の目にはそうでないことということもありうる。人々の離散は実は混乱(バラル)ではなく、ある神の想定した秩序のもとに配置されていると考えることもできる。すると、ばらばらに見える離散は実は混乱の名を借りた秩序であり、放し飼いに見える馴致であることになる。そのとき、人はまさに、全土に散らされたのではなく、主のある設計意図のもとに鏤められたことになるだろう。 「全地に散らされることのないようにしよう」と語り、「塔のある町」を築こうとしたシンアルの地の人々は、「東の方から移動してきた」という。彼らは移民だった。そして彼らの動機は、「散らされることのないように」したいということだった。それは移民の動機としてはとても自然なことのように思える。 前段の「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」というところがよく目立ち、また知られていて、その〈有名になろう〉という思い上がりのためにシンアルの地の試みは咎められたと、人は思いがちだ。それはいわゆるヒュブリスの諌めで、ふつうのストーリーラインとしてはそのほうが理解しやすい。でも創世記のとても短い話を読み直すと、主は、シンアルの地の人々が試みたことそれ自体の咎を裁くというよりも、このままでは彼らがなにか大きなことを試みてしまったときに止められないから、という、わりと予防・防災的な観点から〈混乱〉をもたらしているように見える。 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。 「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」 ‭‭(創世記‬ ‭11‬:‭5‬-‭7‬ 新共同訳‬) 東の地から来た人々、という言い方に、アジア人である私は共感し、同情してしまう。なんらかの理由で故郷を去ることになり、西の土地にたどりついた彼らが、インフラの整備や都市設計によって「全地に散らされることのないようにしよう」とした試みは、それ自体切実なものだ。しかし彼らは彼らの避けようとした離散を受難することになる。必要なものだったはずの予防や防災が未来の被災を呼び寄せてしまうように。 でも一方で、予防や防災が実のところ被災の予知であるなら、主による予防・防災的な混乱もまた、未来の避けがたい被災、神の被災を予知し、予告していることになる。人は鏤められた配置から逸脱し、はめこまれた場所を脱出し、石留めをこじ開け、もはやひとつではない散り散りの言葉で、大きな企てを始めてしまうのかもしれない。そのとき鏤められた図像は散らかされた図像に変わり、バラルの名を借りた秩序は転換され、別の仕方のバラルが訪れることになる。そしてその企ては、なにか大それた陰謀や理想というよりも、もう一度母国語で話したいだとか、複数の言葉を覚えることができなかったので人工語をつくったとか、そうした、素朴で切実な欲望や倒錯によるのかもしれない。
  • 2025年4月17日
    エコラリアス
    エコラリアス
    本当は、ウビフ語はテヴフィク・エセンチが死去するずっと前にすでに死んでいたのだ。ある言語の最後の話者が一人しかいない時、言語を伝達の道具と考えるならば、その言語はすでに死んでいる。 (『エコラリアス 言語の忘却について』p.75/デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語』の引用) 『地球にちりばめられて』を読み返して、そういえば言語の消滅についての話が『エコラリアス』にあったな、と思って、ちょっと開いた。思い出した一節は「行き止まり」の章で語られていた。人は往々にして〈言語の死〉というアイデアにロマンティックなものを感じるもので、そうした記録はたくさんあるそうだ。コーンウォール語は1777年12月26日に消滅した。ロマンス語方言のヴェリア方言は1898年6月10日に。ウビフ語は1992年10月8日に。言語の死の記録者にとって、それは〈最後の話者〉が死んだ日付を指している。ダニエル・ヘラー=ローゼンはこうした言語の死亡診断書をある種おもしろおかしく紹介しつつも、言語の死というコンセプト自体への疑いのまなざしを崩さない。冒頭に引いたデイヴィッド・クリスタルの議論に続けて、ヘラー=ローゼンはヴァンドリエスを引用する。 それにしても、コーンウォール語は彼女の死の瞬間に本当に死んだことになるのだろうか。老いたドリーはこの言葉を話すただ一人の人間だった。しかし、言葉を話すには少なくとも二人の人間が必要だ。コーンウォール語は、彼女に返答できる最後の人間がいなくなった日に消え去ったのだ。 (『エコラリアス 言語の忘却について』p.76/Joseph Vendryes「La Mort des langues」の引用) 『地球にちりばめられて』のなかで、自分と同じ母語の話者をさがしてヨーロッパを旅することになるHirukoは、対話を求めている。動画やひとりごとや日記や文字のコミュニケーションではなく(Hirukoは絵を描くが、文字を書く描写はほとんどない)、自分の言葉への応答を求めている。旅の先で出会った同じ母語の男に、Hirukoは語りかける。男はあきらかにHirukoの話す言葉を理解しているが、自分から話すことはない。Hirukoはなんとか応答を引き出そうと必死になる。でも、男はHirukoの言葉に、さまざまな仕方で反応しているのだ。そこには非言語的であれ、コミュニケーションがある。にもかかわらずHirukoは「自分の話す言葉が理解されている」ということのみでは、彼女の求める対話の成立要件として認めない。Hirukoはあくまで言葉による、音声言語による応答を求めている。地球のどこかにいるはずの「彼女に返答できる人間」を求めている。 ひとつの言葉にひとつの言葉で応えるというのは不思議なことだ。「あなたは中国人ですか?」という言葉に、「いいえ、私は日本人です」と応える。そこで私と彼は単語を共有し、構文を共有し、指示対象を共有し、共有した指示対象について語っているという前提を共有している(ネイティブスピーカー……というかフルエントスピーカーは、その共有の密度がきわめて濃く、かつ、一定している)。その不思議な共有の空間のなかで、私たちは言葉を手がかりに、なにか言葉より大きなものを共有する。 言語の死というコンセプトが疑問含みのものであるとしても、少なくともそのとき、言葉は死んでいない。言葉はそこにおいて生きている(でも、そこで生きているもの、そこで生かされているものは、言葉によって生かされているものであって、実は言葉とはすこし違うものなのかもしれない)。 それには二人以上の話者が必要になる。言葉は人間が消滅したあとも残存するだろうけれど、言葉によって生きているあの奇妙な空間は、二人以上の言葉の話者を必要とする。それは生命の問題だからだ。ヘラー=ローゼンは、言語に対して「生きる」「死ぬ」という生物学的な比喩を使うことを警戒していた。言語は生物学の対象ではなく、その比喩は言語のありかたを見誤らせるからだ。しかし、私たちが言葉を扱うときに生成されるコミュニケーションの空間が有するある性質が、言語の問題を死や生命の問題に横すべりさせてしまう。それは言葉それ自体ではなく、言葉のいる場所が、死や生命のいる場所と近接し、類似しているからだ。私はその横すべりを引き起こす類似に興味がある。
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