
ワタナベサトシ
@mizio_s
2025年5月29日

一九八四年新訳版
ジョージ・オーウェル,
高橋和久
気になる
買った
読み終わった
なぜまだ読んでない? 恥ずかしい話だが、どうやらブラッドベリ『華氏451度』と混同していたみたい。すぐに購入して一気に読み終えた。
本の厚みのわりにすらすら読める。ぐいぐい引きこまれる。新訳が素晴らしいのだと思う。
言葉を減らす施策「ニュースピーク」が古典ディストピアSFモノとして画期的な発明であることがよく分かった。内容を知らずにカタカナの字面だけで想像していたのは「News peak」で、情報の統制を行う政府が大本営発表的な偽ニュースばかりを報じて大衆を洗脳するのかと思っていたので、まったく間違っていた。「New speak」だったのね。
語彙を失うことが思想の制限に直結し、政府や体制を批判する意思や意欲をも奪っていくという構造は、途轍もなく恐ろしい。何かが間違っている・何かに不満を感じている、と思おうとしても、そのことを考えたり意識するための言葉が奪われているのだから、論理的に考えることが不可能なのはもちろん、行きつくところは意思も感情もない、人間であるとはいえないほどの存在に堕ちてしまう、そんな恐ろしい状態なわけだ。
現実に立ち返ってみると、SNSなどで交わされる短文のやりとりはしばしばコミュニケーション不全を引き起こし、炎上などの不毛な諍いを生んでいる。言葉が足りないせいなのか、文章が読めないからなのか、それぞれ要因はあるだろうが、仮にニュースピークの世界が訪れたとして、我々は炎上を引き起こせるほどに言葉を交わせるだろうか。一切の意欲を失った木偶のような存在になるのではないか。
一方で、現実のちょうど今、好きを言語化する技術を指南する実用書がベストセラーになっている。語彙を増やしたい・言葉を重ねたい・相手に伝えるためにいろいろな表現を駆使したい、という欲がまだあるうちは、オールドスピークにしがみついてどんどん新しい表現が発明・発見・発掘されていくことだろう。『1984』が売れて『好きを言語化する技術』も売れる、この今の現実がディストピア化する直前に踏みとどまっている、一筋の光のようにも思える。
