
ハム
@unia
2025年6月2日

疲労社会
ビョンチョル・ハン,
横山陸
読み終わった
現代のネオリベが体現する「能力社会」が「疲労社会」であるとし、否定性の欠如から肯定の過剰という流れのなか絶えず成果が求められることに対して、潜勢力という無為を選び取る力を重要とする論旨をアガンベンのホモ・サケルやハンナ・アーレントの活動的な生などを挙げて考察している。
面白いのは、疲労をネガティブに捉えるのではなく、治癒としての疲労、人々を和解させる疲労という「疲労社会」への解決にも疲労という概念を示していること。
「何もしていないときにこそ最も活動的」なのだとすれば、真に人間的な行為とは、非行為のなかに芽生える静かな潜在力にあるのかもと思った。
そうなると、現代において必要なのは、「行動しないことを選び取る存在」で、それは逃避ではなく、むしろ活動の暴力を見抜いた上での高次の倫理的選択とも言えるのではないかと思う。
ひとつ引っ掛かったのは、
〈世界の肯定化という流れのなかで、人間も社会も、能力を発揮して成果を生み出し続けるだけの自閉的な機械へと変貌していく。〉
という言説の例として自閉症のサヴァン症候群を挙げていたこと。
現代の病理としての社会を論じる文脈であり悪意はないのはわかるのだけど、学者の発言としてはデリカシーに欠けるし、翻訳者も言っていたがそうした人を機械とするのは当事者や家族はあまりいい気がしないだろうと思う。





