

ハム
@unia
読んでいて特に印象に残った語りたい作品をピックアップ。
- 2025年5月25日ペンツベルクの夜キルステン・ボイエ,木本栄読み終わったペンツベルクでの惨劇については本書で初めて知った。 短い話ながらさまざまな人の視点で語られるため、それぞれに正義があるというか、どちらが絶対的に正しいとか悪だとか言えないもどかしさがある。 その証拠に、惨劇に加担したナチスの将校らは全員が後に無罪になった。 ただシステムに組み込まれた、責任の主体がない存在。アイヒマンのような構造がここにも見られる。 先に読んだ「スマートな悪」とリンクする。 戦争を知らない世代としては、どうしてこんなことができるのだろうと思わずにはいられないけど、現代にもこうした例は多くあり、戦争を語ることの意義は安易な戦争反対ではなく、人間の振る舞いや構造にどう向き合うかを議論することにあるのだと思った。
- 2025年5月23日スマートな悪 技術と暴力について戸谷洋志読み終わったスマート化は責任の主体を奪う。 ひとつの閉じた世界にいては思考も責任も放棄してしまうリスクがあるということがよくわかった。 アイヒマンの例はその典型だと思うし、システムに組み込まれることの怖さを物語っている。 世の中を便利にしていくはずのスマートさにある落とし穴。 気がつくことさえもできない沼にはまるリスクとどう向き合うのかが明快に述べられている。 複数のシステムを渡り歩く試みとして「ガジェット」という視点が挙げられていて、 ガジェットとしての振る舞いという視点にはなるほどと思った。 最適化する技術ではなく、結ぶ技術を高めていくことが必要と言うのは説得力がある。 文明が高度になってもその都度なにかしら問題が生じていくというイタチごっこは避けられないのかもしれないけど、思考停止だけはダメ、考えなきゃいけないなと思う。
- 2025年5月21日読む時間アンドレ・ケルテス,渡辺滋人読み終わった読むという行為はひとりでも完結でき、閉じた行為ともとれるのに写し出されるひとりで読む時間をとっている写真には「孤独」という雰囲気が一切感じられない。 「孤独」とはなんだろう。 読書はひとりでしていても誰かと寄り添っているということか。そして、それははたから見ていてもそう見えるのが不思議。 切り取られた時間なのにそこには確かに流れる時間があって、白黒なのに色合いを持ち、静止画なのに動きを伴ったストーリーが見えてくるよう。 国境も年齢も性別も超えて共有される営みとして読む行為の普遍性が静かに提示されているようで穏やかな優しい気持ちにさせてくれる。
- 2025年5月19日パウル・ツェラン詩文集パウル・ツェラーン,飯吉光夫読み終わったエミール・シオランやパウル・ツェランの作品を読んで考えるのは、創造とはまず悲劇を糧に表現されていくものなのかという問い。 昔なんかのオーディション番組で「バラードは誰でもそれっぽく感情をのせて聞かせることができるけど、明るい曲は本当に力がないと表現できない」みたいなことを言ってる人がいて、アートや詩といった創作物にも当てはまるような気がした。 別に彼らが悲劇に振り切ってるから二流と言いたいわけではなく、明るい衝動とでも呼ぶ表現の糧は悲劇の先にあるような気がして、やはり難しいのだろうかと。 「私が世界に望むのは、苦悩のうちに歌うことができるようになることだ」と言ったのはシオランだったかな? 悲しみや苦しみを抱えながらの創作、それを乗り越えた先にあるのが明るい創造という困難だが尊いものなのかななんて考えた。 詩は普段あまり考えないような問いをもたらしてくれるからわからないなりに触れるのは良い刺激になる。
- 2025年5月16日朝と夕ヨン・フォッセ,伊達朱実読み終わったリスペクトルの「水の流れ」を読み終えた次に読了したのがこの「朝と夕」だったことに不思議な巡り合わせを感じる。 ともに「生」に対するまなざしがある作品でありつつも、顕微鏡と望遠鏡のような違いを持っている。 ただ、言葉で表せないものを大事に捉えている点、言葉を司る本という媒体でそれらが為されているところがなにより印象的。 どこまでも静かな物語で、北欧の雰囲気とも相まって自然の機微が感じられる。 人間の一生とは大きな視点で見ればささやかで静かなものなんだろうなと心に深い余韻を響かせてくれる素晴らしい作品でした。 静寂とコーヒーが合う一冊。
- 2025年5月14日水の流れクラリッセ・リスペクトル,福嶋伸洋読み終わった最高の一冊衝撃的な読書体験でした。 かなり人を選ぶ難解な小説(小説と呼ぶのも賛否ありそう)だと思うけど、使い古され陳腐になった「今を生きる」なんてフレーズにとってかわる強烈な生への執着と諦念。 「今」に沈みこむこと、「今」に翻弄されること、そして「今」から立ち上がってくる何かに身を明け渡すこと。そこには過去も未来もなく、ただ無防備な感覚と即興的な応答だけがある。そしてそれは、不調和で、言葉にならず、だからこそ美しい。 それらを表現していく試みが、「香りを写真に撮るようなもの」として捉えられていることもオシャレ。 「意味」への不信と反抗、不安定で痛みとともにある存在として生き抜こうとする衝動の美しさ。 延々と詩的に語りかけるその作風は心を揺さぶられっぱなしだった。 「わたし」から「あなた」への壮大なラブレターにも取れるのがまた良い。 「世界文学の極点」とはまさに看板に偽り無し。 最高でした。
- 2025年5月13日読み終わった「現れる存在」を読んだ流れで手に取った本書は、心の解像度を上げるうえでかなり役立った。 〈心の働きとは、「状況に応じた行動の発現を支えるために、余計な行動の発現を『潜在させる』こと」と言いかえる必要がある〉 余計な行動を抑制するっていう考え方はなるほどと思う。そうでなければ五感の刺激にいちいち反応して認知負荷でパンク、思考回路はショート寸前みたいになるんだなと。 その視点でダンゴムシと向き合うと、ダンゴムシにも心はあると言える。 ダンゴムシの行動を観察し、様々な実験から見えてくる事実を考察していく過程は科学の醍醐味が詰まっている。 なによりダンゴムシを通した心の科学を「待ちの科学」として取り組む著者のスタンスに心を打たれた。 人間至上主義に驕ることなく対等に向き合う態度は現代社会のいかに「待ち」を減らすかにコミットする態度に一石を投じるようでもあり、好感が持てた。
- 2025年5月12日歩くという哲学フレデリック・グロ,谷口亜沙子読み終わった「歩く」を哲学的に考える。 〈自分を取り戻すためということが大きいですが、逆に、自分を見失うためでもあります。なにしろ、歩いていると、風景が美しすぎて、気がへんになるような時がありますから。あとは遅さを愉しむためでしょうか。それと、世界に対して開かれた状態にあるために。他者に対しても、自己に対しても、自分を空いた状態にしておきたいのです……〉 歩くこと自体が目的のようでいて、そこに何かを求めるのではないように歩くこと。 「わたしはわたしの見たものをわたしのものにする」というソローの言葉。 歩くうちに、心惹かれる色彩や陽光の記憶を、少しずつ自分のうちに溜めておくこと。わたしたちの宝物、本当の財産とは、わたしたちが受け取り、自分のどこかに格納しておいた世界のすがたの総計のこと。 〈歩くことは、世界を打ち破るのではなく、世界の存在にリズムを与え、世界は今確かにそこにあるのだということを実感させてくれる。〉 歩かない日なんてほとんどないし、「歩く」ことを丁寧に捉える意識を大事にしたいと思う。 ルソーやカントやニーチェの精神とつながるために「歩く」という試みを実践してみよう。 とにかく歩きたくなる。 哲学的な高尚なエッセイだけど読んでる間ずっとトトロのさんぽが頭に流れてたなぁ。
- 2025年5月10日海猫沢めろん随筆傑作選 生活海猫沢めろん読み終わった筆者の名前負けしない面白い随筆。 ニヒリズムのような怠惰の雰囲気を醸しながらもちょいちょいと鋭い良いことを言うそのギャップが快い。 イタコに太宰治を降ろしてもらって対談するために恐山まで行ったエピソードは爆笑。 自虐の中にも真理がありそうで、生きるって大変だけどおもしろいと思わせてくれる。 〈いかにも未来に見える未来は、すでに過去の想像力なのかもしれない。〉 〈すべては物語だというのに、どうしてほかの物語によってその価値を決めることができるのだろう。一メートルの物差しで、一リットルを測るような行為は無意味だ。 私たちは私たちの価値で、自分の物語を生きるべきだ。〉 ブレてるのか芯があるのかこの独特なスタンスがいい味を出しているのだと思う。 自分の「好き」に正直に生きるライフスタイルってやはり理想よなぁ。
- 2025年5月9日自称詞〈僕〉の歴史友田健太郎読み終わった日本語に一人称のことばが多いことは日本人であればわかると思うけど、「僕」という一語をとって歴史を概観し、その役割の変化を見ていく試みはなかなかニッチなようでいて日本人を語るうえで大事なことだと感じた。 明治維新につながる歴史の流れの中に「僕」の使用が鍵としてある。 身分が平等になっていく過程にも「僕」が絡んでいる。 平等のあとでは大学紛争などを経てむしろ社会から切り離された自由な自己、私的な小さな世界を表現する自称詞となっていった。 歴史の転換点において「僕」という自称詞のささやかな選択がバタフライエフェクトの如く機能しているのが面白すぎる。 現代においてはジェンダー論を語るうえでも「僕」は有効な切り口を与えていて、本書はジェンダーにはそこまでつっこんでいないが十分にカバーできるテーマ性があるのがわかる。 〈歴史の流れを左右するのは、政治家や軍人の決断ではなく、人びとが日々の営みの中で下す小さな判断の積み重ねなのではないか。そう考えることは、私たちに力と責任の感覚をもたらすだろう〉 「僕」ひとつでここまで壮大に論じることができる学問の自由性と、そうした「僕」という小さな選択による歴史のダイナミズムに驚かされた。
- 2025年5月6日現れる存在アンディ・クラーク,森本元太郎,池上高志読み終わった「身体と環境が心を構成する」という、直感に反するような視点を、哲学・認知科学・工学の交差点で議論している。 かなり専門的なロボット設計やAIの話が、哲学的概念と絡むので、読解にはめちゃくちゃエネルギーが必要だった。 目の見えない人も自然に会話においてジェスチャーをするという話が言語と身体性の結びつきに関する例としてあって、心の働きが身体を通して、世界との関係の中で生じていることをかなり直感的に示していると思う。 ほとんどはロボット工学や人工知能などを中心に、脳が「司令塔」ではなく、「動的なネットワークの一部」にすぎないという見方を説明していて興味深いのだけれど、いかんせん難しい。 だいぶわかりやすく書かれていたのだとは思うけど頭を使ったなあーという疲れと達成感のある読書でした。
- 2025年5月4日「痛み」とは何か牛田享宏読み終わった「痛み」についての解像度が上がればと思い手に取った。 〈過去の体験や、痛みが起こるきっかけとなった出来事の性質などによって、苦しみの感じ方は大きく変わってしまう。 記憶と結びついた「痛み」は検査などで実在しなくても脳の中に痛みとして実在してしまう。〉 痛みは人生を通して経験していくものという認識があると知った。 子どもの時に経験した痛みに対して親が取る反応により痛みの感じ方が変わっていくなら、転んだときに過保護になるのも放置するのもその子の性質においてどちらが適切か難しいし、テーマとはずれるが子育ての正解のなさを思うところ。 〈痛がったり泣いたりする行動はしばしば周囲の行動を変容させる手段として使われている側面もあるわけで、周囲の人の反応が、痛みを訴える患者さんの行動を助長することもある。〉 これはなかなか怖い。 痛いと言う→周囲が優しくなる→さらに痛いと言う→周囲がもっと気遣ってくれる そんなつもりはないのに双方の無意識がこうした痛みの悪循環にはめてしまう可能性がある。 脳の反応とされるからだましだましという対応は悪くないアプローチだというのも面白い。 確かに痛みに悩まされつつもどこか諦め、受け入れることで緩和されることあるよなと思う。
- 2025年5月2日プロジェクト・ヘイル・メアリー 下アンディ・ウィアー,小野田和子,鷲尾直広読み終わった最高だった。 間違いなく傑作中の傑作。 上巻だけでも素晴らしいなか下巻でもその勢いは止まらない。 最後の最後まで面白いし、涙すら出てくる感動まである。 オススメされて手に取る作品はけっこう期待値高めで構えて読んじゃうために肩透かしになることが多いのに読んでる途中も、読み終えても興奮が止まらない。 読んだ人とあれこれ語りたい。 今日は読んだ人の感想をひたすら眺めていようかなと思う。 これ来年に映画化するんですよね。 どんな感じになるか楽しみ過ぎる。
- 2025年4月30日翻訳できない世界のことばエラ・フランシス・サンダース,前田まゆみ読み終わった各言語の個性が爆発していて楽しい気持ちにさせてくれる。 普段慣れ親しんだ日本語もいくつか紹介されていたけど外国の人はその日本語を見て日本人をイメージするんだろうなと思う。 気に入ったのは、 Kummerspeck(ドイツ語) 「食べ過ぎが続いて太ること」 「太る」という結果まで含めた特定の表現がドイツ語独自らしい。 ジャーマンポテトにソーセージとビールが浮かんだ。 cotisuelto カリブ・スペイン語 「シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人」 自由?リラックス?だらしなさ? 「あいつはcotisueltoなのよ」とか言うのかな。 pisanzapra マレー語 バナナを食べるときの所要時間 ちょっと待っててみたいな文脈で使うのかな? ことばを通してその国を考える楽しさが詰まってる。その複雑な気持ちを一語で言えるのはやはりそこが大事に思うからなのかなって背景を考えるのは楽しい。
- 2025年4月29日裸のネアンデルタール人リュドヴィック・スリマック,野村真依子読み終わっためちゃくちゃ面白い。 ネアンデルタール人を我々と同じ人間だったとするのは偏見であり科学的観点から見れば嘘であるという切り口に痺れる。 一般的に流布してるネアンデルタール人のイメージはかれらの芸術や記号の意味を、私たちの社会が規定し閉じ込めた偏狭な定義のなかに探し求めてしまった結果であるとするのも様々な例から説得力がある。 ホモ・サピエンスは差異をとにかく嫌うため、自分たちと近いであろう存在に対して無意識に自分たちと同じような種であると思い込み、想像や幻影といった視線を投げかけている。 これだけ科学が発展しても結局は人間中心に物事を考えていくことの弊害がネアンデルタール人を二度殺した。 もしこの先に宇宙人やAIの反乱があったとき、人類はありのままに物事を捉えることはできるのだろうか。 できないならば分かり合えないままに拒絶する進歩のない歴史を繰り返してしまうのか。 ネアンデルタール人を通してこうした大きな問いに向き合える刺激的な本でした。
- 2025年4月28日裸のネアンデルタール人リュドヴィック・スリマック,野村真依子読んでる面白い。 ネアンデルタール人に対してのホモ・サピエンスの認識はバイアスだらけで、異なる知的生命体としてありのままを見ていく試み。 ネアンデルタール人と向き合うことに価値観の転覆があり、それはホモ・サピエンスの知性に対する挑戦といえる。 こうした態度は地球外生命体や人工知能などに対するうえでも示唆に富むと思う。 知的刺激のワクワクが止まらない。 続きを読もう
- 2025年4月27日読み終わった橘玲さんの著作はけっこう好きでよく読んでいる。 リバタリアンに対して浅い理解しかなかったのでなんでリバタリアンなのにベーシックインカムみたいな制度に賛成しているか不思議に思っていたが、結果的に政府の介入の最小化やポジショントーク的な文脈もあったのだとよくわかった。 日本だとリベラルもリバタリアンも一緒くたにされがちだから著名な起業家たちを例にした説明は理解しやすい。 本書のテーマである「テクノ・リバタリアン」を通して見た未来はやはり最近の流行でもあるのかディストピア寄りな思想と相性が良くて、ぱっと見すごい不安を煽る感じになりがちなんだよなぁ。 この本でもCOSTやQVについて触れていたけど、良いアイデア自体はけっこうあるのにそれを実装するのにまた議論や時間を要するのが人間の良いところでも悪いところでもあるよね。
- 2025年4月24日プロジェクト・ヘイル・メアリー 上アンディ・ウィアー,小野田和子読み終わった普段はSFってまったく読まないんだけどあまりにオススメされたもんだから読んでみた。 めちゃくちゃ傑作だった。 あちこちで絶賛されてる理由も納得の面白さ。 この本を読んで科学の道を志す人いっぱいいそうだなと思ったり。 主人公と一緒に謎を明らかにしていく感覚、科学の力を駆使して様々な問題を解決していく展開、おもしろポイントが多い。 ネタバレにうっかり触れる前に早く読んだほうがいいよと言われるのも納得。 情報なしのまっさらな状態で読むのが正解。 下巻も早く読もうと思います。
- 2025年4月24日生誕の災厄 〈新装版〉E.M.シオラン,出口裕弘読み終わったたまたま「メランコリーで生きてみる」と同時に読んでいた。 シオランの思想自体は「メランコリー」を突き抜けてて極度の悲観主義が全開なのだけど、メランコリーという状態と向き合う過程で触れてみると絶望が希望に変わるというか、生きる糧にもなる不思議がある。 悲観、絶望に振り切ってもダメだけど、いつでもポジティブってのも健全とは言えないし、やはりこうした負の側面と向き合う時間は必要なんじゃないかとシオランを読んで思う。 本人は本当に絶望していたかもしれない。でもそこから生まれたものと相対して救われる人もいる。 バランスを取るために価値ある一冊だと思う。
- 2025年4月23日メランコリーで生きてみるアラン・ド・ボトン,齋藤慎子読み終わった癒やしの書でした。 悲観と似て非なる「メランコリー」という感情、状態を大切に考えることを勧める。 〈ときにはきちんと嘆き悲しむべき、と考えることに本質的に耐えられない社会だ。〉 よく言われるように常に笑顔で、常に効率的で、常に完璧でいることを強いられているかのような社会では「メランコリー」とじっくり向き合うことすらできない。 そんな疲れた心をいろんなテーマから見つめ直して癒やしてくれる優しい一冊。 心がざわつくときは何度でも読み直したい。 〈わたしたちが胎内にいたことをもし覚えていたら、観念して出てくるよう強いられたことへの深い悲しみも、いまの自分の境遇に対する不満も、程度が激しすぎて耐えがたくなってしまう、というわけだ。前へ進むための勇気の代償として、一度は手にしていたものを忘れてしまわなければならない。〉 でもふと感じる郷愁は胎内にいたころを恋しがっているのかもしれないという感覚はなんかわかる。 雨の日に読み終えてどっぷりメランコリーを味わっているところ。
読み込み中...