高尾清貴 "新装版 アブダクション" 2025年6月4日

高尾清貴
高尾清貴
@kiyotakao
2025年6月4日
新装版 アブダクション
新装版 アブダクション
今井むつみ,
米盛裕二
ついにコテンラジオで科学史をテーマにしてくれた!! 聞き始めて5年。大好きなポッドキャスト。個人コテンクルーです。 僕は歴史をちゃんと学んだことなくて、なんなら、20年くらい前に話題になった、高校で世界史を未履修なまま卒業しちゃった世代なので(当事者以外、もう誰も覚えてないと思うが…)ずっと、コテンラジオからは教えてもらうばっかりでした。 それがついに、僕が詳しい領域をテーマにしてくれた。 で、改めて僕の詳しい分野について話すコテンラジオを聴いて、彼らまじすごいわと思った。変なこと全然言わないんです。 人文科学系を専門とする人たちが、自然科学系の分野に「調査」によって、これだけしっかりした定見を持てるようになれるのは希望を感じます。 調査の力があり、咀嚼する力がある組織ってことなんだと思う。 ただ、一点だけ、というか、一言だけ、深井さんのコメントに付け加えたいところがありました。 それは、「直感よりも実証実験の結果を大切にする態度が科学的態度」と深井さんが言っていた部分。 全然間違ってないし、文脈的に以下の補足の話をするのは蛇足になるから、本編でこの表現に留めるのはむしろ正しいと思うけど、あえて。 「科学的態度」において、実証実験の結果を重視しているのではなくて、自分の抱いた感覚が「仮説」である。という態度だと考えています。 それを説明しているのが、この「アブダクション」という本。 アブダクションとは 論理的推論として、帰納法、演繹法はよく聞くが、それとは異なる第3の概念として提唱されているのが、このアブダクション。

簡単に僕なりの解釈を書くと、「これがこうなるってことは、裏側がこうじゃないと説明できなくない?」と考えて仮説を導くこと。

以下は本からの引用。 ある意外な事実や変則性の観察から出発して、その事実や変則性がなぜ起こったかについて説明を与える「説明仮説」(explanatory hypothesis)を形成する思性または推論が、アブダクションです。このアブダクションの推論の形式を、パースはつぎのように定式化しています。

驚くべき事実Cが観察される、
しかしもしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう、よって、Hが真であると考えるべき理由がある。 このように帰納は観察データにもとづいで一般化を行う推論であり、これに対し、アブダクションは観察データを説明するための仮説を形成する推論です。 つまりアブダクションがとり扱う事実は説明を要する事実です 本書の中でも、科学の営みの中では、「実証実験」を行う前に、帰納でもなく演繹法でもなく、アブダクションを行っていると考えないと、帰納、演繹の定義からして、説明つかないはずだろ?と述べられています。 なぜ、アブダクションについて付け加えたいか。 それは、科学の面白さを作っているのは、この、「アブダクションによってスタートしている」という点だと考えているからです。 「実証実験」を行い、厳密に結果を測定し、客観的に説明できる形で科学実験は行われているが、それは、あくまで科学の手段の部分の話。 スタート地点が、科学者たちのアブダクションによっていて、仮説をベースにしているから、このような手続きが必要になる。 そして、どのような仮説を思いつくかは、科学者一人ひとりの個性によるものが大きいため、科学の世界が、今のような彩りを持つに至っているのだと思います。 実は、このように科学において重要な概念でありながら、科学の現場で「アブダクション」について語られることはあまりないです。息をするように「仮説」の形成を行っている、ということもあり、あえて言語化されない領域なのかもしれないです。 僕自身、「アブダクション」という言葉を学んだのは、大学での科学史とかの授業ではなくて、新規事業を考えるアイデア出しについてのワークショップでのことでした。 しかし、論理の積み上げでも、論理の展開でもなくて、仮説のひらめきであるアブダクションについて光を当てることで、科学の自由さをしれるのではないかな、と思いました。 補足 ちなみに、本書の解説で、今井むつみさんが、子どもは発達の過程でアブダクションを使っている、と述べています。
これ、子育てする中で、子どもたちをみていて楽しさを感じるのが、彼らがアブダクションをしていて、その仮説をつまびらかに、僕らに教えてくれるからなのかも、と思って、すごく納得感ありました。
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