
𝕥𝕦𝕞𝕦𝕘𝕦
@tumugu
2024年6月28日

火
マルグリット・ユルスナール,
多田智満子
まだ読んでる
▪️「アンティゴネー あるいは選択」
アンティゴネーはオイディプスとその母イオカステーとの間に生まれた4人の子のうちのひとりで、オイディプスが自身の目をついて盲人となり放浪した際に彼の世話をし、その後上のふたりの兄エテオクレースとポリュネイケースが故国テーバイの王位を取り戻す際に対立し相打ちでふたりとも死亡。エテオクレースは手厚く葬られたのに対しポリュネイケースは野ざらしにされ、「敗れ、剥ぎとられ、死んで、人間の悲惨のどん底に達した」腐りゆく兄の上に身をかがめ、屍を弔ったことを咎められて地下の墓地に生きたまま埋葬されて自害する
『火』はユルスナールの内的危機の報告書とあるとおり、ユルスナール自身が抱えた自身への「かくあれかし」の一側面…て踏まえて読んでもあまりにもつらい 先にソポクレースの『アンティゴネー』(こちらが本歌)を読んでおいたほうがよかったかもしれない
わたしは山尾悠子『ラピスラズリ』のゴーストと少女のように、ほんの一瞬の邂逅がその後の彼/彼女/彼人の行く先を生涯照らす灯火になる話がほんとうに好きなんですが、確実に罰として死を与えられることがわかった上でそれを自分で選んで自ら星になってしまうのはワアアアアアーーーン星になんてならなくていい生きて明日アイスでも食べようよおって縋りつきたくなる
でもユルスナールは"私が生きることをのぞみ給う神はあなたにもはや私を愛さぬよう命じ給うた。私は幸福にはよく耐えられない。そんな習慣が欠けているのだ。あなたの腕の中では私は死ぬことしかできなかった。"て独白しているように、アイスを食べに行ってはくれない…(なんの話?)
マルグリット・ユルスナールは同性愛者である男性を愛したことで、どれだけ愛しても報われないことを身を以て味わい、その苦しみを神話をモチーフにして語り直すことで昇華しようとした、という背景を知った上で読むとすこしだけわかりやすい気がするんだけど、アンティゴネーにわざわざ「あるいは選択」という題を与えたのは、父オイディプスや兄達などの周りの男性がアンティゴネー自身にはどうにもならない理由で死んでゆき、予言どおりの悲劇として回収されてゆく物語の中であえて「彼女は自分で選んだのだ」というアンティゴネーの意志を滲ませたところにユルスナールなりの矜持があったのかもしれない



