潮満希 "もうひとつの夜へ" 2025年8月12日

潮満希
潮満希
@chosekido_m
2025年8月12日
もうひとつの夜へ
純文学を描いてきた辻邦生作品としては珍しいコズミック・ホラーの雰囲気を濃く漂わせる意欲的な中編小説。 自宅の食卓に横たわり、全裸の状態でショック死していた立花朋二を巡り、友人たちと“なぜそんなことになったのか”と話をしていた小説家の「私」は、立花朋二と仲の良かった砧と別れた後、自宅のポストに一冊の大学ノートが送りつけられていることに気がつく。 そこには、今や死者となった立花朋二の名前が送り主として記されており、それを一読した「私」は、孤独に苛まれた者たちへの警告として、世間にこの大学ノートを公表することを選択する——というのが本作品のあらすじである。 この物語の主人公である立花朋二は、ある時から自らの腹の下で何かが這いずり回っていることに気がつき、その正体を知るために自分自身で腹を捌いて白く柔らかで繭のような姿をした奇妙なその生命体をこの世に生み出してしまう。 繭のような生き物は、騒音、爆速、光を養分に、どんどんと鳥のような姿へと成長していくのだが、作中の冒頭にもカラオケスナックの名として「火の鳥」という言葉が出ていることを思うと、不死鳥をモチーフにした存在のようにも思われる。ただし、それはあくまでも姿形の話であり、その本質は人々の心に巣食う“孤独”が実体を伴って肥大化した姿なのではないかと個人的には思うところである。騒音、爆速に身を置く時、立花朋二は楽しそうであり、それらの行為は、実際、孤独を誤魔化す——あくまでも、“癒す”ものではないというところが重要である——作用があるようにも感じられる。 立花朋二は、繭のような生き物と出逢ったことで、それを守ること、生かすことへと心血を注ぐようになり、この生き物を育てるため、“その他には何もいらない”と考えるようになっていくのだが、そのために彼はそれ以外の繋がりを最終的に自ら絶ってしまい、「私」が冒頭で嘆いた孤独の悲劇に向かって進んでゆくのである。 物語中、“こいつ”や“そいつ”と呼ばれる繭のような生命体の正体が明らかになることは決してなく、また、その存在が実在したかどうかさえ定かではない。 “終わりに消化不良感がある”とはパートナーの言葉であるが、だからこそ、考察が捗る一面もあり、この生命体の正体や様々な事由に思いを馳せて、誰かに語りたくなるようにも思われる。 もし興味がある方がいるならば、是非是非一読してほしい。
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