JUMPEI AMANO "到来する女たち 石牟礼道子・..." 2025年8月17日

JUMPEI AMANO
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@Amanong2
2025年8月17日
到来する女たち 石牟礼道子・中村きい子・森崎和江の思想文学
第三章一〜ニを読む。 〈みちこを通してらおもかさまという「老狂女」の半生を描くという意味で、『椿の海の記』は、他者の自伝であり、「狂女」の伝記である。その伝記は、人間社会を「健常者」と「狂者」に、女たちを妻と「妾」に、あるいは母性と娼婦性に分断し序列化する社会の構造を可視化し、それを超えゆき連なる世界の地平を描き出そうとする。その意味で、この私的な伝記は、歴史的社会的な文脈のなかで現象している。/事実、『椿の海の記』は、仔細に出来事の起こった日時を記すわけではないが、作品の舞台である水俣は、ある特定の日付を伴う場所として現れている。その日付とは、「昭和六年」だ。〉(181頁) と一にあるように、石牟礼の『椿の海の記』を掘り下げる章。歴史的に大事なところなので、基本的な情報もメモしておく。 〈チッソの歴史は、鹿児島県大口の曾木水力発電所から始まる。それがやがて日窒コンツェルンとなり、植民地朝鮮で大規模ダムを経営し電力開発事業を展開していくノウハウは、草創期の曾木発電所で培われたものだと言える。戦前のチッソの収益は、この朝鮮での電力事業に大きく支えられていた。戦後、チッソは国内の水俣に回帰するが、戦後のチッソの経営を支配していくのは朝鮮帰還組であったという。[...]鴨緑江節が示すのは、このチッソに体現される戦前の植民地開発と戦後の地域開発との連続性だと言える。〉(188-189頁) 〈『椿の海の記』の水俣とは伝統的で土着の閉じられた共同体でない。むしろ、それは、近代的な交通や交換、労働力移動と貨幣経済が入り込み、企業進出による開発を被る空間である。近代化(モダナイゼーション)される被開発の地域、その過渡期の時空の表象が、『椿の海の記』の水俣なのだ。〉(190頁)
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